要塞的日記②

今日はファレルとJay-Zの印象的な新曲がぶちあがるという、割と興奮した出来事について書きたいところだが、昨日の配信について書かねばなるまいて。

足の疲労により半ば怪我のような状態になってからここ数日ランニングを中止しているので体が疲れていなく夜に眠れない。
昨日も風呂に入った後にうだうだとしていると、いつの間にか夜の1時を回っており、本を読む気にもなれないしどうしたものかともんもんとしていた。
そんな時ふと、最近は22時台からの配信になっていたし、たまにはド深夜に配信でもと考え気軽に配信を開始したわけである。

そしてこれが間違っていた。

時刻は1時半を回っており、まあ人もほとんど来ないだろうなと思っていたら、ちょくちょくと腐れ要塞民が集まり始める。
コメントもパカパカとつくようになり、22時台に始めた時よりも活性化しているのだからやっぱり要塞は夜行性なのだとの認識を新たにしつつも、退屈な夜もまあまあ楽しく過ごせそうだと思い始める。

しかし、これも最初だけだったよ。

また現れたよ、彼女がお前の事嫌ってるぞ潜伏。
いわく潜伏の彼女が私のツイッターをみているらしく、この前ちょっとした茶目っ気で書いた“スケベしてえな”というツイートをみて、「うわぁきも」とおっしゃっていたと。
いやそんな報告されたら普通に傷つきますわ。
しかも、なぜその彼女がこちらのツイッターをチェックしているかというと、私が要塞とは別件でフォローしている相手らしいからとのこと。
個人的にツイッターは要塞のアカウントとして運用しているのとは別に、学者や士業関連、音楽関連と情報をとるためにやっている側面が強く、フォロー相手というのは要塞関連を除けば8~9割が30代以上の中高年男性。
残りの1~2割は、情報とは関係なく何かしら気になっていたり本当に応援したいと思っていたり好意を持っている相手なわけです。
もちろん私はインターネッツ歴も長いので、ツイッター歴も10年を超えたがフォロー相手にいわゆる“クソリプ”を送るなどという行為をしたことは一度もない。
草葉の陰から見ているだけなのだ。
それが、もし、本当に、潜伏のコメントが嘘松ではなかったとして、そんなフォロー相手に認識されていて、しかもきもい奴だと思われているのだとしたら・・・

傷つくよなぁおい!!

しかも、このnoteもチェックされてるとのこと(本当か?)
ピエロを演じてスケベしてえなだとか書いたりいかがわしいお店の事を書いたりだというのが本質だとして受け取られて本気できもい奴だと認識されているのだとしたら悲しすぎるのだが、この話が本当だとして、そんなフォロー相手に存在が認識されているというのは実は嬉しかったりするのも事実。

というか潜伏の彼女なのか羨ましすぎるなぁおい!

とまあそれはいいとして、しつこく書きますがこの話が本当だとしてね、真面目に言いますと要塞も私もそんなに、言うほど、気持ち悪いアレじゃないので許してください。
いや、案外楽しいところで、あなたの彼氏も入り浸っているのだから、是非要塞をあなたも楽しんでくださいと。
真面目な方向がいいのでしたら、いま私が特に問題意識を持っているジェントリフィケーションについて真剣に話しましょうか。
うだうだと書いているけれど、潜伏だろうが潜伏の彼女だろうが、私基本的に人に好かれたいです(切実)
あの本当にこの話が本当なのでしたらツイッターとか、noteとかフォローしていただければ・・・

思い出したよ、潜伏連中はツイッターのこちらのアカウントをリスト管理で常にのぞき見しやがって、フォローしてないじゃないの。
しかも昨日あれだけ言ったのにだれ一人としてフォローしてこないしどうなっているのよ。
もう本気で鍵垢にするぞおい。

そしてさらに書くとこの話はここで終わりではない。
ペスカトーレの写真にわざわざワインも一緒に載せているところがいやらしいって言ってたぞとのコメントが。
そんな・・・いちゃもんレベル・・・どれだけ嫌われているんですか…
と反応したら。

そのコメント別の奴のコメントだぞ

一人じゃないのっ!???

かあああああ
嘘松が二人いるか?おい。
どちらかは本当で最悪どちらも本当ってやつでしょうがこれは。

あのね、あなた達の彼氏は要塞に下手したら10年レベルで滞在していて、しかもうちはラジオとか他の配信と違って完璧な双方向でやっているので、一緒になって、馬鹿話に、同じ目線で、興じているわけです。
要塞は確かに高尚な場ではありませんとも。
大人になってしまい、いろいろなところに気を遣わなくならなければならなくなった。しかも昨今の様々な人権意識の向上により昔の感覚は刷新しなければなくなり、個人の意識は更新していかなければならない。
しかし人間ですもの、その変化によるストレスは確実にあり、昔持っていた意識のもとで楽になんでも放言できる場というのもあってもいいのではないかという、いわばガス抜きの意味合いがあるわけです。
ポリティカルコネクトネスのような意識については私はむしろうるさいほうです。
ただね、人はそう簡単には変わらないという事も知っているだけなのです。
人が人としてバランスをとる、それができないからこそ、人は社会で様々な争いを起こす。
泥水の中で泥んこになりながら遊ぶ場というのは人には必要なのです。
綺麗すぎる水の中では魚が生きていけないのです。
そこにすこしでも目を向けてみると、実は、案外、結構、すごく、要塞というのはいい場所なのかもしれないという事があなたにも気づいていただけるのかもしれない、そう私は愚考する次第でございます。
だからこそいかがわしいお店の話もする、汚い下ネタの話もする、すけべしてえなとかのたまう、汚い言葉遣いにもなる、そんな要塞ですがどうかよろしくお願いいたしますとも。

冒頭に書いた曲はこれ。
今聴いておいた方がいい。





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