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母子共依存 その10「母とのスキンシップ」

こんにちは、自分見つめ隊です。

前回は、先日受けたカウンセリングの内容から、主にインナーチャイルドセラピーについて書きました。

今回は、カウンセリングの振り返り最終回、母とのスキンシップについて書いてみます。


あくまで私の感覚ですが、小さい頃の母とのスキンシップは少ないほうではないかと感じていました。

手をつないでくれることは多かったですが、喜んだときなどにハグしてくれた記憶があまりありません。

その反動か、大学生時代に急に母に「ママ~」と甘えてハグするようになった時期がありました。(それまで「おかあさん」としか呼んでいなかったのに)

もちろん、半分ノリみたいなところはありましたが、小さい頃に足りなかったものを無意識に埋めに行っていたのかなとも思えました。


カウンセリングを受けていてふとそのことを最後に思い出し、先生に聞いてみました。

先生は「愛着関係」という言葉を紹介してくれました。

赤ちゃんは、母親がくっついているだけで安心する生き物。

「お母さんはどこにもいかない」という安心感が、基本的信頼感を育てるということ。

しかしスキンシップが不足すると、見捨てられ不安を抱くようになり、他人を信頼しきれなくなるということ。

母に自分の意見を言わない、世の中に対して疎外感を感じる、周りを疑ってしまう、などの影響が出るそうです。

私の母については、スキンシップが仮に少なかったとしても、その分、言葉で補おうとしていたのかもしれない、と先生は教えてくれました。

カウンセリングを受けた当時、私の主訴は「親心を読めと言われて悩んでいる」というものでしたが、最初に先生に自分のことをざっくりと伝えたとき、もうひとつの大事な訴えがあったと先生は指摘してくれました。

それは、「母が怖い」と私が表現したことです。

怖いということは、「見放されるのが」怖いということかもしれない、と。

正直、すぐには腑に落ちませんでしたが、今あらためてこの記事を書きながら考えてみると、少なくとも実家にいたときはその通りだったなと思います。

母親に「もう知らないよ」と言われるのが恐怖でしかなかった。

そこで反省して謝罪して行動を改善するなどといった発想ができず、ただただ恐怖におびえてしまっていた。

その時の恐怖感と、今回のカウンセリングで伝えた恐怖は、感覚的な怖さは似ていると思います。

ただ今回の恐怖は、質的には、逆に私の言動で、母から火がついたように長文メッセージが送られてくることが怖いというものです。

もう見放してくれてもいいのに!そんなに私をコントロールしたいのか!私のやることがまだまだ信用できないのか!勝手にやらせてくれ!と思ってしまう程。

自分でも書いていて、この感情をうまく表現するのが難しいです。

見放されるのが嫌だった過去、私を否定して変えようとしてくるのが嫌な今。どちらも母に対する恐怖は同じぐらい。

今はそれに自分の怒りも混じってさらに複雑な状態に思えます。


少し話がずれてしまいました。

先生は、私に一つ確認しました。

「お母さんは、お風呂に一緒に入ってくれましたか?」

あります、小学生ぐらいまでよく一緒に入ってくれました、と答えました。

「だったら大丈夫です。そんなに心配することはありません。お風呂に一緒に入ってくれることも、大事なスキンシップです。」

そして、最後に幸福度の高いアジア圏の国の子育てを教えてくれました。

母親は、子どもが12歳くらいまで、「とにかく抱っこする」のだそうです。

そうすることで、子どもへ肌のあたたかみを伝える。

そして、子どもが嫌がったら子育てが終わり。

とてもシンプルだなあと感じます。

自分が子どもをもつのはもうしばらく先ですが、肌のふれあいも大切にしたいと思います。


この辺の話はメモが追い付かず、いつもにも増してまとまりがなくなってしまいました・・・


それでは、今日はこの辺で。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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