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少女A 第8話 (読了3分)

前回までのあらすじ
江東区で女子大生の死体が発見される。自殺と認定されるが桐谷たちは他殺のにらみ独自に捜査を続ける。神奈川で数ヵ月前に自殺した少女が江東区の女子大生と幼馴染だったことがわかり一歩前進したとおもっていたが、ここで思わぬ壁が立ちはだかった。

少女A 第8話
 
中川が閉じていた目を開く。

「私にも」

そう言うと、椅子を回転させて背中を向けた。背中越しに中川が言葉を発した。

「私にも、娘がいる、年はもっと上だが、私も苦労したよ、娘と家庭を守るためにな、だがうちは幸運にも娘が生きている」
 
しばらく沈黙が続き、部屋に静けさが戻る。中川が椅子を回転させて桐谷の方を向いた。

「守りたいんだろ、貴重な命を」

中川がまっすぐに桐谷を見た。桐谷も中川の目を見た。時間が止まった気がした。

「好きなようにやれ」

中川はそう言うと、また椅子を回転させて背中を向けた。

「責任は、私が取る」背中越しに中川が声を絞り出した。
 
桐谷は無言で頭を下げると会議室をあとにした。
 
 
藤浜まさ美はパソコンの前で頭を抱えていた。何も浮かんでこないわ、どうしよう締め切りまで時間がないというのに。雑誌をめくってみるが、いいアイデアが沸かない。
 
まさ美は大学二年になった。美術大学のデザイン科でデザインの勉強をしている。今年の春から広告代理店でアルバイトを始めた。バイトでまさ美が描いたデザインがそのままクライアントのウェブサイトに使われて好評だったため、そのまま就職も誘われているが、まさ美は大学をちゃんと卒業して就職しようと思っていた。クライアントから高い評価を受けた後は、身分以上の仕事も任されることが多くなった。
 
まさ美はバイトを楽しんでいた。今までは割と暗い人生だった、と自分では思っていたから、今のバイトができるのが楽しくてしょうがなかった。
 
まさ美は月末締め切りのウェブのデザインに追われていたが、なかなかいいアイデアが出ずに行き詰まっていたのだ。今回のは結構大きな仕事だ。バイトにこんなことさせるかな。デザインを考えていたおかげで前日はほとんど眠れなかった。おかげで睡眠不足だ。
 
ちょっと休憩しよう、そう思い立ち上がってコーヒーをいれようとオフィスから給湯室に向かった。廊下を歩いているとまたあの事を思い出した。どうしたんだろう琴美。
 
メールで琴美が連絡を取ってきていた。事務所のホームページや雑誌の取材記事で自分のことを知ったのだろう。一人前に仕事用のブログも公開して、コンタクトが取れるようになっていたから、それを見つけて連絡をとってきたみたいだ。

久しぶりに会いたいというのだ。もう五年も会っていなかった。会わないと約束したからだ。会わないと言った中の一人、もえが自殺したことはニュースで知った。そのことだろうか。
 
まさ美はできれば断ろうと思っていた。私は新しい人生を歩いている、できれば昔の嫌な思い出は全て消したい。いやこれまでも、全て消してきたつもりだ。だから今は楽しくバイトをしているじゃないか。そう思っていた。
 
コーヒーから湯気があがる。コーヒーを自前のマグカップに移し、手に持って給湯室を出る。廊下で先輩の高橋康太とすれ違った。すれ違った瞬間康太が振り向いた。

「あ、そうそう、今日は夕方まさ美ちゃん空いてるかな?いいお店見つけたんだけど」

高橋康太はまさ美より三歳年上だ。一度食事に誘われてついて行ったが、とんだチャラ男で、正直まさ美はげんなりしていた。無理やりお酒を飲まされて、悪酔いしてしまったいきさつがある。その時は何もされなかったが、これ以上付き合うと、いつ何をされるかわからない。だから、その後も何回か食事に誘われたが、何かと理由をつけて断っていた。万が一行くことがあっても飲みすぎないようにしよう。バッグには酔い止めがいつも入っている。あり得ないとは思うが、最近物騒な事件が多いから、酔い止めを準備するついでに、催涙スプレーもそろえた。催涙スプレーはネット販売で簡単に手に入った。

「すみません、今日は用事があるので」
 
その言葉を聞いた康太が、目を細めて、疑いの目でまさ美の顔をなめるように見回した。

「なんですか」
 
まさ美が不機嫌そうに言った。

「あ、そう。わかった、じゃあ、いつなら空いてる?」
 康太があきらめずに聞いてきた。

「大学の試験があるので、しばらくは無理かな」
 
自分なりにうまく断ったつもりだった。

「じゃあ・・」

「あ、あの急ぎの仕事があるので、また」
 
康太が何か言いかけたところを遮り、急ぎ足でオフィスに戻った。「また」と言ったのは少し後悔した。
 
康太は営業チームで別フロアなので、仕事で用事がある時以外はデザインチームのフロアまでは入っては来ない。危ない、注意しないとまた飲みに行く羽目になる、などと考えながら席に戻ると、メールが来ていた。

“急ぎでお願いがあるから、今日はよろしくね”
 
琴美から念を押すメールだった。明るい感じのメールにまさ美も悪い気がしなかった。まさ美は決心した。高橋康太を断る本当の理由になる。
“了解、久しぶりに会えるのを楽しみにしています”
 
まさ美は送信ボタンを押した。
 
送信ボタンを押すと、琴美から来ているメールを全て削除した。

少女A 第9話に続く

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