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PS.ありがとう 「祭り」

本当に短い手紙だったが、最後にありがとうと書く瞬間、体を電気が走ったような気がした。ありがとう、なんていい言葉だろう。

「これからも感謝せえへんとな」

心のコップから喜びみたいなものがあふれ出てくる。明日も頑張ろう。そう思うと大きなあくびが出た。

背中を疲労感がべったりと覆っている気がした。

「たまにはいいだろう」

祐輔が帰宅する前に床に就いた。

週末の北町商店街は思った以上の大盛況だった。ゴールデンウィークが終わったばかりだというのに、その余韻を忘れたくないのか、毎年商店街主催で「五月まつり」と称したイベントが行われている。見慣れているはずの肉屋さんや魚屋さん、花屋さんがどこかの国の市場のようだ。旅行に来たみたいで心が躍る。

ここ数年で大体の出店はわかっていた。かといって日常を楽しまない手はない。美羽の愉しむ姿を見ていると子供に戻ったような気持ちになる。このご時世だというのに、毎年来場人数は増えているようだ。

人込みの中を行き交う人とぶつからないように晴香と美羽の手を握り歩く。すでに汗が噴き出ていて、シャツが肌に張り付いている。

「ママ、お腹減った」

金魚すくいや的当てをして、満喫した美羽がさっきなら空腹を訴えている。

「もうちょっと待てるかなあ、抽選がもうすぐ始まるからね、ほら、あそこだよ、いいものが当たるといいね」

多くの人がステージを取り囲んでいる。晴香と美羽を引っ張るように人込みの中を突き進む。

白いステージの上に赤や黄色ピンクの彩の風船がたくさん浮かんでいる。子供にとっては宝物箱のように見えているに違いない。大人でも心が弾む。

「あら瑤子ちゃん、瑤子ちゃんもくじ引き来たん?」

後ろにいたおじさんの話声に交じって呼びかけてきたのは晴香のお友達のお母さんだった。
お友達の名前を思い出すのに時間がかかった。お母さんの名前はすぐに出てきた。美智子さんだ。

「美智子さん、お久しぶり。ああ、優里ちゃんも、晴香ほら優里ちゃん来てるよ」

「知ってるよ、さっきからいるから」

ふてくされたように晴香が言葉を吐いた。

そうだった、少し肩の力が抜ける。この年代の子供たちは大人が思う以上に結束力が強い。晴香の顔をまじまじと見ていると

「美智子さん、私ねあの自転車がほしいんよ、旦那がね、絶対とって来いって、うちら夫婦そろってな自転車すきやんかあ、だからどうしても取りたいねん」

丸々と太った美智子さんが自転車に乗る姿はなかなか想像できなかった。

勢いに押されそうだ。ステージの上には景品がずらりと並んでいる。割と高そうなものばかりだ。

自転車、大画面テレビ、自動掃除機、布団乾燥機、電子レンジ、包丁、お皿のセット、主婦寄りの商品が多いのは、イベントの戦略なのだろう、そんなことくらいはわかる。

主婦が集まるなら、必然的に夫や子供が付いてくるからだ。夫が行きたいと言ってもついてきたくない主婦は多いだろう。

うちはどうなのだろう。祐輔の顔がうかぶ。しばらく考えていたがどうしても実感がない。私はついていくかな、いや駄目かなあ、浮気しているし。裏切りと信用、どちらを取るのかはまだ決めていない。今日はイベントを楽しもう、そう誓った。


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