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本能寺の変 1582 上総介信長 3 198 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

上総介信長 3 三好長慶の下剋上 

長尾景虎が上洛した。

 同(天文二十二年1553)、秋。
 後の上杉謙信である。 
 これが最初の上洛である。
 謙信は、この後(永禄二年1559)、二度目の上洛を果たす。

  先度、長尾景虎、御覧せられ候、
  御劔・御盃たひ候につきて、
  別して、奉公いたし候べきよし申し候、
  神妙に、覚しめし候、
  殊に、長々、在京し候、
  御感の事にて候由、能々、仰せきかせられ候べく候、
  かしく、

     広橋中納言(国光)との
               (「後奈良天皇女房奉書」「歴代古案」)

  
九月
  
是秋、越後守護代、長尾景虎、参内ス、
  之ニ天盃、御劔ヲ賜ヒ、越後及ビ隣国ノ敵ヲ討タシメラル、

  十一月
  十三日、長尾景虎、和泉堺ニ至リ、本願寺光教(証如)ニ物ヲ贈ル、
  尋(つい)デ、景虎、紀伊金剛峯寺ニ詣ス、
                          (「史料綜覧」)

          ⇒ 次回へつづく


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