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いろいろ、ポツラポツラと書いていきます。読んでいただけたら幸せです。

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最近の記事

「ファドと異邦人」

 石畳の坂道を歩いている時には、まさか帰国してからこの歌を聴き続けるようになるとは思わなかった。  生のファドを聞きたくて、いつか「かの地」へ行こうと思っている間にいろいろなことが重なってなかなかその機会が訪れないでいた、が、ついに。  二週間の久しぶりの旅程から戻ると、時差ボケと旅の疲れからの風邪による咳がなかなか抜けなかった。若い頃にはこんなことなかったのに、寄る年波には逆らえない。  そんな中で毎日楽しみに聴いていた、また今も聴いているのが久保田早紀の「異邦人」だ。  

    • 「顔の味」

       過去から現在へ色々な顔が存在し、またこれからも存在し続ける。  色々な人種毎の特徴もあるが、同じ日本人でもそれこそその種類は千差万別だ。日本人なのに海外旅行をするとどこか別の国の人と思われたり、最初からおまえ日本人だなと言葉を発しない前に見破られたり、男女関係なくこんな経験はそこらじゅうにあるだろう。  韓国では日本以上に整形への依存が高く、女性でそれを考えない人はいないと聞いたことがあるが本当なのだろうか。  自分の顔をつくづくと眺めてみる。丸顔で目は小さく、鼻もだんごで

      • 「つい、そしてうっかり」

         もう強い日差しに負けそうになりながら電車の席に腰かけた。駅までのわずか10分程度の徒歩で、もう全身、特に背中は汗がしたたっている。ミニタオルで背を拭うが、汗はなかなかひっこまない。クーラーの冷たい空気を背に入れようと肩掛けバッグから扇子を取り出し風を送る。そんなことの間に、降りる駅に着いた。慌てて扇子を閉じ、クラリネットを入れたリュックサック、そして細長い楽譜立て入れを手に、電車を降りた。  人間、何かに気を取られていると、他のことには目がいかないものだということは知ってい

        • 「あたし問題」

           「問題」と云っても大上段に社会問題に切り込もうとしているわけでは全くない。些事の部類に入る、もともとは個人的な感想のレベルのことに過ぎない。  所属している男声合唱団が近く演奏会を行なう。その一つのステージで昭和の歌を歌うのだが、歌唱曲の中に「夜明けのうた」がある。岸恵子の持ち歌としてヒットし、聴く人に希望を与える素晴らしい曲なのだが、練習している時から言いも言われぬ違和感を感じていた。岸恵子が歌う分には問題ないのだが、野郎集団でこの歌を歌うと、歌詞の中の「あたし」が痛く落

          「絵文字とは?」

           メールが少しずつ市民権を得、そしてSNS全盛の今、絵文字はもう欠かせないツールのひとつになっている。  一体誰が、どんなことで始め、そしてそれがこんなに当たり前のこととして馴染んだのだろうか。  先日、海外旅行をしている友人とラインでやりとりをしていた。向こうはホテルの部屋の写真とかその他の写真を色々と送ってきた。返信をと思い、話を少し盛り上げようとして幾つかの話題を文字で送ると、「長げ―ヨ」と返して来た。その瞬間ムッとした。せっかくこっちが話題を色々と気を遣っているの

          「絵文字とは?」

          「まさかの、ビバリーヒルズコップ再び」

           それを見てウソだろ、と思った、まさかあの映画が、あのアクセルが40年振りに帰ってくるだなんて。もう主人公はとっくに引退して優雅にどこかで暮らしているはずなのに。  今は映画情報誌を見ることもなく、すっかり動画配信の情報にお世話になっているのだが、時々タイムリーで心踊らせる瞬間がある、今回もその一つだった。  もうテーブルにおつまみとウイスキーの水割りを置いて、さっそく再生ボタンを押す。  映画は全くもって期待通りのものだった。リズム感にあふれる映像展開。小気味よい音楽は当

