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〜メキシコでの逆境を経て僕が試合に出られるようになるまで〜


「お前はスペイン語が話せないから試合には出さない」

メキシコに着いてから辞書で単語を調べてオフェンスのプレーブックを勉強しながら夜遅くまでフィールドで練習という生活をし始めて半年が経過した頃に、この言葉がコーチから告げられました。

スペイン語が話せないと言っても、シーズン開幕前になる頃にはオフェンスのシステムを理解し、自分の持ち味を出し始め、試合に出れるレベルにあると自分でも手応えを感じていました。シーズン開幕前に先発クォーターバック(以後QB)がコーチから指名されますが、僕の名前が決して上がることはありませんでした。海外で先発QBになるということがどれほど難しい挑戦なのかは自分が一番理解していたので悔しくはありましたが、次のチャンスに備えようと練習に励みました。

シーズンが始まって3試合目、これまで試合に出ていたQBが調子を崩し、控え選手にチャンスが回ってきました。変わった1人目、2人目の選手も準備ができていない状態で、4番手の僕にも出番が来るだろうとウォーミングアップを始め、戦術の最終確認を始めました。
試合の点差が開きもう負けが濃厚になった時、準備ができた旨を伝え試合に出してもらおうとコーチに話しかけました。

「お前はスペイン語がしっかりと話せないから良いプレーが出来ても試合に出すことはできない。フィールドでコミュニケーションがしっかりと取れないと思うし、パスを投げるタイミングでボールを持ちすぎてしまうと思うからだ」

コーチはそれだけ僕に告げると試合に戻りました。僕はこの理由に対してなんのために留学にきたのかと途方に暮れサイドラインのベンチに座り試合を観戦していました。

確かにコーチの意見には納得できました。
なぜなら勉強していながらも苦手意識のあったスペイン語で会話することを避け、個人的にコミュニケーションが比較的簡単な英語に”逃げて”いたからでした。(いま思うと、この出来事がなければスペイン語を勉強する意識は変わっていなかったと思います)

納得したとはいえ試合に出たい僕(頑固ですよね笑)英語でコミュニケーション取れているし練習でミスもしてないんだから、この試合状況で試してくれてもいいじゃないかとひたすら言い続けましたが、聞いてすらもらえませんでした。

また再びベンチに座り、落ち込んでいるとチームメイトがどうしたのか聞きにきました。コーチが言ったことをそのまま彼に伝えると

「そんなの間違ってる。練習でお前がプレーできることは証明されているし、証明したからお前は選手としてこのチームでシーズンをプレーしているんだ」

この言葉に救われました。この話は他の選手にもすぐに伝わり、練習では敵対するディフェンスの選手にまで伝わりました。試合終了まで残り2分。サイドラインでは多くのチームメイトが僕の名前を呼んでいました。まさに映画『RUDY』のラストシーンようになっていました。(少し大げさかもしれません笑)

ついに我慢できなくなった監督がオフェンスコーチに「ミツヒトを出せ。なぜ出さない」と伝え僕のメキシコ大学リーグデビューが実現しました。

今まで新しい環境で初めて試合に出る時いつもは緊張していた僕ですが、自然とリラックスしていて、負けている試合なのに楽しみのワクワクで笑みがこぼれました。

試合時間が残り少なく、数プレーしか出場できませんでしたが、周りの人から難しいと言われていたQBとして試合に出場することができたので満足していました。

試合終わりに観客席からフィールドに降りてきたファンの人々に「写真撮ってよ」と言われたり、「いいプレーだったよ」と言ってもらえた時初めて、今まで約半年間辛かった辞書を引きながらオフェンスシステムの勉強をやってきてよかったなと思えました。

この試合の後からシーズン最後の試合まで先発として試合に出場しましたが、そこでのエピソードは少し長くなりそうなので次回の投稿で。。

それではアスタルエゴ!!

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