TAAC 『かわりのない』 初日観劇感想。
2024年2月7日(水)19:00開演 新宿シアタートップス。
TAAC、新宿シアタートップス、そして納谷健さん。見るしかないでしょう。と、チケット購入しておりました。
以下、初日感想
ネタバレや、個人の意見を多分に含みますので、へーって感じで見てもらえると幸いです。
TAAC、新宿シアタートップス、と言えば、やはり穴大喜利(私が勝手に言ってるだけの、奈落の使い方について。詳しくはぜひ、『GOOD BOYS』『人生が、はじまらない』をご参考ください)。どう来るのかと、新生トップスでの3作品目ともなると期待する。
観客席に座って、舞台を見ての衝撃たるや。
一段上がった所に四角い机、その奥は八百屋舞台もびっくりの角度で迫り上がる、これは壁?床?舞台の両脇には、乱雑に積み上がった椅子が数脚ずつ。机の上部を見上げれば、レトロな明かりが1つぶら下がる。
そして、よおく見なくても、机の真下が奈落!やばい!もう出てる!!掘り炬燵かよ!くらいそこにいた。でも、机が脚の長いタイプなので、流石に足はいれないわね。なんて。
開演前から薄く流れるBGMは、工場?工事?ガタガタガチャガチャ、何かを作っているような、何かを壊しているような、ガタガタガチャガチャ鳴り続けている。
ここからもう、始まってたんだなぁ・・・。
その後、奈落は貯金箱となり、玄関となり、それぞれが抱える心に空いた『穴』の象徴となる。
確かに、事前に主催のタカイさんが言っていた通り、前の2作品ほどひねった使い方ではないけれど、直球でやられた感があったのは私だけか・・・。
この話には、夕方のニュースでサラリと報道されていそうな、新聞の片隅に小さく載っていそうな、友達の知り合いの、そのまた更に知り合いの遠い親戚の話で人伝に聞きそうな、そんな親子を、家族を、1人の少年を通して垣間見ることが出来る。
幼い我が子を病気で亡くした夫婦は、亡くなった我が子の為に行なっていた募金を再開する事、そして募金が本来の目標額に達した日に、偶然出会った、生きていたら我が子のそれくらいの年だったであろう少年の世話をすることに望みを見出していた。
その少年が運び込まれた病院の医師は、自身の母親の認知症介護と経済的な困窮で目を曇らせ、歳のせいだとごまかそうとしていた。
その少年の若い父親は、上手く接する事の出来なかった息子の死を、どこか他人事のように飲み込めずにいた。
その少年の不審な死を追う刑事は、妻の思い描く未来が上手く想像出来ず、思いとは裏腹に、揃えたい足並みも揃えられずにいた。
刑事が少年の不審な死について、最初は夫婦揃っていたり、自宅へ訪問する状態から、気づけば1人ずつ、恐らくは警察署の個室での事情聴取へと移っていく。
コンパクトなトップスの、同じ舞台上で刑事を除く4人がそれぞれの主張をする。壁やわかりやすい仕切りがあるわけじゃないが、それぞれの視線や噛み合うようで噛み合わないセリフからも、それぞれが個室で刑事から同じように聴取されていることが伝わって来る。それでも決定的な発言には、対象を睨むように食ってかかる様は、対刑事への姿なのだろうけど、空間が歪むような錯覚を覚えるのが面白い。
話が進む中で刑事は、少年の死がなぜ不審なのかを明らかにしていき、結論にたどり着いた時の悲しみと言ったらない。
それぞれ自分のせいだと叫ぶ夫婦。
責任は夫婦にだけあるわけではないと、冷静に語りながらも、その実は自分の保身が先立つ医師。
そして、そこで初めて、子を奪われたと実感する若い父親。
1人の少年が、不幸な死を遂げた。紙面ではそう書かれるのかもしれない。
ただの不幸とまとめていいものか、そこには複雑な社会情勢や今の日本が抱える闇が内在している。あぁぁぁ!と、個人の力では動きようのない何かに気持ちが阻まれて辛い。
事件が展開する面白さや、最後にとてもわかりやすい(安心できる)希望が示されていて、すごく、TAAC初見さん観やすいぞ!!と心の中で叫び、すっと心が軽くなって終わった。新たなTAACに出会えてとても嬉しい。でも、根底にある、闇を垣間見えるように構築された仕上がりもやはり好き。
今回、TAACお馴染みのグッズTシャツは、愛らしい?マンボウのシルエットがタイトルのアルファベットロゴで形作られている。
観劇前は、なぜマンボウ?と色々勘ぐって見たけれど、全部違った。笑
若い父親が、刑事と初めて会話を交わす時に出た話。回転寿司が嫌いな理由として代替魚が使われている、マンボウがマグロの代わりになるなんて。マンボウがマグロになれるわけがない。という言葉に、刑事がマンボウがマグロになりたいとは限らない、と返す。
このマンボウ発言が、話の終盤、自分たちしか見えなくなる大人たちへ、かつて『親を失くした子供』だった刑事が伝える言葉へと繋がる。
そして、本作のタイトル『かわりのない』が腑に落ちる。
マンボウのシルエット、タイトルのアルファベットロゴで形作られているんですよ・・・えぇ、そこまで考えてました?最高か??
