「現代社会に生きること」精読終了にて……

「中井久夫研究会」にて、「中井久夫集Ⅰ 働く患者」より、「現代社会に生きること」の朗読を終了することができた。
当初は2名で行ってきた会であったが、先日の読書会では1名増え3名で開催することができた。
本文は1964年に書かれたものであり、「現代」とはいいつつも、今より半世紀以上も昔のことである。ただ、中井の描写する「現代」と今の私たちが生きる意味での「現代」との不気味な相似に、中井の先見性を感じずにはいられない読書体験であった。
テキストにはみすず書房の「中井久夫集」を使用しているが、注釈の不十分さをたびたび参加者の方より指摘されている。このあたり、今後も注視しながら進めていきたい。

さて、本文中においていくつか印象に残った箇所がある。

われわれが幼かった二、三〇年前までは、どの村や町にも一人か二人はいた、無害で善良な、少し知恵の足りない人たちはどこへ行ったのだろうか。あれは、精度の低い、ゆとりのある社会の中の存在だった。人々は、けっこう好意的な微笑をもって彼らをふり返り、かれらは店の手伝いを気まぐれにやらせてもらったりして、ふしぎに食いつめずに生きており、その街の一種の名士にまでなりおおせていたものだった。いま、かれらが街頭に立ち現れたとしても、子どもたちですら、かれらを振り返り見るだろうか。

これは「現代」が現代へと成る過程において失ってきた一つの時代的な産物であろうと思う。「無害で善良な少し知恵の足りない」人々というものが、具体的にどんな人を指すのかは難しい。だが、人は家庭内で養育される「子ども」と社会に出て「大人」とカテゴライズされてゆくが、そのどちらにも属さない、あるいは属さない人々のことを指すのだろうと私は理解した。そして、そういった人々への眼差しにこそ時代の持つ特有の空気というものがあるのだと思う。これらに対する「現代的な眼差し」は、中井の文章を読むにつけあまり好意的なものではないように思える。そして、現代社会というものはそういった中間的な存在を「許さない」。このことを端的に表現したのが以下の文章である。

「正常であれ」という非情な要求、そうして、現代の人間として落伍しないために「自分は正常であろうか」とつぶやきつづける人間、なぜなら高度に組織された社会からの落伍はそうでない社会からよりも、はるかに徹底的で救いのないものであろうから、これは、現代の一つの縮図と言えないであろうか。

たとえば、精神病の治療は今日非常に進歩し、多くの精神病が事実上治るようになった。しかし問題なのは、現代社会のさまざまなは人間的な側面にも耐えられるようにまで「治ら」ねばならないことである。社会復帰は、社会の方が壁が高くなってゆくために、ますます困難となりつつある。

「正常であれ」というのは、社会からの無言の圧力であると同時に、正常/異常の二元論の構造を内面化した個人内における内言でもある。その生き方というものは強迫的なメッセージをはらんでいる。精神疾患の治療においても、それは疾患を「治す」というよりも、本質的には「この社会に適応するがために『治す』」というものであり、これは治療というよりも矯正に近い。
社会というものはある意味で鋳型のように私たちにとって働く性質を持つ。その型は、次第に「人間らしさ」を失い、「非人間的」な側面を強めていく。そうした視点から精神疾患という現象を眺めてゆくと、これは一つの防衛本能として働いているのではないかとも思える。
そうしたことが起こる社会というものは果たして健全であるといえるだろうか。
そうした社会の中で生きる人々の抱える不安と空虚さというものは、先進社会特有なものとして認識をされているが、こうしたものを自明なものとして受け入れることのできない人が「病んでいく」という構造を持っていることに、多くの人は気づいていない。むしろそうした人々を排除し、自らの機構を強化する方向へと進んでいく。中井の書く「現代」はそうした萌芽の見られた時代であり、経済成長の只中にあってあまり自覚的に捉えられた節はない。だが21世紀の成熟し低成長期(むしろ緩やかな衰退期に入ったかもしれない)に突入した社会の中に生きている私たちから眺めてみると、中井の指摘したことはより先鋭的な雰囲気となって時代を覆っているような気がしてならない。
中井のもう一つの指摘は以下である。

……ある友人は、東京に移り住んだ体験をこのように語る。「久しぶりに京都へ行って、市電に乗った。するとね、不思議なんだ。乗客のあいだに何か交感がある。赤の他人のはずなのに感情の交流がある。石ころと違ったものとして、触れ合っている。東京では、そうじゃない。電車の方も石ころを運んでいるつもり、こちらのほうも、運ばれているあいだは、死んだも同然。「存在すること」を止めている。京都に住んでいた時は、ああいう、低音の交感など気づきもしなかったがねえ」

おそらく、「疎外」のいちばん奥深く、目に見えない形は、「基本的な体験からの疎外」ではなかろうか。われわれは、この否定的な潮の流れに対して何かを対抗させながら、つまらないものに足をとられずまた生きがいを求める人間の底力を放棄せずに、自分の人生を組織してゆくべきだろうか。それは現代の人間に課せられた最大の課題であり、社会の基本的な未来像を含む、「人間的なものの一切」は、この課題と無縁ではあり得ないだろう。

存在することをやめることと、基本的体験からの疎外というものは、原理的には繋がっているように思える。無機物としての存在する(させられる)こと。しかもそれが都市社会のあらゆる場所でごく当たり前に出現することであるとするならば、どうだろう。その典型例は労働の中においてだろうが、人を非人間的な一つの部品として扱うことを憚らない、現代的労働とは、恐らく最も「基本的体験から疎外」されている瞬間である。人はものを考えることを放棄し、自ら進んで部品や道具になりたがる。
いつから現代という時代がこのような時代になったのかは分からない。近代から現代への過程そのものが、もしかするとこのような非人間的な、基本的体験からの疎外をもたらすものであったのかもしれない。それらを内面化できない人間は社会そのものから落伍するか、病むことでしか「存在」をすることができない。
それが「現代社会を生きること」ということだとしたら、そのような生の中に在ることは一種の悲劇であり、喜劇でもあるだろう。


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