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努力の種類

小学生の頃、卒業式のときに
「努力に勝る天才なし」という色紙を校長先生からいただいて、自分ってひょっとして努力してる人なのかもと感じて以来、努力することは大事にしてきたつもりでした。

しかし、大人になってから努力には種類があり、自分が実行してる「努力」がどんな内容なのか理解しないと、よい結果につながらないということを自覚するようになりました。

今日はそんな気づきを共有したいと思います。

3つの努力

努力には、3つの種類があると思います。

一つ目は、努力してるとみせたいための努力です。二つ目は、努力する気持ちはまっすぐなんですが、検証しない努力を繰り返す努力です。
三つ目は、努力の中身を検証しながら、試行錯誤しながら進める努力です。

なんとなくお気づきかと思いますが、自身の成長という観点でみる場合、三つ目の努力以外は結果につながりにくいです。
また、外からみるとこの三つの努力は、区別がつきません。同じことをしているように見えるので、一つ目の種類の努力や二つめの種類の努力をしていても周りの人からは「がんばっとるな〜」と言われがちです。そのため、本人が認識しない限り、努力の種類は認識されにくいのです。

それぞれの努力の種類をもう少し説明します。

努力してるとみせたいための努力

これはまじめで、言われたことをしっかりこなす義務教育の成績がよかった人ほど陥りやすい努力です。かくいう私も、この種類の努力に陥ることが多いので、意識的に方向修正するようにしてます。
これは、「がんばる」という意識からくるものかもしれません。「がんばる」という言葉には、どこか大変で気が重くなるようなことをやるという意味が含まれている印象があります。
たとえば、仕事の要請などで、何かの学習が必要な時に、なんとか説明しないといけないので、「がんばって」あんなことやこんなことをやってます、、みたいなことを言った経験はないでしょうか。
とりあえず、文句言われないようにやっておこうというような類の行動です。
こういった行動は、行動したという事実にのみフォーカスしていて、行動から得られた内省などによる学びが薄くなりがちなので、学習の成果が得られにくく、実利のすくない行動になりがちです。「あいつは何もやってない」と避難されることを回避したくなりがちな部分が根っこにあると思います。

こういった努力に対して、承認欲求を守ることはある程度必要ですが、真に達成したいことに向けて必要なことなのか吟味して、やらないという決断もありだと思います。

検証せずに繰り返す努力

次に陥りがちなのは、上達したい、学びたいモチベーションは健全ですが、努力の中身がよくない努力です。努力を結果に結びつけるためには、努力とみなしている行動が常に検証し続けられる必要があります。意識的にチェックされて、効果が検証できてない場合、それは単なる惰性による悪い習慣になっている可能性があります。

スポーツの世界がわかりやすいのですが、素振りやシュート100本などは、その動きのプロセスをチェックせずにやっても効果は生まれません。
意識的な練習を繰り返しながら、無意識によい動きを再現できるようにすること、その状態で訓練する時間を持つことが重要になります。

また、最初は有効だったことが意識や身体レベルの向上により、有効でなくなることもあります。こういった変化に自覚的になり、努力の練度を変えていく必要があります。

検証しながら進める努力

すでに説明してしまってますが、努力を検証しながら進めている状態がよい状態ではないかと思います。積極的に検証しているとき「がんばる」という気持ちすらなくなっていることでしょう。

よく、プロセスより結果だということをいう人がいますが、個人的にはプロセスのない結果などないと感じていて、あるのはよく検証された練度の高いプロセスになっているか否かではないかと思います。

特に私の場合、「努力したいとみせたいための努力」が長年ね生活でしみついており、そんな状態になっている自分を感じた時は、ほんとに手放せないんだろうかと考えるようにしてます。

というわけで、3つの努力について紹介してきました。

努力してるとみせたいための努力、歳とってくると、人生の時間は限られてると感じる気持ちが強くなるので、ほんとやめたいなと感じます。
ではまた。


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