古事記の冒頭のおはなし(大和言葉で読み解く古事記)

それでは、前回お伝えさせたいただいた47音の一音一音に意味がある大和言葉を用いながら、古事記を解説していきたいと思います。

前回の記事は、以下をご覧下さい。

まず、古事記の一番最初である冒頭部分の読み下し文です。

天地初めて發けし時、高天原に成れる神の名は、天之御中主神。次に高御産巣日神。次に神産巣日神。この三柱の神は、みな獨神と成りまして、身を隱したまひき。
次に國稚く浮きし脂の如くして、海月なす漂える時、葦牙の如く萌え騰る物によりて成れる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遲神。次に天之常立神。この二柱の神もまた、獨神と成りまして、身を隱したまひき。
上の件の五柱の神は、別天つ神。

さまざまな神様が登場して、何の話をしているのか意味が良くわからないですよね。
大和言葉の意味を説明しながら、少しづつ読み解いていきます。

天地(アメツチ)初めて發(ヒラ)けし時

「あめつち」は、地球上の大地に立った人類が認識した天と地です。
大地を踏みしめながら空を仰いだということですね。
ですので、

「地球上において、人類が大地を踏みしめ、はじめて空を仰いだ時」

という感じです。
天と地をはじめて認識した人類って何を思ったんでしょうね〜。

高天原(タカアマハラ)に成れる神の名は

原文には、「高天原」の下にこのような注釈が付いています。
”訓高下天、云阿麻。下效此”
訳すと「高の下の天は訓読みで阿麻(アマ)という。下これにならえ」ということになります。

古事記編纂者の太安万侶(オオノヤスマロ)は苦労して漢字の音読みと訓読みを駆使して表現し、わかりにくいところはこうして注釈を入れてくれています。
中国大陸で生まれた他国の言語である漢字を駆使して、もともとあった大和言葉とハイブリットさせた苦労を考えると、とてつもなく壮大な言語創造の事業が行われたということです。頭が下がります。

太安万侶の言う通りに「高天原」を読むとタカアマハラと言う読みになります。

「タカ」
タ 高くあらわれ、多く満ち広がるという意味があります。
カ 幽玄なもの、奥深さ、疑問を表します。(風、影、霞など)
タカとは、幽玄に高く満ち広がっていること

「アマ」
ア 一番口を大きくあけて、開放する。開ける。
マ 真理、時間、空間を表します。隙間は空間、束の間は時間。(時空不二)
アマとは、時間・空間が一番開放されているところですので、「宇宙」を表します。

「ハラ」
ハ 悟空のカメハメハのように出て行くもの発現するものを表します。
ラ ラ行は、下を巻いて発声しますので、変化活動を表します。
ハラとは、発現したものが活動することです。
日本人は、ハラで感情を表します。ハラが立つやハラを決めるなど。頭ではなく、腹が感情を決めていると感じているのが大和言葉の世界観です。また、指のハラ(氣が発現して活動しているのでしょう)ともいいます。

高天原(タカアマハラ)とは、大宇宙における高く満ち広がり、発現したものが活動を行う場所ということになります。

ミは、マ行のイの段ですから、マの真理とイの命の働きは合わさって、そのものの本質を表します。

神(カミ)とは、目には見えない幽玄なる本質となります。
ですから、西洋の様に一神教のゴッドではなく、何か目に見えない幽玄で、そのものの本質を認めた時にカミと表現するのが、大和言葉の世界観です。
何にでも神性を認めて、八百万の神と表現するのは、この大和言葉の神からきているんです。

ですので、「高天原に成りませる神の名は、」は以下の様になります。

「高天原という宇宙の活動の場に、目には見えない本質としてのカミが既に存在していました。その神の名は、」

ナは、調和を表しますので、成るとは、生成したというより、そこに馴染んでいたと、既に存在していたと解釈するのが大和言葉的に自然だと思います。

天之御中主神(アマノミナカヌシノカミ)。

一番最初の神が登場しました。
その神の名は、アマノミナカヌシノカミです。

この神様の名前を大和言葉で紐解いて行きます。

アマ 宇宙
ノ 接続を表します。
ミナカ 幽玄に(カ)調和(ナ)している本質(ミ)ですので、中心ということになります。
ヌシ ヌはナ行のウの段で調和が閉じることで意味が強くなり一様にするという意味になります。シは、サ行のイの段で繊細な命の働きで水を表します。占めるとかの統一する意味も出てきます。その場所を静かに統一したい時は「シーッ!」といいます。ヌシは、一様に統一するという意味になります。

ということで、天之御中主神は、

「宇宙の中心(ミナカ)で宇宙を一様に統一している目に見えない本質」

という意味になります。
中心とは、現代人はどうしても円や球の中心というように物理的な中心をイメージしてしまいますが、あくまで目には見えないが幽玄に調和している本質(ミナカ)ということですのでご注意下さい。

次に高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)。次に神産巣日神(カミムスヒノカミ)。

次に登場する神は、「タカミムスヒノカミ」と「カミムスヒノカミ」です。
この二つの違いは「タ」があるかないかです。陰と陽の違いがあります。
「タ」がある方が高くあらわれ多く広がるということから陽の働き、ない方が陰の働きです。

「カミムスヒノカミ」
カミが二回出てきますが、最初のカミはカムの音便です。
カ 幽玄なもの、奥深さ、疑問
ム マ行の真理とウの段の閉じるが組み合わさって、内なる発酵・増殖を意味します。
ス スを発声すると鋭く前に出て行きます。統べるという意味がでます。
ヒ 氣の力、エネルギーです。

