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自己紹介

写真家。フリーのカメラマン。

高知で高校まで過ごし、大学時代は神戸で3年と留学のためカリフォルニアで1年過ごす(国際関係学専攻)。大学卒業後マレーシア・ペナン総領事館で2年契約のスタッフをしたのち高知に。当時はフォトジャーナリストを目指しており、東京と行き来しつつ取材して売り込んだりしながらアルバイトなどしていた。

その後2年ほど東京に住むことになるのだが、その間は英語がある程度わかるので繊維製品の海外のオーガニック認証をとるための手続きや海外との取引をしているECサイトの手伝いをしたり、スナックでも2年以上お世話になった。

フォトジャーナリストになりたいとは思っていたが具体的にどうすべきかよくわかっておらず、なんとなく過ぎて行く日々の中でもある程度いろんなことが起こり、経験し、考えることもあり、徐々にドキュメンタリー志向になる。同時期に参加した、Tokyo Documentary Photo Workshopをきっかけに認知症の祖母を撮り始め、自分が撮りたいのはこういう小さな、ともすればすぐに忘れられて行くような、けれどある人にとってはその人なりの重さを持って感じられるような出来事なんだと思い始める。2015年ごろのこと。そして高知に帰ってきて、やがて祖父母が住んでいた家に住み着く。フリーのカメラマンとしてなんとかなんとか、やっていけるようになってくる。

2020年1月13日、祖母なくなる。100歳だった。私は35歳になった。今、3月1日の49日まで、祖母にお供えするご飯を作ったり、お茶入れたり、お線香したり、お菓子やお花を買ってきたり、の担当中。「やらなきゃ」という気持ちと、「49日が過ぎたらもっと祖母に対してやれることが少なくなる」という気持ち。今思えば、病院にいて寝たきりでご飯も食べられず言葉を発してくれなくても、触れられて体温を感じられるだけでもそこにいてくれてよかったと思う。今お骨はここにあって、49日までのあちら側のシステムどうなってるのかよくわからんけど、ずっと食べたかったご飯いま食べれるチャンスながかな?お菓子とかお餅とか。

つれづれなるままになってきたので、こんなところで。書いて整理したいのと、あとで思い出したいので書きたくなっています。 2020.2.4-5


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