毎回毎回、Tシャツの中に、その作品の世界観、丸っと収めているのが凄すぎる。話の中の、何かのモチーフ、だけじゃない。怖い。笑
現代劇なので、衣装が特別どう、というわけではないけれど、だからこそ、服でその人のイメージが決まってくる。TAACの扱う題材はいつもちょっと重いので、それを軽減させるかのごとく清潔感のある衣装は気配りがあっていいなぁと思う。見る側を、重苦しくしたいわけじゃないんだろうな。初日はそこまで細かく見れなかったので、今後の自分に宿題。
初めて拝見する俳優さんとしては、北村まりこさん。演じる立場が一番近かった事もあって、一番印象深いかもしれない。今回演じる里実の、夫への愛情表現「顔が好き」が、とても好き。本当に好きなんだろうなぁって、なんか安心する。
そして廣川三憲さん、出身県が同じだぁ(なんなんだろう、この、地元が同じってだけで世代を超えた親近感がわく法則)。以前住んでた場所から、車で小一時間くらいの所のようで、わぁ、なんだかとても嬉しい気持ちで2回目の廣川さん観てしまうな、これは!
意儀田夏葉さん、荒井敦史さんは、お見かけしたことある気がするんだよなぁ・・・とても、丁寧で、つい目が追ってしまって、推しを見逃してしまって困った。笑
そして清水優さんは、すっかりTAACのお兄ちゃん
枠。声が好き。今後も、出演がなくても主催のタカイさんのスペースには出続けて欲しい。笑
納谷健さんは、バースデーイベント行くくらい好きでして、TAACと一緒になったらどうなるのか、ずっと楽しみにしておりました。『普通に』『働いている社会人』も、今までそんなになかった中で、『父親』しかも『シングルファーザー』なんて初。年齢的にもリアルさを感じる設定と、新たな一面に、そ、そんな表情も、出来たんです!?と、心の中が狂喜乱舞でした。TAAC、ありがとう、TAAC。
襟なしシャツも、カーディガンも、メガネも、ありがとう。次は、足元もちゃんと観ます。
今作は、2018年上演の『を待ちながら』のリブート作ということで、前作は知らないのですが、2人芝居だったというから、それはもう、今回の情報量たるや。
1度だけでは筋を追うのに精一杯でしたので、これから各俳優さん、舞台セットや音楽にもより注目していきたいと思います。
改めまして、初日おめでとうございます。
どうかどうか、最終日まで無事に。
2回目以降、千穐楽後の感想追加
6日間、全8公演が無事に幕を下ろしたTAAC『かわりのない』。初日感想に書ききれなかった事、2日目以降で気づいたことなど追加しました。2月19日から配信もあるので、ぜひ。
初っ端、舞台中央、奈落の上にある、机。
この机をまともに使っているのは、初っ端陽平と一緒に出てくる里実だけ。里実だけと言っても、この時点では名乗りもしてないし、「だれか」は分からない。ただ、何度か見ているうちに、椅子に腰掛け、机に肘から先を、手を組んで乗せている姿は、(父)親の帰りを待つ子供のようにも見てとれた。それは陽平の幼い頃の姿にも、亡くなった根本大河くんの姿にも見えて、大人たちが見ようとしなかった子供(たち)の姿に胸が苦しくなる。
そしてその後、机はすぐに舞台裏(坂の裏)に撤去されてしまうのだけど、奈落を挟んで椅子が置かれ、そこに向かい合って2人が座ると、間には残像で机が見えるから不思議。
前後するが、初っ端、舞台の上下に積み上がった椅子を、演者たちが解体(建設)現場の重機の音に合わせて持ち上げては移動させる。そのうちに激しくぶつかる様なSEに合わせる様に、忙しなく動いては止まる。パンフレットに掲載されている台本には、『-倒壊する住宅、-脱線する電車(途中略)』とあるのを見つけて、激しい揺れの時のマイムが腑に落ちる。そしてこれも分かった上で見直すと、過去にあった電車の脱線事故を思い出す。もしかしたら、陽平の父親は、この電車の脱線事故に巻き込まれて、息子の待つアパートに帰ることが出来なかったのではないだろうか。それまでは、根本岳が元妻が男を作って出て行った話や、田代夫妻の夫健太の浮気疑惑?などの話もあり、陽平の父親も子を置いて何処かへ行ってしまったのか、その父親を見つけたい思いもあって警察官になったのか?など考えていたのだけれど、違う可能性もあるかもしれない。親戚に引き取られ、苗字が変わってそれまでの自分じゃ無い、しっくりこない日々を過ごしたのかもしれない、とも思った。どうなんだろう。事故なのか、失踪なのか、どちらにしても幼い時分に目の前から唯一の親という存在が、ある日突然いなくなるという現象は、受け入れ難いものだろう。
