なう

クリウィムバアニー「NΔU」

2019年6月21日、シアタートラムでクリウィムバアニーの「NΔU(なう)」を見てきた。普通にかっこよくてかわいいので頭空っぽで楽しめてしまうタイプのダンス公演だったが、いったい何が面白かったのだろうとあとから反芻するうちにまたじわじわ面白くなってくるというスルメ系の公演でもあった。

「クリウィムバアニー」はダンサー・振付家の菅尾なぎさ率いるダンスカンパニーで、公式サイトに「ダンサーのみならず小劇場界の女優陣などから絶品乙女を選りすぐり」とあるとおり、演者は女性ばかりであるのみならず、すでに名のあるダンサーからネット上に全く情報のない新人まで幅広い。そういうつかみどころのない集団が、「乙女」然としながらも容易には意味を読み取れないパフォーマンスをする、というのが作風らしい。

あれは例えるならば、蟻の群れが巣の内外で動き回るのを眺めた経験に似ていた。いつまでも眺めていられる感じがする。「乙女」―と便宜上括ってしまうことにする―には、そういう理解しえない「遠さ」ゆえの魅力があるような気がする。

1. 概観

会場に入った瞬間から、いつものシアタートラムではない。まず天井が低い。その低い天井から、計8台のモニタが吊るされている。モニタのひとつにLINEのグループトークが表示されているのが目を引く。客席はそのモニターの真下に、左右に寄せられて向かい合う。真ん中にステージとDJブースが置かれている。

ブースを囲むようにして4つ直方体が点在する。直方体のなかにはそれぞれ、ポットやら傘やら用途のわからないものが置かれ、生活感が出ている。ステージ一番奥にはUFOキャッチャーが鎮座する。中に入っているのは初代ポケモンやカービィのぬいぐるみ。そしてそのわきに、奈落のような穴があいている。奈落の底が時折モニタに映る。ベッドが置かれ、壁にはポスターが貼られ、お菓子が散乱し、なんというか乙女のタコ部屋、あるいは巣穴とでもいうような状態になっている。

モニタのひとつにLINEのビデオ通話の画面が映り、演者による「上演前案内」が行われる。写真や動画の撮影・音の録音は禁止、ものを食べたりしないようにという通り一遍の注意がアナウンスされた後、演者が続々と舞台に入ってきて、あろうことかスナック菓子を貪り始める。先ほどアナウンスをしていた2人はケンタッキーの袋を抱えて帰ってくる。

照明も消えないまま、パフォーマンスはなし崩し的に始まっている。舞台に配置されたサイコロを振って写真を撮り、あるいはただ自撮りをして、LINEのグループに投稿する。そのたびに「ライン!」というアラートが鳴る。

彼女たちは、一切の表情を殺してスマートフォンのみでコミュニケーションする。 メッセージの送受信がなされたことが「ライン!」という効果音で示され、しかしそのタイムラインに表示されるやり取りの意味はよくわからない。サイコロをふって、ときおり振付されたような奇妙な歩き方で歩き、時々LINEに「ゴールした」「おめ!」と言葉が飛び交うあたりから想像するに、どうやら双六に似たなにかが行われているらしいのだが、舞台に展開する情報の量が多すぎて、そのルールやゲーム進行がさっぱりわからない。

そしてその間にも、乙女は食べ続ける。その映像や自撮りがモニタに映る。カップ麺にお湯を入れて、タイマーを載せて運ぶ。いやいや、彼女たちはこれから踊るのではないのか。そんなに油ものばかり食べて大丈夫なのか。 そんなライブチャットか覗きのような鑑賞体験が30分ほど続き、さすがに居心地が悪くなってきたころに、唐突に流れ出すラジオ体操のテーマとともにふたたび「うぐいす嬢」のアナウンスを挟んでDaisuke Tanabeのプレイが始まった。

BPM100くらいの4つ打ちに合わせてばらばらとダンスが始まり、時々散発的にユニゾンが発生する。音がチルめのドラムンベースに切り替わるとソロ回しがはじまる。いわゆるダンス公演としては、このあたりが一番わかりやすくかっこよい。が、ここからパフォーマンスはさらに勢いを増し、混迷を極める。

