話すことで整理出来ること

noteを書く習慣のお陰で、最近自分の感情や心の状態が具現化して自分自身の見直しとなっている。文章を書くのが上手・下手は別として子供のころから書くことは好きだった。子供のころは小説家になりたいと卒業文集的なものに書いた記憶がある。今思い出すとこっぱずかしいが、今の時代こんな形で自分が発したものをどこかの誰かに見てもらえているんだから、すごいことだと思う。

ある意味、子供のころの夢は達成したのではないか?と思うくらいだ。


自粛のお陰で今は直接会いに行けない私の先生と、オンラインでヨガをしている。最初のころはアーサナメインでオンラインしていたけれど、ここ最近は私の人生相談のような、心のお掃除サットサンガをすることが多い。

ここ1か月の間に目まぐるしく環境が変化する中、気づいてしまった感情、これからどうしていきたいのか?自分の潜在意識にあるものを気づかせてくれるようなサポートをしてくれる先生。私が昔、色んなことが行き詰って苦しくなった時に、ヨガをする本質を教えてくれたのが先生だった。

こんな話すると、知らない人は「やべー何かの宗教か?」とか、思う人もいるかもしれない。普段何気なく誰かの相談話を聞いてあげるのも、するのもある意味サットサンガなのではないだろうか?自分に意識を向けて乱れた大波を鎮めるために悩んだり葛藤したり。生きていく中で荒れた波が来た時、穏やかに調和する場所を探す。ストレスが溜まって体を動かす、自分に集中する。言葉や形は違えど、だれしもヨガをして生きている。

と、今ではそう思えるのだ。ちなみに先生は私よりも若くて、とてもかわいらしい天使のような方だ。(いや、本当に天使かもしれない)

私は自分自身の悩みとか、人に話すことがとても少ない。大人になって特に一人で考えて一人で解決してきた。本当に困った時や、何かヒントが欲しい時に、このヨガの先生と姉妹のように慕っている叔母にしか話さないので、話した時に初めて「自分はそんなこと思ってたんだー」って気づくこともある。相談したくなって二人の顔が思い浮かんだ時、電話して連絡を入れる時は、自分では気づいていないけれど、たいてい自分の腹が座っていることの方が多い。

話をしていくうちに本当の気持ちに気づいて最後には「mitsumuの気持ちは決まってるんだね。」と言われるのだ。

普段の生活では人と話をするのは好きなので、自分の意見も言う方だし、相手の話を聞くのも好きだ。

夫は私の話は聞かないので、大事な話とか全然できない。それでいながら、結果を報告すると「なんで相談しないんだ。」とキレることが多い。大事な話はまともに出来ない。それに、自分の意見や考えを曲げないので相談にもならない。夫は自分の心を外に出さないので、いつも結果だけを報告される。こちらも相談されることはないのだ。

じゃあなんでそんな奴と結婚生活しているのか?という疑問やコメントを言われそうだが、それとこれとはまた別である。夫には夫の脳内があり、色々悩んで考えている。他の人の意見やコメントを入れる容量が無い時に、私がついうっかり発言をして怒らせるようだ。特に仕事で大変な時は家でも会話しない。そんな夫でもたまにポロっと本音を言う。そういう時に私はサポートしていきたいんだと実感するし、私が仕事で本当に苦しい時に私という本質を受け入れてくれるような言葉と愛情をくれる。お互い不器用でうまくいかないことが多いけど、なんとか成り立っている。いろんな夫婦があっていいんだと最近は受け入れられるようになった。

そういう私も昔は、夫婦はいつでも話し合いが出来て、お互いが歩み寄れるモノだと信じていた。SNSとかで上がっているようなキラキラした夫婦が良い夫婦だと思っていたし、お互いの家族や友人を沢山交流するのがいい家庭、いい人間のように思っていた。

しかし、現実はお互い営業や販売職など接客業的な仕事を経験していながら、本来は人見知りで対人疲れしやすい。家では極力のんびりOFFでいたいので、本当に心許せる家族や数少ない友人しか我が家には来たことがない。

結婚生活を長く経験していろんな意味で一風変わった我が家のような夫婦でもケンカしながらも仲良く暮らしているのだからそれでよい。互いの特性を理解して共存する。それでいいのだ。(決して依存ではない)

依存するようになったら、それはまた違うのだ。お互いの凸凹を理解してお互いが心地よく生活できるスペース空間が大切。

忙しく働いていたころは、そんなことにも気づかず「こいつなんで家事手伝わないんだ」とか、「こっちだって働いているんだから手抜きさせろよ」とか思っていたし、心身疲弊していた。

自粛生活のお陰で、色んなことに変化が起きている。これを読んでいる皆さんもきっと何かしらの変化や感情が起きているに違いない。

これからの自分の人生や生活を見直す時間となっている「今ここ」に感謝である。

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