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クンダリーニヨガをはじめる

田原さんが紹介されていたnoteの連載を一気に読んで、さっぱり何かわからなかったが突き動かされるように体験レッスンに申し込んだ。

初めてだから10分前に来てくださいね、とメールをいただく。
マレーシアの空気、のびやかな空間、zoom越しで、先生には初めて会うけどnote読んで言えるからなんだか知っている人のようでうれしい。
「ヨガやったことあったら、呼吸はわかりますよね」と言われて、うんと答える。火の呼吸を教わる。そんなにお腹早く動くかなぁ、、、
「目をつぶってやります」と言われて、ずっと目をつぶってて先生の動きはどうやってわかればいいのかしら?と思う私がいる。

最初に、ウォームアップがある。ゆっくりした動き。うすら目を開けて見ると、どうやら先生の説明の時は目を開けてていいようだ。
先生の「はじめ」というキリッとした独特の強い発音で始まる。
単純な動作を呼吸と共に目をつぶって繰り返す。
最初はこれでいいのかな、と思いながら、首をぐるぐる動かしたり、お腹を引っ込めたり、突き出したりした。
思っているよりも長い時間だ
まぶたを閉じて行っていると、時間の感覚が無くなる。
同じ文字を書いていると、その文字が本当にその意味だったのかを忘れるような感覚。文字が記号でなくなるような、はてこんな形だったかしら、と思うような感覚と似ている。
「では、ゆっくりと息を吸って吐いて。手や足を解放してリラックスします」と言われて、一つの動きが終わる。

どうやら、ウォームアップの後には、クリアという浄化の動きがあるようだ。これをいくつかやるらしい。

呼吸が通っているのを意識して感じて、と言われたり、背中から光が出てくるのを感じて、と言われたりしながら、黙々と繰り返していると、だんだんと自分のなかで変化が起きてくる。
呼吸や体が勝手に動いていく。
体が動くと呼吸が出てくる。動きの中に呼吸が入っていく。
そして、同じことを繰り返していくうちに体が振り子のように動かされているようになっていく、私が動いているのか、動かされているのかわからなくなっていく。

ちょっとハードなのもある。
先生に「ちょっと辛い人もいると思いますが、無理しないで」と言われると、ピリッと身構える。
確かに、段階踏んだスクワットとか、何分もあると「後1分」が、永遠のように思える。
でも、やり切ったあとは、解放された!と、フワッと軽くなる。
横になって休んで、と、ヨガのシャバアーサナが所々に入ってくる。
吸い込まれるように体を横にすると、うとうととしてしまう。

また、体を起こす 体を動かす 横になる 
そうしているうちに、どんどんと自分が無くなっていく

座禅を何度やっても煩悩から解放されず、頭の中がぐるぐるしていたけど、クンダリーニヨガをやっていると意識しなくても、どんどんと瞑想状態になっていく。

これは、能に似ているんだな、と思った。
今までやってきたヨガが、歌舞伎だとしたら、クンダリーニヨガは能だ。
この世ならぬところにアクセスしていくような感覚。
単純な動き、マントラを体に響かせていくことで、共鳴共振が起こる。
能を観ている時もあの音と声で瞑想状態になる。幽玄の時間。

最後のディープリラックスで完全に私はそこにいなくなった。
ただ、マットの上に横たわるだけの存在。

戻ってくるように声がかかって、ぴくりと指先を動かすと、自分の指先がとても重たくて、違う人のものみたいな違和感。
ああ、こっちが現実だった、と思う。

サットナムというマントラ
"Sat"は、真理。
"Nam"は、自分自身。
私は私 私自身に尊厳と愛を

マントラを唱えて
先生の音と自分の音が重なっていく心地よさ
音が細胞をふるわせる

なんという時間なんだろう、と思った。死んで生き返ったみたいな感覚。

ずっとこういう時間を私は求めていたんだ、とはっきりとわかった。

そして、その場で申し込んだのでした。

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