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私と祖父とカメラと写真

 自己紹介や一連の投稿を見てわかる通り、私は写真が好きだ。
 同時に、昔から鉄道も好きだ。小さい頃から、プラレールで遊ぶのが好きだったし、一時期、バスの運転手になりたいと思っていた時期もあったが、それ以外では不思議と、車よりも電車の方が好きだった。
 家族旅行に行った際に、たまたま車両基地公開があって、わざわざ寄った記憶もあるくらいである。
 今は、所謂撮り鉄と呼ばれる人たちのように、しょっちゅう撮影しに行くなどという事はないが、それでも、何か機会があれば撮影したりもする。

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 私は、母方の祖父とは会ったことがない。
 母が中学生くらいの時に、事故で亡くなってしまったそうだ。
 祖父は国鉄職員だった。
 たまたま、祖父が乗務していた列車が橋の上を通った時に、橋が落ちたらしい。そんな話は聞いていたが、詳しいことは知らず、7年ほど前に祖母が亡くなった時に初めて、慰霊碑があることを知った。

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 祖母が亡くなってから、祖父について知ったことがもう一つある。それは、祖父が写真が趣味であったという事だ。
 遺品整理をしていた時に、たくさんのモノクロ写真があった。
 しかも、相当なマニアと呼べるレベルであったようで、家の2階に暗室を作って現像もしていたそうだ。
 プリントされた写真は大量に残っていて、何枚かは四つ切サイズ(A4より一回り大きいくらいのサイズ)のプリントさえ残っている。

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 惜しむらくは、フィルムは祖母が処分してしまった事であるが、それでも、これだけ大きなプリントが残っているだけでも貴重だと思う。

 何枚かには、裏に祖父の文字でカメラの名前や設定が記録してあるが、それを見るだけでも、最低でも3台くらいはカメラを持っていたらしい。

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 さらには、操車場と思しき場所での長時間露光での写真まで残っている。昼も夜も、飽くことなく写真を撮っていて、よほど好きだったんだろうというのが見て取れる。

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 私は、写真が好きだ。
 そして私は、鉄道も好きだ。
 会ったことがなくて、そんなに話を聞いたこともなかったのに、好きなものが2つも一致するのは、何か不思議な縁を感じる。
 だから、ふと思う。もし祖父が事故に遭わず、話すことがあったとしたら、私と写真の出会いもまた違う形だったのかもしれないと。
 そして、会ったことのない祖父との距離を少し近く感じさせてくれた写真というものに感謝したいとも思う。

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