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「キックボードに乗っていただけで」

 遅くまでお酒を飲んでいたにも関わらず、日曜の朝七時に目が覚めると嬉しい。一日が有効に使える気がするからだ。
 トーストを焼いてコーヒーを飲みながら洗濯を終えてもまだ九時だ。ベランダに置いてあるキックボードに目がいき、久しぶりに高架下の長い遊歩道へ向かった。薄曇りのせいか、遊びに来ている人が少ないので地面を蹴る足にも力が入る。遊歩道から一段下がった芝生広場の奥に、五歳くらいの可愛い女の子と遊ぶ若い夫婦がいる。中学生らしいカップルもいて日曜日の午前中の公園にいる自分を健全だなぁと、少し気恥ずかしくもある。田舎にいる親に、あなたの息子は日曜の朝の公園にいても周りから浮いていないちゃんとした大人になりましたよ、と言ったらどんな顔するだろうかと想像して笑ってしまったが、こういうところが不審者に見えるんだ気をつけようと緩んだ口元を締めた。と、前方に警官が見えた。強く蹴っていた足の力を弱くして警官の横を通り過ぎようとしたら「君、ちょっと」と声を掛けられた。心の中で舌打ちしながらも顔は笑って「なんでしょう?」と五十代後半のような小太りの警官の横で止まった。
「いや〜、悪いね。せっかく順調に滑っていたのに止めちゃって。向こうにいた時はかなりのスピードだったからちょっと危ないなぁって思ってたんだよ。まぁ、周りに人がいないからだろうとは思うけどね。一応免許証見せてくれる?」
「え?」
「いや、免許証をさ」
「免許証?なんの免許証を?」
「君ぃ。決まってるでしょ。こんなところでフグの調理師免許やボイラー技士の免許を見てもしょうがないでしょ。キックボードの免許証さ」
僕の顔は???というクエスチョンマークでいっぱいだったのだろう、
「君ぃ、まさか無免許じゃないだろうね?」
その警官は一気に不審人物を見る目に変わってキックボードのハンドルを片手で掴んだ。
「いや、お巡りさん、別に逃げませんよ。何も悪いことしてないんだから。ただ、言ってる意味が分からないんですよ。キックボードの免許って、どういうことですか?」
警官の目が明らかに犯罪者を見るような顔つきになり、キックボードの正面に立った。
「無免許なんだな。無免許でなおかつスピード違反なんだな。ちょっとここまで来なさい」
僕の頭はさらに混乱してきた。スピード違反?
「ここに来なさいって、どこへ行くんですか」
「いいから降りなさい。はい、ここでいい。名前は?」
「ここでいい、って。二メートル進んだだけじゃないですか?何なんですか」
「いいから名前は?住所は?職業は?」
「言いませんよ。何言ってるんですか。ハハーン、あんた警官じゃないな。そうやって脅して金でもせびろうとしてんだな。お前こそ警察に訴えるぞ」
 その男の顔が真っ赤になって、頬の肉がプルプル揺れてきた。
「なにをー。まじめだけが取り柄の私を侮辱すると逮捕するぞ」
「嘘つけ〜。キックボードに免許が必要なわけないだろうが。ニセ警官め」
そのとき、僕たちの横をキックボードに乗った高校生二人組が通り過ぎようとした。
「あー、君たち君たち、ちょっと待ってくれ。君たちはキックボードの免許証持っているよね。ちょっとこのお兄さんに見せてあげてくれ」
二人は何も言わずジーンズの後ろポケットから財布を取り出し、一枚のカードを僕に見せた。そこには顔写真と共にキックボード免許取得年月日と、住所氏名が書かれていた。
「え?いつ?いつ、これを取ったの?」
「中一の時です。お父さんに鮫洲の免許センターまで連れて行ってもらって講習受けて取りました」
「そう。東京なら鮫洲だ。他の県は知らんが。とにかく分かっただろう。交番まで来なさい」
「いやいやいや。いつからですか?いつからキックボードに免許が必要になったんですか?」
警官が答える前に高校生が免許を財布にしまいながら答えた。
「かなり前だと思いますよ。お父さんが子供の頃も免許取ったって言ってたから」
そう言って二人はキックボードを蹴って走って行った。
交番へ行く道すがら僕は呆然としていた。どうして僕は知らなかったんだろう。どうして、どうしてと頭の中で同じ言葉がリピートしていた。交番の椅子に座っても頭が真っ白なままだ。
「まぁ、その様子だとほんとに知らなかったみたいだから悪質ではないな。とりあえず他の免許でもいいから身分を証明できるものを出しなさい」
財布を出して運転免許を出した。普通自動車と自動二輪の大型バイク免許だ。
警官が書類に書き込んでいるときスマホが鳴った。友人だったので、今は話せない後でかけ直すと言って切ると警官が信じられないことを言った。
「あ、ついでにスマホの携帯許可免許も見せて」
「は?なんですって?」
「え?君。その免許も持ってないのかね?君は一体どうやって今まで生きてきたのかね?まさかだと思うけど君、往来通行免許は持ってるよね?」
「往来通行免許?何ですかそれ?」
警官が椅子から飛び退いた。今までの態度からガラッと変わって恐ろしいものを見る目で僕を見た。
「き、君。君が持っている免許を全部見せなさい。最低限のものを全部見せなさい。第三者会話許可免許と、食品購買可能免許を。そ、それから日本人証明書もだ」
「お巡りさん、どういうことですか?何を言っているのか全く理解できません。第三者会話許可免許って何ですか?誰かと話すのに免許がいるって、何それ?」
椅子を蹴り飛ばし足をワナワナさせながら恐怖で目を引きつらせ、手で顔を覆い指の隙間から僕を見て電話をかけた。
「だ、大至急応援を願います。正体不明の生命体を発見。大胆不敵で異常に危険な生命体です。大至急応援願います」
電話を切ったあと警官は全身を震わせながら僕に銃を向けた。
「危ないじゃないですか。やめてください。なんなんですか」
「動くな〜。あ、会話もできないんだ、この物体とは。と、とにかく、動くと撃つぞー」
パーン!という甲高い音がした。床に倒れる様子を別の自分がスローモーションで見ていた。胸から赤い血が溢れるように流れてきて激しい痛みが胸を貫いた。

「キ、キックボードに乗っていただけなのに〜」
それが僕の最後の言葉だった。

                    完             

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