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俺、市役所 辞めよう 後編(全2話)

こんにちは

3月に公務員を辞めたミツイです

前編に続き、完結編の後編です
前編↓

さて、後編は新型コロナ、というやつなんだかヤバくない?となってきた2020年初頭から緊急事態宣言下の2020年春頃のお話しからでした

その頃、僕は役所の中では、主査、という役職に昇進しておりました

僕のいた自治体では、昇進して就けるわけではない理事者(市長、副市長)を除けば、部長、課長の管理職に続く3番目の役職です
ただし下から数えても主事、主任に続いて3番目です😝

でも直上は管理職の課長ですので、自分で担当している業務は、人事や労務関係を除いて全て責任を負って任されるポジションです
(課長補佐、というポジションもありましたが、分かりづらいので説明割愛します)

よく、主査職は大変だから成りたくない、という職員がいます
僕自身は主任職の頃から自分のアサインした業務には、はみ出して責任を負ってましたし、そのプレッシャーは主査になっても変わらず、あまり主査だから大変、ということはなかったですが🥳

かわいいピアスを付けたらセルフィーする日課

主査の何が大変かといいますと、たぶん、管理職直下のポジションとして、組織的なミッションが降りてきたとき、管理職と調整してチームに適切なオーダーをしなくてはいけないので、それに伴う部下や上司からのプレッシャーにうまく立ち回らないといけないこと
また、チーム内のまとめ役(係長)ですので、チーム内で合意を得ながら、管理職の判断に準ずるような判断をする必要があること

役所の人たちが負担に感じるのはだいたいこの辺だと思います
僕は民間経験者でしたので、正直なんとも思わなかったですけど😇

話を戻して、コロナ禍のこと

この頃、僕は組織全体や役人個々のスピード感の無さ、ミッションへのコミットメント、責任を上司に押し付ける体質・文化に辟易しながらも、自分のアサインしていた業務にはフルスイングで取り組んでいました

役所に入ってはじめてできた部下は2人でした

二人に協力してもらいながら、大勢の市民の人たちと一緒に一生懸命頑張って仕事していたこの頃は、結構大切な思い出として残っています

今振り返ると、気持ちの部分としては、組織に対するエンゲージメントは失いつつ、休日がない労働環境にだいぶやられながらもミッションは十分にコミットできている状態で、チーム内の雰囲気も悪くはなく、全体的にはすぐ市役所を辞めよう、という気持ちではなかったと思います

さて、途中部下の人事異動なんかも挟みながら、そんな状態で3年ほど、都市計画部での仕事を頑張っていた頃、ついにやってきました

それまで丸8年所蔵していた都市計画部からの人事異動が発令されました

ちなみに、僕のいた自治体では、新人は10年で3部署、移動して経験を積む、というジョブローテーション、という制度がありました

なので、一部の例外を除き、新人から8年間、同じ部署に所属していたのは、かなり長い方です

2023年4月、新たに配属されたのは、総合経営部、という部署でした

総合経営部は、自治体の施策のベースとなる計画を取り扱う部署で、僕はそこで市民と一緒に市政の将来を考えるワークショップ的なものをたくさんやる担当になりました
事実はどーだか知らないですけど、誰の目にも引き抜き人事だったと思います

そこでは、よく言えばフレッシュな、僕の濁った目からはキャピキャピな、若い職員たちをまとめながら、市民といろいろなプロジェクトを進めていくことが求められました

経験の乏しい職員たちを指導しながら海千山千の市民とわたりあう、綱渡りのような仕事を求められていたのですが、仕事自体に別段負担は感じていませんでした

この頃何よりも辛かったのは、チームマネジメント

春秋時代から官吏のお約束、文官と技官の話しの合わなさ

都市計画部にいた頃は、職種は異なれど、周りはほとんど技術職でした
分かりやすく書くと、技術職にとって、業務のアウトプットを担保するのは、数値やファクトですが、行政職の人たちは、その文章表現や「てにをは」に命でもかけてんのか、ってくらいこだわるんです

「どーでもいいです、僕にとって」
「詩が書きたくて仕事してるわけじゃないんで、結論変わらず意味が伝わる限り、誤字脱字以外直す価値ないです、僕の給料無駄遣いしないでください」

役所の最後の1年間にやたら言った言葉です

これ、別に自分のめんどくささで伝えていたわけではなくで、言わないと分からないと思っていたから言ってたんです
だって、人の書いた文章を、意味変わらないのに「この方がいい」とかいう根拠不明な理由で修正指示するのは、明らかにヒトと時間(人工)の無駄遣い

「そんなことしてるくらいなら、手動かさなくていいからもっとクリエイティブなこと考えて!」

そんなことをチーム内でやり合ってましたから、そりゃ大変です

まあでも、大変でしたけど必要なことだと信じてましたので、それこそ、辞める直前までやってました
実際に変わったかどうか、よく分からないというか変わってないでしょうね😇

さて、そんな感じで始まり、過ごしていた市役所最後の一年、2023年度です

仕事のストレスは適度?過度?に受けながらも、たぶんミッションにはコミットできていたと思います

一方で、やはり市民と関わる仕事
休みはほとんどありません
やはり思いは溜まっていくもので、辞めたい思いは以前に増して強くなっていました

そんな折、僕が退職を決意した出来事がありました

2ヶ月先、3ヶ月先、と土日から仕事の予定が埋まっていくなか、2024年1月のある日、気付きました

あ、あれ、
子どもの保育園の卒園式
え、俺、仕事で行けないじゃん

保育園の送り迎えは妻に全て任せていました
公開保育に行けたことはありません
運動会に行けないこともありました
お遊戯会にもあまり行けませんでした
2019年に生まれた子どもは、いつの間にかすごく流暢に話してました
子どもの口から出るお友達の顔を一人も知りません

俺は何をしていて、何のために頑張ってるんだろう、というところが、プッツンと切れたような感覚がありました

何日か寝れば戻ってくるかな、と思いましたが、全然戻りませんでした
むしろ、子どもと関わる時間を作るならこれがラストチャンスだ!という思いが日に日に強くなる

俺、市役所 辞めよう

覚悟した日の夜、まず家族に伝えました
妻は、一番近くで僕のことを見ていて、辞めたいことも相談していたので、すんなり承諾してくれました

その後、さらに3日ほど悩んで、上司に伝えました
子どもへの思いを伝え、仕事を辞めることへの謝罪、まあ色々話しました
上司もすごくいい人でしたので、僕の想いを汲んでくれ、退職を了承してくれました

退職後、今何してるかはまた別の記事に載せたいと思っていますが、とにかく、僕は自分の性質と業務の性質がフィットしすぎて、ブレーキが効かないところ、家族関係をぶっ壊すギリギリのところで、なんとか最後に気づいて退職しました

やはり子どもが大事

退職後は、子どもとの時間も大切にしながら、毎日を過ごしています

固定給がなくなったのだけはさびしいですけど、概ね大満足な日々です

長くなりましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます

まだまだ、市役所に入る前のこと、現在のお仕事のこと、色々書いていきますので乞うご期待!

ではの!


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