見出し画像

コメディ映画と「グロテスク」の関係 『マーシャル博士の恐竜ランド』


邦題からして軽めのファミリームービーと思われがちだが

 1970年代にNBCでオリジナルのテレビシリーズが放送され、1990年代にはABCでリメイクされた子ども向けアドベンチャードラマ『Land of the Lost』(ABC版は日本では『恐竜王国』との邦題でビデオ発売された)を劇場用に組み立て直した作品こそ、ユニバーサル・ピクチャーズ提供の『マーシャル博士の恐竜ランド』(2009)である。──この物語には約20年周期でリメイクされなければならない宿命でもあるのだろうか?

 邦題からして軽めのファミリームービーの類いと思われがちだが、実際にはかなりアメリカンコメディ色の濃い映画だ。マーシャル博士役のウィル・フェレルも、博士と同行するツアーガイド役のダニー・マクブライドも、自身の芸風・持ち味を所狭しと炸裂させている。類人猿役を演じたヨーマ・タッコン(コメディトリオ「ザ・ロンリー・アイランド」メンバー)のコメディ演技も、タッコンさんもっと本格的に俳優業をやればいいのに……と思わせられるほどに的確で、観ていて気持ちのいいものだった。

 さらに本人役で登場するテレビ司会者、マット・ラウアーも本作ではなかなかのコメディ俳優ぶりを発揮している。ふつう、この手の「本人役」はどうしてもぎこちなさを伴うものだが、本作でのラウアーはコメディ役者として間(ま)も表情も秀逸なのだ。──ちなみに、当時ラウアーはNBCの情報番組『トゥデイ』のキャスターとして栄華を極めていたが、2017年にセクハラ問題でクビになって表舞台から姿を消したことを特筆しておく。


アチャラカ度が高い「アメコメ映画」の側面を持っている

 旧いユニバーサルのロゴで映画を幕開けしたり、『トゥデイ』のセットで本編の始まりと終わりを構成したり(そういう意味ではマット・ラウアーは重要人物!)、ミュージカル『コーラスライン』のナンバーを伏線的なギャグとして用いたりと、本作は全般的にアチャラカ度が高い。この映画をアドベンチャー映画だと思って観始めたファミリー層が置いてけぼりを食らいかねないほど、本作はフェレルらのコメディアンとしての魅力が詰まった「アメコメ(アメリカンコメディ)映画」の側面を持っているのである。

 フェレルの盟友であるアダム・マッケイとジミー・ミラーが製作を務め、のちにフェレルとは『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!』(10)や『俺たちスーパーポリティシャン めざせ下院議員!』(12)でもタッグを組むことになるクリス・ヘンチーが脚本に参加していることからも、この作品がウィル・フェレルというコメディアンの魅力を反映するための「アメコメ映画」として作られた事情は読み取れるだろう。


笑わす作業の繊細さを理解していなかったことが問題なのだ

 そういうわけで本作はオモテもウラも「アメコメ」の要素が色濃く、もしかすると「10年に1本」の傑作B級コメディ映画かもしれない。──と観ている途中までは思っていたのだが、妙にグロテスクな造形のエイリアンが出てきた瞬間、私はこの映画を「コメディ映画」として楽しむ感覚が冷めてしまった。『トロピック・サンダー 史上最低の作戦』(08)の冒頭でちぎれた手首や生首が映し出された時と同じような不快感を抱いてしまったのだ。ギャグへの集中を「不快な横やり」に邪魔されたとでもいうべきか。

 この映画の監督を務めたブラッド・シルバーリングは、少年時代にオリジナルのテレビドラマを見た際、エイリアンの造形があまりにもおぞましくて眠れなくなったという。その懐かしい思いを自らの手で再現する狙いがあったのかもしれないが、私にとってエイリアンの登場シーンは本作への評価を大きく揺るがすものになった。「そんな些細なことで」と思われるかもしれないが、そうではない。これは映画の美術装飾の問題ではなく、観客を笑わす作業の繊細さを監督が理解していなかったことの問題なのだ。

 もしもあのエイリアンのおぞましささえ存在しなければ、私は本作を優れた「コメディ映画」として素直に絶賛することができたように思う。もっとも、脚本家と主要キャストの「笑いの意識」が強かっただけで、シルバーリング監督自身はこの映画にコメディ映画としての側面があることをもとより重視していなかったのかもしれない。コメディ映画を作ることは大変なことだが、観客がコメディ映画で笑うことはもっと大変なことなのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?