「コンテンツ沼の深度」について、4分類してみた
コンテンツ沼に、どれだけ潜るか
アニメ・ゲーム・漫画・映画・小説・音楽…などなどと、どんなコンテンツでも、「このコンテンツにはものすごくハマった!」だとか「このコンテンツはまぁまぁハマった」「これは教養程度」に潜っただけ、など、
何にどこまでハマったかは、人それぞれ色々と程度があると思うんです。
で、どこまで潜るかは、そのコンテンツにどれだけ夢中になったかと比例するわけですが、僕がこのサイトでよく取り上げる「考察」として、どんな深度を目指すかということを自分で理解してみようとおもって、こういった記事を書くことにしました。
コンテンツ沼の深度図解
深度A:コンテンツを知っている
そのコンテンツの全貌を代替知っていて、ネタバレができるレベル。原典に全部あたっていなくてもいいと思います(要約を読んだとか)。
深度B:コンテンツを語れる
好きな〇〇はなに?ときかれてそのコンテンツを答えられる、とか、コンテンツの好きなところについて「なぜ好きなのか」を自分の言葉で語れる状態。
また、「好き!」ってほどには無くても「これってこういうことじゃない?」という解釈の提案が1つある状態。
個人的に、考察記事を書く時は、この解釈の提案が1つ以上ある状態で書きたいと思っています。(すべてがそうとは言っていない)
深度C:他人の考察を読んでいる
深度Bまではコンテンツを一読すれば到れるけど、深度C以降は自分から積極的に「〇〇 考察」とかで調べたり、Twitterで界隈の有名な言説をウォッチしていたりする状態。
個人的に、ここまで来ると「潜った!」って感じがあって、作品のことをちゃんと知れた気がします。
深度D:他人が引くくらい喋れる
深度Cの状態に至った上で、その一般的な言説についてさらに自分で調査・検証したり、考察を深めたりするとこの深度に到達します。
個人的な体感として、この震度まで来てしまうと、深度Cの情報が「一般的に常識」だと勘違いしてしまい、友達に話が通じないことが多い。
『千と千尋の神隠し』はカオナシの物語であるとか、『天気の子』の副題『Weathering With You』の「Weather」は「天気」と「(困難を)乗り越える」のダブルミーニングになっている、だとかを、誰もが知っていると勘違いしている状態。
僕自身がこの深度まで潜れていると思うコンテンツは『千と千尋の神隠し』『天気の子』くらいかなと思います。(例外として、文学部だったので卒論で取り上げた作品も含まれるっちゃ含まれるかも)
僕の考察は基本、深度Bを目指すよ
上でも書いたけれど、今後、このサイトで一つの投稿として記事を書く場合には、深度Bまで至った状態で書きたいと思っています。
「解釈の提案が1つ以上ある状態」ですね。
この状態には結構意識的に到れるというか、コンテンツの読了後、自分がちょっと気になった部分や好きになった部分について自分なりに考えをまとめようとすれば、なんらかの言語化はできると思ってるんですよね。だからそれを目指す。
これがない状態の記事も「コンテンツを消化したログ」として書くことはあるとは思うけど…。
でも、これがない状態で書いた記事って結構中身がないものになってしまうし、何より自分がGoogleで「〇〇 考察」とか「〇〇 意味」とかで検索して、
「〇〇の意味って何?調べてみました!でもよくわかりませんでした!
みたいな記事に遭遇したときの「あぁん!?」って感じが好きじゃないので、そういうものを駆逐する意味でも、ちゃんとした提案をしていきたいなと思っていますw
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