けたたましいアラーム音がなり、サーチライトが回り、ほとんどノイズようになった音楽の中で、乙女の群れは無表情を崩さぬまま何かに熱狂し乱れて踊る。序盤から繰り返されてきた祈りのような振付にあわせてステージの一部が持ち上がり、中から草木で彩られた空間が現れる。神々しいが、どういう意味なのかはわからない。やがて音が緩まり、演者は1人また1人と退場し、 TanabeもDJを終えて去っていく。ふたたび無音となって顕在化するUFOキャッチャーの軽快なBGMにかぶせて、タイマーのアラームが鳴る。先ほど持ち上がってきた空間の中には、カップ麺とタイマーが乗っていた。我々は60分以上も前に、カップ麺とタイマーを運ぶ乙女の1人をみた。なんと、実はあれから3分しか経っていなかったのだ。実際に経験した時間が逆行性に濃縮されるような、非常に奇妙で新鮮な演出だった。

さて、出来上がったカップ麺だが、最後に残った1人の乙女がアラームの音にむくりと起き上がり、タイマーを止めてこれを食べる。もちろん彼女もついさっきまで踊っていた。信じられない。こちらが吐きそうである。

2. 身体群

女性性に対するフェティシズムを隠さない菅尾とって、「乙女」は蟻のように魅力的で遠い存在なのではないかと想像する。

すこし前に、自宅に蟻の群れが入ってきたことがあった。一度入ってくるようになると、いくら追い出しても次の日にはまた蟻が列をなしている。彼等がなぜそこにいるのかわからぬうちは言いようのない恐怖に襲われたが、ふと冷静になって列をたどってみると、列が行きつく先は台所の棚の中であり、そこへこぼれた蜂蜜の塊のうえに20匹を超える蟻の群れが蠢いていた。その瞬間に、恐怖が好奇心に変わったのをよく覚えている。

蟻の群れを眺めながら、個体同士の間に発生しては消える相互作用を、あるいは群れを統率する行動原理を見出そうとするような。あるいはただ、各個体が目まぐるしく脚を動かす様にうっとりしてしまうような。そういう理解しきれない遠さゆえの魅力が「乙女」にもある。

乙女の群れは我々がその全貌を知覚できないレイヤーでコミュニケーションし、舞台上であらゆる禁忌を犯す。写真・動画撮影、携帯電話や音の出る機器の使用、食事…。禁忌を犯すことが挑発的であるというだけではない。そのように振る舞うことの彼女たちにとっての意味すらよくわからない。我々の目はそこに意味や規則を探しだそうとするが、それが容易には理解できない。理解しようとしているうちは非常に居心地が悪く、その居心地の悪さもそれはそれで一種の快楽であるわけだが、次第にそういうことがどうでもよくなり、ただ蟻のように動き回る乙女を眺める。

そうして眺めているうちに、各個体に割り付けられた身体運用が見えてくる。双六のあいだは特徴的な歩き方、動き、等々でやんわりと差別化されるにとどまるが、いざ踊りはじめればいかにもダンサー然とした個体ととそうでもない個体とがいるのがわかってくる。身体群は振付や訓練によって均質化されてはいない。

1人がサイリウムを振りその他全員が列になってステップを踏むところ、列のなかの1人がややズレたステップを踏んでおり、あれはそういう演出なのか、単にできなかったのか(いや、さすがにそんなことは許さないような気がするが)、そういう個体間の誤差みたいなものが随所に散りばめられている。

それぞれの身体に特徴があって、それぞれ踊り方が違う、というのは本来当たり前のことである。しかしながらそれは、与えられた振付やそれを遂行するための技術と訓練によって隠蔽されることでもある。ユニゾンを踊るということは、だから本来は不自然で奇跡的なことなのだが、その奇跡は均質な身体が一糸乱れず当たり前にユニゾンを踊るタイプのカンパニーにおいては発見されない。

クリウィムバアニーのような均質化されすぎないタイプの群れにおいて、ばらばらに動いていた個体の動きが徐々にシンクロし、あるとき突如としてユニゾンに入る瞬間に、ああ奇跡だなあと思う。すこし大げさに言えば、そういう鑑賞体験にはなにか別の生物の環世界に触れた時のような感動がある。

僕自身はそもそも男性であることに加え、30歳を超えてそろそろ「最近の若者」というカテゴリーからは外れつつある今日この頃、「乙女」との遠さを突きつけられつつその魅力を堪能した1時間半だった。

***

2019年6月21日(金)~6月23日(日)全4公演
会場:東京都 三軒茶屋 シアタートラム
【振付・演出】菅尾なぎさ
【音楽】Daisuke Tanabe  
【出演】クリウィムバアニー:阿竹花子 金子あい 桑原史香 佐藤想子/コリウィムバアニー:杏あきこ 零ハナ 田中千紗子 津ヶ谷早稀 光こ フカマツマイ 間瀬奈都美

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