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エプコットって何?という人のための話

どうも。最近かなり暖かくなってきて過ごしやすい代わりに花粉が辛いです。みつきです。

さて、今日お話しするのは「エプコット」についてです。
そもそもエプコットって何の名前なのかということなのですが、フロリダのウォルト・ディズニー・ワールドに4つあるディズニーパークのうち、2つ目に作られたディズニーパークの名前です。そうですこれディズニーパークの名前なんです。なので「東京ディズニーランド」とか「東京ディズニーシー」なんかと一緒です。

"Space Ship Earth Ball Epcot Center" by mrkathika is licensed under CC BY-SA 2.0.

そしてエプコットは内容的にもかなり特殊なディズニーパークとなっており、よく「万国博覧会のようなディスニーパーク」と例えられます。我々に身近な東京ディズニーランドと比べて見ていきましょう。東京ディズニーランドではパーク全体が7つのエリアに分かれており、それぞれのエリアのテーマに沿ったアトラクションが配置されています。

エプコットではまずパーク全体が2つのエリアに分かれています。パークに入ってすぐ広がるのは未来の技術や自然をテーマにした「フューチャーワールド」というエリア……と言いたいのですが、最近このフューチャーワールドが3つに分割されてそれぞれ「ワールド・ネイチャー」「ワールド・セレブレーション」「ワールド・ディスカバリー」となりました……が、正直ただややこしいだけなのでこの記事では全て「フューチャー・ワールド」という名前で統一します。

"Imagination Pavilion Epcot Center" by mrkathika is licensed under CC BY-SA 2.0.

この広大なフューチャー・ワールドは複数の「パビリオン」に分かれています。パビリオンは万博の展示会のようなもので、自然をテーマにした「ランド館」、想像力をテーマにした「イマジネーション館」、車の性能実験をテーマにした「テスト・トラック館」なんかがあります。それぞれのパビリオンは1つの建物になっており、1つのアトラクションで構成されているものもあれば1つの建物の中に複数のアトラクションが入っているものもあります。

"Japan Side Epcot Panorama 2009" by mrkathika is licensed under CC BY-SA 2.0.

そんなフューチャー・ワールドの奥にあるもう一つのエリアが「ワールド・ショーケース」です。こちらもフューチャー・ワールド同様複数のパビリオンに分かれているのですが、「ワールド」の名の通り世界にあるいくつかの国をモデルにしたパビリオンとなっています。「日本館」「中国館」「イギリス館」「モロッコ館」などなど、その数なんと11ものパビリオンがあります。さらにワールド・ショーケースの中心には「ワールドショーケース・ラグーン」と呼ばれるディズニーパークとしては最大規模の湖があり、この湖を囲うように各国のパビリオンが並んでいるのです。色んな国が並んでいる湖は地球の海を表しているのでしょう。

ワールド・ショーケースの真ん中にある「ワールド・ショーケース・ラグーン」、東京ディズニーシーの内側の島(ディズニーシー・トランジットスチーマーラインが一周する航路の内側の島)が丸々入る程の大きさがあります。(画像はGoogle Earthより)

このように他のディズニーパークとは全然違う構造をしたエプコットですが、このようなパークになったのには深い理由があります。その話をするためには、ディズニーの創始者であるウォルト・ディズニーが生存していた1960年代後半にまで遡る必要があります。

当時のディズニーはアニメ映画でも実写映画でも数々の名作を生み出した歴史ある会社としての地位を築いており、ディズニーランドも開園して10年近くが経って経営も安定していました。このように映画でもテーマパークでも成功を収めた当時60代のウォルト・ディズニーでしたが、彼は何度成功してもまた新たな未知の分野に挑戦する人でした。そして次に彼が選んだ分野が、何と「都市開発」だったのです。

"Progress City, WEDWay Peoplemover, Magic Kingdom, Walt Disney World, Orlando, Florida, USA" by gruntzooki is licensed under CC BY-SA 2.0.

数々の映画で大衆のためのエンターテイメントについて研究し、ディズニーランドで訪れるゲストの管理や乗り物のノウハウを得た彼は、その技術を集約して人々が安全で健康的に暮らせるような独自の都市の建設を考案したのです。

そんな都市の名前が「Experimental Prototype Community of Tomorrow」、頭文字を繋ぎ合わせると「EPCOT」、そう、エプコットという名前は元々この計画されていた都市の名前だったのです。

画像出典:A World of Tomorrow: Inside Walt's Last Dream - D23
https://d23.com/a-world-of-tomorrow-inside-walts-last-dream/

都市建設のためにフロリダの広大な土地を土地代が高騰するのを防ぐためディズニーとは関係無いダミー会社の名義で少しづつ買い漁り、必要な分の土地を買い占めた後に「エプコット計画」と呼ばれるプロモーション映像を公開しました。しかしそのプロモーション映像の撮影からわずか2ヶ月後、ウォルト・ディズニーが66歳でこの世を去りました。EPCOTと名付けられた都市は現実に手がつけられる前に考案者がなくなってしまったのです。

"Cinderella's Castle - Magic Kingdom" by Paul Beattie is licensed under CC BY-ND 2.0.

リーダーが居なくなったまま広大なフロリダの土地のみが残された当時のディズニーでは、とりあえず都市の郊外の行楽施設として予定されていた「マジック・キングダム」と呼ばれるディズニーランドとその周辺のホテルだけを完成させ「ウォルト・ディズニー・ワールド」としてオープンさせました。この時点では当初の計画通り都市を建設するかどうかも決まってはいませんでした。

その後ウォルト・ディズニー・ワールドを運営すること数年。最終的には創始者のウォルト・ディズニー無しで都市計画を実現することは難しいという判断になり、ウォルト・ディズニー・ワールド全体をディズニー最大規模のリゾート施設とすることが決定されました。そして、当初の計画で都市の中心に位置する予定だった場所に新たなディズニーパークが作られることになりました。それが現在の「エプコット」なのです。

"Universe of Energy" by magicalfanaticism is licensed under CC BY 2.0.

ディズニーパークのエプコットは都市計画に準じて、最新の技術や世界の文化についてアトラクションで遊んで学べる場所として作られました。また開園当時は「エプコット・センター」という名前で、これには「計画都市EPCOTの思想はウォルト・ディズニー・ワールド全体に受け継がれており、エプコット・センターはあくまでその”中心”に過ぎない」という意味が込められていました。その後エプコットがテーマパークの名前として十分に浸透したということで”センター”の部分が外されました。

さて今日はここまで。このエプコットの個々のパビリオンについてもそれだけで1つ記事が書けるくらい面白い話がたくさんあるので、また別の機会にお話ししようと思います。ではでは。

〜note版おまけ〜

今回紹介したエプコットが開園したのは1982年、そして我らが東京ディズニーランドが開園したのは1983年、なんと1年違いなんです。そして、面白いことに「エプコットで計画されていたが実現せずに、後に東京ディズニーランドで実現したアトラクション」というものがあります。それがこちら。

画像出典:A Tribute To Meet the World - Chris's Tokyo Disney Resort Fan Site
http://www.tdrfan.com/additional_features/a_tribute_to_meet_the_world/

東京ディズニーランドに1983年から2002年まで存在した「ミート・ザ・ワールド」というアトラクションです。日本の歴史をテーマにしたちょっと変わったアトラクションでしたが、元はエプコットのワールド・ショーケースの日本館のアトラクションとして計画されていました。ここら辺の話もまた別の機会で話そうと思います。ではでは。

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