見出し画像

大男と闘った日のこと

 今年も残り一か月となった。この時期になると、大晦日が楽しみになってくる。大晦日は私にとって、一年で一番好きな日である。
 実家で炬燵に潜りながら、お酒を飲み、テレビを観る。信頼する人たちと安心できる場所で、何もしなくてよいことが許されて、次の日の朝も特に用事はなくて。そんな、日々の疲労や不安から解放され、心がぽかぽかするような温かみを感じる、とても幸せな日なのである。 

 大晦日の夜は、だらだらと紅白歌合戦や格闘技を観ていることが多い。最近は地上波であまり格闘技を放送されなくなってしまったけれど、あの高揚感を味わって一年を締めくくるのが毎年の恒例であった。

 格闘技は中学生の頃から好きで、ボクシングやMMA(総合格闘技)は今でもYouTubeなどでよく観ている。どんなものでも、人が何かに熱中している姿を見ると、心を大きく動かされる。格闘技はそれがダイレクトに伝わってくるから好きなのかもしれない。

 そんな自分は、格闘技は未経験で誰かと拳で闘ったことは殆どない。高校時代は確かにヤンキーのような風貌や態度をしていたが、実際に喧嘩になったことはなかった。当時の同級生にその頃のことを聞くと、怖くて近づけなかったらしい。そもそも友達も全然作らずにひとりで過ごしてばかりいたのだが。

 そんな私が一度だけ、本気で闘ったことがある。それは大人になってから、二十代半ばのことである。

 友人とドライブに出かけ、あるレジャー施設で休憩していた。喫茶店を出て歩いていると、目の前で警察官と体の大きな男が話をしていた。その男は身長が百八十センチくらいあるだろう、縦にも横にも大きい体躯の持ち主であった。金髪で坊主、いかにも屈強で怖そうな風貌をしている。
 何か嫌な雰囲気を察して、素早く通り抜けようとすると、その巨体が突然走り出した。

「おい! 逃げるな!」

 と、警察官が大声を上げて追いかける。
 私は瞬時に、「足の速さなら自信がある! 自分なら絶対にすぐに追いつける!」と思い、気づいたら反射的に走って追いかけていた。
 案の定すぐに追いついた。が、どうしたらよいかわからない。その男が私に気づいて、振り向きながらパンチのように腕を振り上げてきた。不思議と怖さはなく、屈んで避けて体幹を思い切り前に押した。バランスを崩した男の背後をとる。私はそのときリハビリの専門学生だったので、医学的に人体の生理的な運動パターンを少しは理解していた。そのため、その反対を、つまり、人体の構造上、あってはならない向きと角度へ肩と腕を締め上げた。(この決め技が実際に格闘技の関節技で存在するかはわからない。見たことはない。)巨体は振り払おうとする。その拍子に粉の入った袋がいくつも地面にぼとぼとと落ちた。何か恐ろしいドラッグの類かもしれない。もし振り払われたら逆に襲われるだろう。私もかなり強い力で締め続けた。すると、男は「うおおおお!」と叫び、あまりの痛みにその場から動かなくなった。
 そこへ警察官が息を乱しながら到着し、他にもサッカー少年団のコーチのような男性も手伝ってくれ、ようやくしっかりと警察に引き渡すことができた。
 そこでようやく我に返った。周囲を見ると、大勢の人が離れた場所から弧を描くように取り囲んで見物していた。何だか急に恥ずかしくなって、私はその場から走り去ってしまった。

 友人は驚いて呆然としていた。私も何故このような恐ろしい現場へ足を突っ込むような行動をとったのか理解できない。
 冷静に考えられるようになってから急に体が震えてきた。

「おい、早く車を出そう。心臓がバクバクしてる」

 私がそう言って、友人も目が醒めたように反応した。

「お、おう。あれ、お前って、格闘技とかやってたっけ……?」
「やってないよ、自分でも何であんなことしたのか、本当にわからない」

 そう言いながら車のエンジンをかけ、目的地も決めないまま走り出した。

 今だったら、絶対にあんな危険な行為はしないだろう。相手はナイフを持っているかもしれない。もしかしたら殺されるかもしれない。
 まるで武勇伝のように語ってしまったが(不快になられた方はごめんなさい)、決して褒められるようなものではない。大事な人が同じような行動をとってほしくないし、そんな人が身近にいたならば、私は必ず止めて逃げるように促すはずだ。

 この命は私ひとりのものではない。あなたの命もそうだ。
 私はそのことに時間をかけて、ようやく気付くことができた。

 危ないとき、どうしても辛いとき、闘わなくていい。
 逃げることも生存戦略の上で非常に重要なことである。
 かっこ悪くてもいい。情けなくてもいい。嫌われたってもいい。
 ただただ、生きるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?