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光夏のエッセイ② 「読書と性生活」

前回読書の効果についておしゃべりしましたが、今日もおしゃべりしましょ。何を?読書のこと。またかよ、なんて言わないで付き合ってくださいよーーー。
 
私は毎日読書をしていますから、そう簡単に人には騙されない体質になっていると思うんですよねー。なにせ海千山千の人をだます職業の人と戦っているのですからね。小説家は基本嘘つきですから、疑ってかからないと。以前は穴を見つけようとストーリーの中のセリフをメモしてましたけど、まさかそんな穴なんかあるわけないと気が付きました。編集者の人がチェックするわけですからね。しょせん無駄なテイコ―なのよ。
 
私は子供の時に「読書をすると“教養がつくよ”」て言われて育ちました。昔は言われた人多いんじゃないかなあ。最近は聞かないですね。
 
教養がつくっていうと、知識が増えるとか新しいことを知る、みたいに感じる人は多いでしょう。知ってることが増える、という意味でね。私も皆さまと同じで子供の時は教養=知識と思ってましたから、それなら勉強すればいいじゃないか、と思ってました。
 
確かにノウハウ本とか専門書は、知識は増えます。じゃあ小説は?何もないじゃん、エロいところで興奮しているだけじゃん、コメディ的なところで大笑いしているだけじゃん、つまんないところで鼻くそほじってるだけじゃん、てなるがそうではない。
 
先日のコラムにも書きましたが、小説にしろノウハウ本にしろ、言わんとしていることを読みとらないといけないのですねー。なぜかというと筆者と読者は違うところにいるから。著者の一行と読者の一行は違うんですね。同じ文章でもすべての人が同じように理解できるわけではない。読者には著者の言わんとしていることを読み取らなければならない。そういう感じで、人の気持ちを考える癖がつくのが読書の効果、それが教養だと思うんです。
 
実際に広辞苑で「教養」を調べると「単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化思想を体得し、それによって個人が身に着けた創造的な理解力や知識」とあります。
 
ほらねー言った通り。

教養という言葉がそうさせているのかもしれませんが、一般的には多識という意味でとらえられがちです。

教養の言葉の意味を言いたいのではなく、読書=教養が付く、というのは教養という言葉の意味を知って使わないと、違う方向にいってしまうということです。
 
んーなかなかいいこと言ってるな、と思いましたけど、ていうか今日は読書と性生活を考察するんです。
 
まず、読書をする人は人を口説くのが上手な気がします。なにせ日々筆者とだましあいをしてますし、勝っても負けても、また次の試合に毎度挑んでるんですから、うまくならないはずはない。
 
ここではセックスライフを性生活、セックスを性交渉、オナニーを自慰行為とします。なぜかというとカタカナで書くといやらしい感じがするからです。いかにもポルシェ、タワマン、素足にデッキシューズみたいでしょ。それが悪いわけじゃないですけど、ちょっとかゆくなりそうですから。ananの特集みたいだし。
 
読書は想像力と思考力を鍛えながらも、リラックス効果が得られる無敵の作業と言えます。そんな偉大な読書と性生活(ここではセックスライフを性生活と書きます、なぜならいやらしいから)との関係性を深堀りしていこうという試みなんですねー。
 
ここで性生活を取り上げたのには理由があります。性生活はかなり読書に近いと思っているからです。毎日してもいいじゃないですか。
 
次回へ続く

毎日してよー。

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