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アクマモドキ

一章 プレイバック・デーモン

 悪魔みたいなガキだ――。
 まるで安い漫画みたいですよね。ほら、あるじゃないですか。なんとなく主人公を酷い目にあわせて、それで盛り上がりを演出する。
 ああ、そうです、そういうの。
 別に悪いことではないと思います。いじめとか、不倫とか、そういうのって物語にしやすいじゃないですか。ヒキも作れますし、細かく区切って掲載するwebやアプリの漫画向きですよね。課金させたいなら、一番わかりやすい手法なんじゃないでしょうか。
 失礼、話がズレました。
 そうそう。なんだか、そういう漫画みたいなことを、小さい時に言われたなと。
 相手ですか……? 叔父です。叔父。母方の叔父さんで、これもまた漫画に出てくるような人でした。ジャイアンタイプというか、ガキ大将気質というか。喧嘩っ早くて、勉強嫌いで、女好き、みたいな。でもいい人でしたね。そこまでわかりやすい性格なのに、物語のキャラクターと違ってとにかくいい人で、割と皆に好かれてました。まあ、そんな人にああいうことを言われたんですけど。
 酷い、ですか……。なるほど、まあ今となっては自分が悪かったと思っているので、あんまり不満はないですね。
 はい。そうです。その時結構いい感じにボコボコにされたんですけど、それもそんなには。気にならないというか、そんなもんかなと思ってます。彼曰く、僕は彼の息子、つまり僕の従弟の前では性格が悪いのに、祖父母の前では媚を売っていい思いをしていたそうです。だから、昔から嫌いだったと。
 いえ、特には。言われている内容も現実味がないというか、昔のことであまり覚えていないので、なるほどそうだったのかくらいの温度感で受け止めてました。だから、病院の駐車場に引き倒されて踏みつけられながら、ああこんなことをしたり言う人がいるのかってぼんやりと。驚いてましたし、助かりたくて必死でしたし、同時になんだかどうでもよかったですね。
 いや、だって。流石に後遺症とか残らないじゃないですか。そこまで強く殺しにくることはないし、勿論痛いのは嫌ですけど。でも、ああこれで自分は悪くないなって。
 昔から嫌いだった、って言われたことはお伝えしましたよね。でも、流石にそれは暴行の直接的な理由じゃないんです。そこまで危ない人ではなかったですよ、叔父は。むしろ、先程も言ったように結構僕が悪いですね。
 その時は、祖母のお見舞いの後で、僕は中学校の夏休み期間、部活の合宿を切り上げてそこに参加していました。けれど、なんだか、それが妙に寂しくて。言っちゃったんですよ、合宿最後まで参加したかったって。勿論本人の前ではないですけど、帰りに泣きながら。
 そしたら引き倒されて、顔を踏まれました。
 後から聞いたら、祖母は亡くなるかどうかの瀬戸際だったそうです。
 いや、それなりに重い病気とは聞いてましたけど、なんだかそこまでのことだとは、全く。
 うーーん、どうなんでしょうね。叔父の反応は、まあたしかにそうなるよねと思っているので、そこまでは。ちゃんと伝えてくれなかった母への不満の方が大きいですが、そういった類のコミュニケーションエラーはよくありましたから。結構、言語の認識が自分の世界に寄り添っている人なんですよね。あれ、たぶん母の中では伝えたことになってるんですよ。僕が理解しているかどうかにはあんまり興味がなくて、自分が伝えているのだから相手は理解しているだろう、みたいな。そういう考え方の人です。
 そしてそれは僕も。
 だから、下手なことを言って殴られる。
 世界が閉じているというか、身勝手なので。
 だから、どちらのことも責める気はないです。僕が悪い。
 このインタビューも、ちゃんと伝わっているかはわからないのが不安だなと。大丈夫ですか?
 平気、ならよかった。
 話を戻しますけど、そうやって達観した感じを出しつつも本当に自分が悪いことになってしまった時は凹みましたね。
 ええ、そんな感じです。誰も叔父を諫めず、僕は介抱もろくにされませんでした。
 勿論、母もですよ。
 殴られている時よりも、その時の方が堪えました。
 相手が自分を嫌いなのはいいんです。嫌いだと、マイナスの感情を言葉や行動に乗せて大きく動いてくれるのは、むしろスッキリします。
 けれど、なんとなく浮いているとか、なんとなく嫌われているというのは、とても惨めですね。不安になります。
 だからこそ、殴られている瞬間はどうでもよかったのかもしれません。痛いのは嫌ですし、その痛みから抜け出そうと必死にはなるけど、心は何処か遠い感覚があって。現実感はありませんでした。
 中二病……、なんでしょうかね所謂。
 当然、人生なんて一回しかないわけで。生きている感じが希薄だとか、他人が遠く感じるとか、それっぽいことを言ってないでとにかく頑張る方がいいじゃないですか。
 実際その時に受けた暴行で死ぬ可能性もない訳じゃないのに、さっき言ったようなことを考えて、ああこれで誰も自分を責めないだなんて安堵して。怒られるのが怖いっていう、そんな幼い行動原理を内に秘めたまま、祖母や自分の死のことは遠く感じてるって、凄く幼稚な万能感だと思いますよ。
 でも、それが自分でしたね。
 ずっと怖いんです、人に怒られるのが。
 けれど、怒られてる最中とか怒られた後になると、なんだかどうでもよくなる。怒られるかもしれないのが一番怖い。
 なんだか、少しバグってますねこれ。
 今ですか?
 勿論、今もです。

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