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基礎は大事だけどスタートではないかもという話

ヨシミツダです。
何ごとも基礎は大事ですよね。
でも、最近の自分の学び方を振り返ると基礎的なことを最初からやることは少ないかもと感じます。

自分には自営業で料理屋をやっていた母親がいるのですが、妙に説得力のあること言う不思議な力がありました。

会計士や税理士がやりそうな仕事もケチって自分で覚えてやってるような人だったので、商売の経験の差かなと長いこと考えていたのですが、最近もう少し掘り下げて理解できるようになってきました。

彼女の知識は帰納的に構築されているものが大部分で、ほぼすべての知識を自分の経験に近いところから獲得して持論を構築しています。
たとえば、わかりやすい例でいうと料理方法などです。さらにみんなが美味しいと評判にしている料理屋さんでも安易に「美味しかったね、よかったね。」とか気を遣って言うような人ではありませんでした。人にお祝いで招待された有名店でも、あそこはイマイチとばっさり斬るような人でした。
子どもながらに失礼なやつだと感じてましたが、一方で周りに流されず判断できるのはすごいなと一目おいてました。

持論は、経験により作られるので、もちろん隙間がいっぱいあるのですが、足りないところは必要になった時に獲得して持論はアップデートされます。なので、発言はいつも自信に満ちています。

振り返ると最近の自分も同じようなことやってる気がしていて、昔はとにかく始める前に本をたくさん買ってきていろいろ理解したつもりにならないとはじめられなかった感じですが、今は実行できるまでの基礎知識くらいまで準備ができたら、とりあえずやってみます。もちろんうまくいかないのですが、対策とかもいったん調べずに自分で考えて対処します。しばらく試行錯誤したあとに参考程度に本を読んだりしますが、すべてをまるっと信じるようなことはしなくて、ここは似てる感覚、ここはちょっと感じたこと違うなどというように主には「なぜ」みたいなところが言語化されてるとこをチェックしてる感じです。

ここまできて、少しうまくいくことが増えると次のステップとして得た知識を体系化したくなります。そこではじめて、今やってることの基底のような要素を考えはじめて、それが基礎になっているんだということを認識するんですね。

もちろん似たような理論は誰かに帰納化されていて、そこから演繹的に何かに応用するというアプローチもとれるのですが、帰納されてる理論は他人の理論なので、完全に信用を預けきれないところがあります。その点、自分でたどりついた持論は、前提も含めてプロセスがわかってるし、なんなら間違っていればアップデートすればいいんですよね。

めっちゃ効率悪いやんと思われた方もいらっしゃると思いますが、やっぱり発言の自信はこういうプロセスの積み上げからくると思うので、自信が怪しい他人の理屈を持論のベースに据えるよりいいと思うんですよね。

で、こうやって学ぶプロセスを眺めていて気がついたのですが、基礎がでてくるのはだいぶ後なんですよね。不思議と。

先日、夏の甲子園で優勝した慶應高校野球部のキャッチボールのやり方をみてたのですが、一度ボールを下に落として、バウンドさせた後にグラブでボールをキャッチしてスローイングするという一風変わったやり方をしてました。
ですが、たしかに実際の試合では正面からボールを胸の前でうけて、そのまま投げれるシチュエーションよりも、バウンドしたボールをとってスローイングするシチュエーションの方が圧倒的に多いように思います。
これも、多分経験から持論を組み直しした事例の一つではないかなと感じます。基礎からはじめようと思う人はたぶんキャッチボールのやり方を変えようと考えないと思います。

ということで基礎は大事だと思うものの、スタートポイントじゃないかもなと感じた話でした。

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