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口下手は、他の能力から生じる?

 私は「口下手」であることが悩みである。
 何か説明したり、咄嗟の質問に答えたりすると、乏しい語彙で支離滅裂なことを話してしまう。頭の中がごちゃごちゃになり、まとまりがなく、論理は破綻状態になる。相手が目上の人や洞察力のありそうな人であると、それが顕著に表出されるのだ。
 
 最近も私の口下手は存分に発揮された。職場で看護師長と話したときの自分の言動を思い出すと、今も塞ぎ込みたくなる。ナースステーションでの、とある会話である。
「Kさん、『無人島のふたり』っていう本、ご存知ですか?」
「無人島のふたり」とは、小説家である山本文緒さんのがん闘病記である。私はこの本を読んで、職場である、ホスピスの入院患者に対する認識が少し変わった。感覚として、患者というフィルターが薄くなった気がする。そして、ひとりの人間の人生や生活を思う気持ちがより強くなった。最期までその人らしく生きられるよう、リハビリの立場から支援させてもらう。その重大な役割を改めて考えるきっかけをいただいた。
 この本を職場のスタッフにも広めたいという気持ちから、看護師長に薦めてみたのだった。
「知らないなぁ。どんな内容の本なの?」
 知らなければ内容を尋ねるのは、当然だろう。しかし、私はその返答に窮してしまった。看護師長はホスピスで十数年も働いている専門家である。失礼のないよう、間違いのないよう内容を伝えるにはどうしたらよいか、迷ってしまったのだ。
「がんと診断されてから、亡くなる直前までに書かれた日記なんですけど。ええと、人それぞれ感じ方は違うと思いますが、こんなふうに感じる人もいるんだなと、いろいろ考えさせられました」
 考えながら話しているが、うまく言葉が出てこない。自分でも何を言いたいのか、よくわからない状態である。
「へぇ、そうなんだ。よかったら貸して?」
「あ、いいですよ。でも、長年こういうお仕事されている方からしたら、浅い内容かもしれませんけど……」
「いやいや、それはその人が感じたことなんだから。浅いも何もないよ」
 まったくだ。浅い内容って何だ。山本文緒さんに謝れ。本当に浅い内容と思っていたわけはないが、相手の立場や気持ちを配慮しようと思うあまり、作者の思いを踏みにじる失礼な発言をしてしまった。なんとも情けない。
 
 それに比べて、看護師長はいつも話がわかりやすい。要点がはっきりしており、筋道が立っている。また、他者の話に対しても、本質を見極めて論理的に扱うことができている。まとまりがなくてわかりにくかったり、要点が欠落していたりすると、「要するに、○○ってことね」「で? それは何で?」などと要約や質問することで、相手の思考と言葉の整理を助けることができるのだ。才能なのか、教養あるいは経験なのかわからないが、私にとって、とても羨ましい能力である。
 私は伝えたいことがあっても、うまく伝えられない。このコミュニケーション能力のなさにしばしば自己嫌悪に陥る。
 
 社会で生きていく上で、口下手であることは不利なことが多い。そのことに気づくのが、私は周囲の人より遅かった。
 二十代の頃、尊敬するミュージシャンの先輩から、
「うまく喋られないから、音楽で表現してるんだろ? 音楽やる人間は口下手なくらいがいいんだよ」
 と言われて以来、口下手であることは寧ろ、ミュージシャンの適性であり、特権だと思い込んでいた。
 しかし、社会人になって、そんな自分勝手で独善的な考えは、儚く打ち砕かれた。一対一の会話だけでなく、会議や発表、研修会など、人前で話すスキルが常に問われるのだ。
 
 今はたくさんの「話し方」の本が出版されている。当然私も読み漁り、幾度も実践を試みた。だが、いつまでも習得できず同じ失敗を繰り返す自分に、心が萎れてしまいそうになる。
 
 落胆して帰宅し、妻にこの会話のやりとりや、そのときの気持ちを伝えると、
「相手のことを考えすぎなんだよ。思ったことをそのまま伝えればいいじゃん。『自分の言葉』を話しなよ」
 と指摘された。実にその通りである。相手がどう思うか、また、自分はどう思われるか、そればかり考えてしまい、その結果、自分の思いはいつも後回しにしてしまう。それは妻の言うように「自分の言葉」ではなく、他者を基準にした言葉なのである。
 
 つまりは、話し方の問題というより、自分の特性なのだ。良い意味で捉えるなら、他人に配慮しようとしすぎる特性に由来しているのかもしれない。
そう考えると、口下手は他の能力がぶつかっている状態なのだと結論付けることができる。
 もっと自分を優先していいんだ。
 このことは、話し方に限らず、生き方にも通ずるものだと思う。
 三十代後半、身体の衰えを痛感するばかりだが、まだまだ人間として成長できる。我々は死ぬまで、常に進化の途中なのである。

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