目には見えないが、モノゴトを形作る生成力を意味するカミ(目に見えない本質)が、カミムスヒノカミです。
男女が結ばれる”ムスヒ”、おむすびの”ムスヒ”、紐を結ぶ”ムスヒ”など、我々は、目には見えないけれども生成力を感じて”ムスヒ”と表現しているのです。

「陽の目に見えない本質である生成力と陰の目に見えない本質である生成力がありました。」

この三柱(ミハシラ)の神は、みな獨神(ヒトリガミ)と成りまして、身を隱したまひき。

ハシラについて
ハシとは、ハっと出ていき、シには統一する意味がありますので、岸と岸を繋げるブリッジのハシ、食事と口を繋げるハシ、1階と2階を繋げるハシゴとなります。
神様は我々と繋がりますので、ハシラとなります。

獨神というのは、後に登場する神様のように陽と陰の対ではなく独立していますということです。

身を隠すということは、目に見えて認識することはできませんということです。いわゆる、目には見えない作用ということになります。

「アマノミナカヌシとタカミムスヒとカミムスヒの三柱の神様は、それぞれが独立した神様であり、目には見えません。」

次に國稚(クニワカ)く浮きし脂の如くして、海月(クラゲ)なす漂える時、葦牙(アシカビ)の如く萌え騰る物によりて成れる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遲神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)。

クニについて
ク カ行のウの段ですので、目に見えないところで閉じるので結合の意味が生じます。くむとかくくる。
二 ナ行のイの段ですので、調和における命の働きとなります。ですので 醞釀(うんじょう)の意味ができます。煮るとか似るという感じで時間をかけて調和する様子です。
大和言葉におけるクニとは、長い時間をかけつつ結合し、醞釀され似てくるということです。そうした場所のことをクニと表現します。自分の故郷のことをおらがクニといいますよね。(若い世代は言わんか...^^;)
国境のある国家とは意味合いが違ってきます。
ですので、ここの”國稚く”というのは、宇宙空間になる前の状態で、組み組まれていないクニと言えない状態ということになります。
その状態をアブラやクラゲに例えています。

そして、葦牙の成長力のように勢いよく燃え上がり出来た神様が、ウマシアシカビヒコヂです。
ウマシ とても優れている。美しい。
アシカビ 目に見えない(カ)エネルギー(ヒ)が開放(ア)されて統一(シ)している
ヒコヂ エネルギー(ヒ)が凝り固まり(コ)継続(ヂ)している。

ここを大和言葉で紐解くと
「宇宙ができる前の固まっておらず、アブラやクラゲのように漂っている状態の時に、葦牙の様な成長力でエネルギーが開放され燃え広がり、そのエネルギーが凝縮された状態となりずっと継続している。」(ウマシアシカビヒコヂ)
といえます。

考えようによっては、ビックバンを表現しているとも考えられます。

次に天之常立神(アマノトコタチノカミ)。

別天つ神の五つ目の神様は、アマノトコタチノカミです。

アマ 宇宙
トコ つねに
タチ 高く多くの広がりが継続している。(安定している)

常夏のハワイとは、ずっと夏のことを言いますので、常立とはずっと安定しているということになります。
ですので
「宇宙は、ずっと安定して存在している」(アマノトコタチ)
ということになります。

この二柱の神もまた、獨神(ヒトリガミ)と成りまして、身を隱したまひき。

「ウマシアシカビヒコヂとアマノトコタチの二柱の神様は、それぞれが独立した神様であり、目には見えません。」

上の件の五柱の神は、別(コト)天つ神。

「ここまで登場したアマノミナカヌシノカミ、タカミムスヒノカミ、カミムスヒノカミ、ウマシアシカビヒコヂノカミ、アマノトコタチノカミの五柱の神様は、特別な存在であり天つ神とはことなります。」

となります。

ふーーーーーっ。汗汗汗。
ずいぶん長くなってしまいました。すいません。
丁寧に紐解いたつもりでおりますが、ご理解いただけましたでしょうか。

まとめてみますと以下のようになります。

人類が誕生し空を見上げた時、空には大宇宙が広がっていました。
宇宙には、中心(ミナカ)を司る「アマノミナカヌシ」そして陰陽の生成力を司る「タカミムスヒ」と「カミムスヒ」が居ました。
そして、宇宙のミナカと陰陽の生成力の働きによって、一気に燃え上がり広がっていきました(ウマシアシカビヒコヂ)。遂には、常に安定して大宇宙が存在するようになりました(アマノトコタチ)。

こうして大和言葉を用いて紐解いていくと古事記の冒頭には、宇宙創世のはなしが説かれていると解釈することができます。

こんなイメージです。

画像1

私はこの話をはじめて聞いた時、日本の神話の冒頭に宇宙創世のはなしとは何とスケールの大きいことかと感動しましたが、太古の方々にしたら当たり前だったのかもしれません。
現代人があまりにも自然から離れてしまったのでしょう。

そして、私がとても大切だと感じることは、

単に宇宙の創世だけに止まらず、上の図は全てのモノゴトに当てはまるということです。

我々人間も一人ひとり、このようにミナカがあり、陰陽の生成力があり、燃え上がる様に成長しており、常に安定している。ということになるのだと思います。

とても大切な根源的なことだからこそ、古事記の一番最初に持ってきたのだと私は思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次は、神代七代へと続きます。お楽しみに!

【参考文献】
古事記 倉野憲司校注 岩波文庫
縄文のコトダマ 林英臣著 博進堂
やまとことば伝説 林英臣著 博進堂
大和言葉の世界観 河戸博詞著

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