母の死

根の国の母の文かと冬の雲 光本弥観

俳句をはじめて間もない時期に詠んだ句です。母や子や孫をテーマにした俳句は巷にありふれており、陳腐になりやすいのであまり詠まない方が良いとされます。この句も御多分にもれずですが、冬空の雲が何だか文字に見えて直観的に母が浮かんで来たので、自分の中では気に入ってます。俳句は自分のために作るものですので、周りの評価など関係なく自分の中で一生大切にしていきたいと思っています。

小学校3年生の12月でした。その日は学校に行った記憶があるので平日だったと思います。神戸の東灘区にある住吉台団地に住んでおり、神戸市立渦が森小学校に通っていました。
朝起きると母親が口から泡を吹いていました。今でも鮮明に覚えています。父親から学校へと送り出されたのですが、学校でどの様な気持ちで過ごしたのかは覚えていません。
次にある記憶は、叔父さんと二人で病院に向かう車の中です。
「お母さんは、おじいちゃんのとこに行ってしまう」と寂しそうに叔父さんは言いました。おじいちゃんは4年前に亡くなっていました。
そのあと、病院で意識のない母に会っているはずなのですが、誰かに消されたかのように一切の記憶がありません。
母は、30歳という若さで、この世を後にしました。くも膜下出血でした。
それからは、おばあちゃんが母親代わりとなる生活が始まります。(つづく)

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