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記憶が薄れてしまう前に 4

とにかく退院するにはどうするか考え、まずは管を外してもらい自分でトイレに行けるようにしなくてはと思いました。先生に話しをすると車椅子を看護師さんに押してもらってトイレに行くというのが第一段階でした。自分は「人の手を借りずに行きたいです。」と言いましたが最大でも1日1回だけテストをしてこなせれば順を追って解禁していくとのことで、とりあえず出来る範囲の中で無理をせず自分なりのリハビリをしようと考えました。

電動ベッドのお陰で体を起こせるようになりましたが、自分の意思通りに動かせるのは指と足です。しかしベッドから降りられず管が繋がっている今、やはり指しか使えません。なのでシーツに両手の平をついて指でお尻を浮かせるトレーニングを始めました。どうしても腕に負荷がかかり痛みますが何かしてもしなくてもどの道痛みはあったので慣れるしかないと思っていました。

夕方行った車椅子のテストは合格でした。なんせボタンを押してベッドから車椅子に移るだけで自分はほとんど何もしていないので。明日は歩行のテストみたいでそれが通れば自分の寝泊まりしているフロアは自由に移動していいようになるとのことでした。

自分がいた病室は6人部屋で全てのベッドが埋まっていました。皆さん重傷のようで起き上がることすらできない方達しかいませんでした。詳しい症状は言いませんが、よく見る戦争映画の病室みたいな感じで包帯ぐるぐるだったり、唸ってる人がいたりというような部屋でした。

自分はほぼ一日中イヤホンをして大好きな音楽を聴いて効果があるか分からないリハビリをして過ごしていて、何度か看護師さんに無理しないようにと注意されてしまいましたが、どうしてもじっとしていて良い方向に行く気がしませんでした。

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3日目になっても相変わらず腕は動かず痛みが常にある状態でした。ですが膝で押して腕を使うことがかなり上達して、多少時間はかかってしまいますが一通りのことを自分で出来るようになりました。そして歩行のテストも無事通過。その夜会社の社長がお見舞いに来て下さいました。自分のダランと肩に付いているだけの腕の状態を見て結構ショックを受けていたようでした。社長も含めみんな「お見舞いに行くよ。」と言ってくれていたのですが、「お見舞いは来なくて大丈夫です。どうせすぐ退院するので。」と言ってありました。もちろん来てもらうのが悪いというのもありましたが、弱っている姿を見られるのが嫌でした。そういうキャラじゃないので。笑

ただ社長も自分の脊髄損傷について調べたりしてくれていたみたいで「2年ぐらい掛かって日常生活に戻れた人もいるみたいだから諦めず少しずつやっていこうと。会社でも傷病手当とかの準備はしてるから。」と言ってもらえました。自分のことを思ってくれる人がいるということは凄くありがたいことです。それだけで頑張らないとという気持ちになります。尚更早くここを出なくてはと思いました。入院生活が辛いとかは全くなく、不謹慎かもしれませんが、居心地も良く久しぶりにゆっくり休んでいる気がしました。そのせいか余計に罪悪感があったのです。

4日目初の病院のリハビリでした。担当医のリハビリの専門の先生が病室に迎えに来てくださって少し話しをしながらリハビリテーションに向かいました。やはり、気長に焦らずやっていきましょうという話しでした。

そしてまずはじめに積み木のような木製のパズルから始めました。そして次にお箸でサイコロぐらいの物を掴むリハビリでした。この日動きは遅いものの肘が少し曲がるようになっていて自分はどれも問題なく出来ました。すると先生はかなり驚いていて。病室に戻ると整形の担当医の先生が来て腕や首の状態を確認して、もう一度検査をすることに。

ですがやっぱり神経の状態は変わっていなかったです。そこで怪我をしてから何をしていたか根掘り葉掘り聞かれ、救急車の中やICUでやっていた握力トレーニングや、病室でやっていたことを話しました。先生曰く「現状の神経の状態であれば手の方まで動かなくなってもおかしくないはずだけど、痛みがあっても指先を動かし続けたことによって神経が動かないと脳に認識させなかったんだと思う。」という話しでした。結構奇跡的なことだったみたいです。

結果病院に入院していても痛み止めと痺れ止めの薬を飲む他何も治療が出来ないし、回復方向に向かっているとのことで、紹介状を書いてもらい家の近くの大学病院で今後を見てもらうことになり翌日退院しました。

                   続く



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