『負けた記憶』には人を縛る力がある。

“『負けた記憶』には人を縛る力がある。“
                                     〜mistukano〜

こんにちはmitsukanoです。今回は、最近会話の中でよく耳にする、自己肯定感についてお伝えしていきたいと思います。ぜひ最後までお付き合いください!

自己肯定とはそもそも何なのか?

さてさて、そもそもの話から入っていきましょう。言葉としてはご存知かと思いますが、日々の生活の中でご自身の“自己肯定”ってされていますか?そして、特にそれはどんな時に感じ、考えることですか?(それでは一度深呼吸して考えてみて下さい。)


どうでしょうか?


多くの方々は、個人で何か達成をしなくてはならないこと、あるいは他人と何か競い合っている時....そんなタイミングなのではないでしょうか。要するに前者は“自分との戦い”、後者は”他人との戦い“です。
これらそれぞれの戦いに対して、僕たちは常に考え行動していかなくてはなりません。なぜなら、それこそが自己肯定を高めるための唯一のタイミングだからです。

それを強く感じたのは、私自身の子育てです。まだ未就学児の子供に対して、通っている園ではモンテッソーリ教育、リトミックなど様々な方法を取り入れ、未来の希望である子供たちを親身になって育ててくれます。これらの教育によって高い自己肯定感を持って大きく成長していく、そんな取り組みが進められています。しかし、どんなに教育方法が高度化し、素晴らしい取り組みがなされたとしても、最終的に考えるべきは本人であり、他人との関係性に帰着するというのが私の見解です。それはつまり、個人であれば自分自身で目標を立て、その目標に向かってプロアクティブに学んでいく姿勢、行動していくといったことが必要になります。対して他人との競争であれば、内容によっては身体的な優劣や継続するといった意志の強さ、そしてときには運も必要になることでしょう。そういった不確実な多要素を加味した上で、自身の自己肯定感を高めていく必要があるのです。
ここで大きく影響与えるのがまず負けるという状況です。この負けるという状況は、私自身も経験がありますが非常に強力な力を持っています。例えばテストです。テストは基本的に自分自身の努力を全うできれば十分に目標を達成することにつながります。一方で受験となった場合には、他人との相対的な比較が入ることで本人の頑張りだけでは叶わない部分も出てくるでしょう。そして多くの方はこれまでに少なからず何らかの負けを経験したことがあるはずです、それによって少なからず心にダメージを受けて自己肯定感が下がってしまっています。ただここで間違っていただきたくないのは、いわゆる負けることが全て悪いと言っているわけでは無いのです。大事なことは負けた時にどのような対応を取るか、これが極めて重要といえます。

先述したケースであれば、子持つ親として、子供が自身の目標あるいは他人との競争に勝てなかったとき、本人が負けを感じたときにどのような声をかけてあげたら良いのでしょうか?ぜひじっくり考えてみましょう。

答えは1つではありません。大事な軸は、どうしたらまた立ち上がれるのか、負けという鎖に縛られることなく前に進めるようになるかです。これは当然ですが、個人にも当てはまることです。

最後に

冒頭に申し上げた『負けた記憶』には人を縛る力があるという点について。ほとんどの方が負けた記憶が心の傷になっている場合が多くあります。それはあなたが生きる社会中で、競い高め合う中で生まれた大きな傷だと私は考えています。様々な所で聞く話ですが、人間は心が原動力…。その心を育ててあげることが親や兄弟、仲間そして自分自身が最も大切にすべきことなのだと思います。今の時代は、ちょっとしたひと言や誤った言葉の使い方で誹謗中傷を受けたりすることもあるでしょう。しかし、そんな時に自分のことを知らない周囲の人間の言葉に耳を傾ける必要など全くありません。ぜひあなたが信頼できる大切な人たちとの関係をじっくり作ってください。そうすることでこの記事を読んでくださっているあなたは、何度でもどんな時でも立ち上がり前に進むことができるようになるでしょう。大人になってからは中々変わっていくこと自体が難しい部分もあるかもしれません。

でも大丈夫。あなたを縛るものなんて実は何もありません。これまでの鎖を断ち切って新しい自分で進んでいきましょう。きっと大丈夫。

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