「ホワイト・クリスマス」

 幼少の頃、クリスマスソングを唄うビングクロスビーのカセットテープがあった。たぶん父親が、そのシーズンに合わせて、歌の好きな私のために買ってくれたのだと思う。
 当時は今のようにハロウィンだかなんだか色々なイベントがたくさんあるわけでもなく、東京の街も年がら年中華やかなイルミネーションがあるわけでもなく、だからこそ12月のクリスマスシーズンは子供にとっては心躍らせる日々だった。子供心にサンタクロースは親であることを知っていて、薄目を開けて枕元にプレゼントが置かれるのを待っていたりもした。
 成長するにつれて、クリスマスのお祭り感は薄まったが、それでも、その当時のなんとも言えない「幸せ感」は今でも思い出すことができる。
 小さなブラウン管テレビでたくさんの映画を見た。当時はどのチャンネルでも名画劇場をやっていて、邦画もあったが、記憶に残るのは洋画が多かった。「禁じられた遊び」「鉄道員」「自転車泥棒」「シベールの日曜日」「道」等など。その中に「我が道を往く」もあって、ビングクロスビーの存在は知っていたが、何といっても鮮明に心に焼きついているのは「ホワイト・クリスマス」だった。映画の終盤、出演者一同が窓の外を見ると燦々と雪が舞っていて、たぶんそこにビングクロスビーの歌声が流れた、のだと思う。とても心が暖かくなるラストシーンだった。
 最近になって、懐かしくその映画を思い出して観てみた。今は、動画配信サービスというものがあって、わざわざDVDを借りに行かなくても、いながらにして色々な映画を見ることができる。便利な時代になったものだ。
 ラストシーンは、だいたい記憶のままだったが、そこに至るストーリーは8割方忘れていた。というか、正確に理解できていないところがたくさんあったのだと思う。こういうストーリーだったのかと子供の頃にはわからなかった色々なことを再発見した。元上司だった、今は生活に困っている年老いた退役軍人のために当時の部下たちが力を合わせて、元上司の窮状を救うというストーリーで、子供心になんとなくは理解しても、戦争について、退役軍人が何か、など詳しく理解できるはずがなかった。
 良き時代のアメリカ、へ向かうちょうどそんな時に作られた映画だった。
 マイクロフォンがない時代には、歌手は皆地声で歌い、ベルカント唱法がオペラとともに全盛であったのだろうか。もしその頃にビングクロスビーが生まれていたら、彼の名声はなかったかもしれない。
 が、新しい機器が生まれ、彼はクルーナー・スタイルの先駆者となった。そして、それはウィスパーボイスへとつながっていったのだろう。
 本当に久しぶりに「ホワイト・クリスマス」を観てから、自然の流れで、なんとも心地よい彼のバリトンの歌声の数々も聴き直した。
 「トゥーラルゥーラルラー、トゥーラルゥーララー~~~」これは「我が道を往く」の挿入歌である「アイルランドの子守歌」の出だし。
 子供のときに聴いていたクリスマスソングの中で、「ホワイト・クリスマス」の次に覚えていたのは「I'll Be Home For Christmas」だった。とても心あたたかくなるメロディーで、聴いていると子供のころのクリスマスの幸せ感がしみじみとよみがえってくる。もし、まだ聴いたことがない方がいたら、ぜひ一度聴いてみてほしい。
 そしてただ懐かしいだけではなく、どうしてこんなに彼の歌声に惹かれるのだろうと思う。たぶん自分が彼と同じバリトンの声質で、あのやわらかく優しく、大事なものをそっと包み込むような歌声に憧れの気持ちを抱いているせいかもしれない。
 いつまで歌えるかな。歳が重なってくると、そんなことも考えるようになる。まだまだと思いながらも先のことは誰にもわからない。
 だからというわけでもないが、「今」という時間を若い頃よりはいとおしく、大切に扱うようになったかもしれない。
 クリスマスイブの今日、子供の頃のあの「幸せ感」を思い出し、ビングクロスビーのクリスマスソングを聴きながら、いっしょに口ずさむことにしよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?