奈落が心に空いた穴の象徴の様になっている様子の中でもお気に入りが、真実が明らかにされた後。橋爪史朗、根本岳、田代健太が、良くも悪くも自分たちの主張をしながら、穴を覆い隠す様に椅子を重ねていく。それらは歪で、到底穴を埋めたり塞いだり、ましてや隠したりも出来ていないのだけれど、そうでもしないと自我を保っていられない様子で、まさに取り繕っている姿を目の当たりにできる。そして陽平が黙っていられずに強く声を上げ、更に亡くなった少年の最後の様子を告げると、それぞれが自己を振り返る様に俯く。
ただ、その俯く様はそれぞれだ。もう何もいえなくなった医師。全てが詳らかにされて安堵する健太。信じていたものが足元から崩れて立っていられない様子の健太の妻、由希子。失って初めて、我が子に向き合えた岳。
特に岳はメガネを終始胸にかけてはいるが、実際に顔にかけたのは、途中の回想で「息子を見れなくなった瞬間」と、最後に全てが明らかになって「息子の存在に向き合う瞬間」の2回だけ。台本では最初からかけっぱなしと言うことだった様だが、ここは効果的に眼鏡で見る、見ないを印象付けたとのこと(2月11日アフタートークより。いつかける、かけないの指示は演出としてタカイさんから。細かい扱いは納谷さんにおまかせだったとのこと。陽平と初対面で話す際にやたらと眼鏡を気にして息を吹きかけたりして扱う姿が印象深い)。
この歪に穴を塞ぐ椅子たちは、その後の陽平と里実のやり取りの中、2人が一つ一つ、紐を解いていく様に取り除かれていく。それは、陽平と里実の間にあった、目に見えない何かが解けていく様な、お互いに心に溜め込んでいた何かの整理がついた象徴かの様にも見えた。
愛してる、
話したい、
これからのこと
このあたり、ずっとにこにこして見てた。
2人がどんな会話をして、どんなこれからに繋がっていくのかは明らかになっていないけど(2月10日マチネのアフタートークでは、前作『を待ちながら。』出演の山崎さんが、この2人は別れるの?との質問があった様で、そこまではタカイさんの中でも決めていない、と言うやりとりが。その考えは私にはなかったなぁ…とびっくり。前向きなお別れってこと!?となりました。山崎さん凄いな…)、2人の顔、里美の笑顔と、それにつられる陽平のぎこちない笑顔からも、前向きな未来につながるといいなぁと思うばかり。
メモ: 坂の角度が、稽古場30度→本番舞台25度。
稽古ではみんな滑り降りて遊んでた。笑
本当に、最終日まで誰も怪我がなくて良かったです。
前作『を待ちながら。』の公演パンフレットが劇場で手に入ったので、リブート前後の台本を確認。(前作は私は観劇していない)そもそも2人芝居を6人にしている時点で情報量が多くなっている筈なのに、元のお話の要素が満遍なく散らされながら、分かりやすく、そして90分にまとめられていて、とても観やすい作品。まさにリブート(再構築)と言う名が相応しい。
以下配信が始まっていて、同時視聴なんてのもあって、アフターケアまでされていて…4Kカメラ5台って、こだわりが凄い…円盤は申し込んだけど、その間まで楽しめるのは本当にありがたい。
配信情報(❶2/19[月]〜2/26[月]❷2/27[火]〜3/5[火])
配信チケットはコチラ⇩
confetti-web.com/taac_streaming
⚫︎料金:3,800円
⚫︎視聴期間
❶2/19[月] ~ 2/26[月]
❷2/27[火] ~ 3/5[火]
※上記期間から選択可。
同時視聴副音声配信(主宰のタカイアキフミさんが
2週に渡ってテーマ別にスペースにて開催)
・2/25sun. 22時〜【戯曲の解釈】
・3/3sun. 22時〜【演出の裏話】
改めまして、無事に千秋楽を迎えることができ、本当におめでとうございます。
映像でも、たくさんの人に届きます様に。
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