          「まさかの、ビバリーヒルズコップ再び」

          「黒と白の世界」

           一冊の画集がある。タイトルは「黒と白」。<異邦人>は19世紀パリにうごめく雄弁な黒をとらえた、と帯にあり、その帯も黒字に白文字。もちろん表紙周りもその2色だけだ。  作者はバロット。1925年に60歳でその生涯を終えるまで、彼は当時のパリの様々な世界を木版画で描き続けた。  どうしてこの世界に魅かれたのだろう。  小学生の頃、版画が大好きだった。危なっかしい手つきで先の尖ったそれで平面を徐々に削り、一番最後に思い描いていた頭の中の世界が一枚の紙に描き出される。いや、決して思

          「黒と白の世界」

          「音楽に言寄せて」

          #創作大賞2024 #エッセイ部門 (1)パリの片隅のアコーディオン弾き      どこから始めよう。やはり、音楽の、それもアコーディオンという楽器の話からか。  シャンソンにはアコーディオンの音色が欠かせない。出だしで軽やかなその楽器が鳴っただけで、これはシャンソンだと思ってしまうほどに。恥ずかしい話だが、それと似たバンドネオンはお店の何か特別な明かりだ、とずっと思っていた。そしてそれが楽器を指すとわかった時には、アコーディオンの別称だと思った。しかし、よくよく見るとバン

          「音楽に言寄せて」

          「負けちゃいけないよ」

           沢田研二がまたブレイクしているという。何年か前ドタキャン事件で騒がれたが、アリーナコンサートも盛況で、映画出演も続いており、スターは永久に不滅です的な活躍だ。  もちろん新しいファンもたくさんいるのだろうけれど、やはり支えているのは昔からの固定のそれだろう。スターも年をとる。もちろん自分だって。当たり前だけれど歳をとらない人はいないのだから。自分の歳の取り方とスターのそれとを重ね合わせて応援している人もいるかもしれない。  歌手Fをずっと聴いてきた。  最近彼は昔の自作の

          「負けちゃいけないよ」

          「バンコクからの手紙」

           あれは何と言っただろう。地面に埋めてずっと後に自分が書いた手紙を取り出す。宛名は未来への自分へ。たぶんおおかたの人がこそばゆくなりながらそれを読むのだろう。  母親の遺品整理などを少しずつ始めた。亡くなった当初はそんな余裕などもちろんない。時の流れが、少しずつそういった余裕を与えてくれているのかもしれない。そんな時、それは残酷な反面、時にほどよい漢方薬になるのだな、などと思わず呟いている。  仏壇の周りを整理していた時、ごく普通の小さな小箱を開けて驚いた。中には、昔わたしが

          「バンコクからの手紙」

          「一言に救われる」

           ほんの時々だが、「その一言」に救われる、ということがある。  相手は、別段救おうなどと思ってはいず、その時の正直な気持ちを口にしただけのことかもしれないのだが。  なかなか客の来ない料理店。自分の求めていた味は万人には通用しないのかと悩んでいた矢先、一人でひょこっと入って来た客が、一口食べた後に呟く「おいしい、、、」  プロを目指しながら通りで歌っているストリートミュージシャン。立ち止まる人もあまりいず、もうやけくそで声を張り上げた瞬間、「そういう汗はいいね」と言って帽子の

          「一言に救われる」

          「あの日の残像」

           近所の通りを歩いていて、通りに面してぽっかりと空き地がある。  はて、こんな空間はなかった。では、ここを埋めていたのはどんな建物だったろう。記憶を辿っても思い出せない。いつも通るのだから何かしら思い出しそうなものなのに、記憶の一片もないのだ。  視界に入っているから見ているはず、ということはないのだとよくわかる。  事件があった時、目撃者が呼ばれ当時の模様を聞かれ、時には面通しのようなこともあるそうだが、どこまでその人の記憶が正しいのか疑問符がつく。記憶というのは色々なもの

          「あの日の残像」

          「おおい、シャーロック!」

           久しぶりに鎌倉を散策して紅葉を楽しみ、何処で遅い昼食を取ろうかと考えながら若宮大路を駅の方へ向かって歩いていた。暖かい日で、けっこう歩き廻り汗ばんでもいた。顔の汗を拭おうと小さいタオルをコートのポケットから出そうとしたその時、大路の左側にある建物が目に入った。前方の旗に英国アンティーク博物館とあり、そして横にシャーロック・ホームズの部屋、とある。  名探偵の物語は好きで、次のページを開くのが楽しみだった。「まだらの紐」「赤髪連盟」「三人の学生」「美しき自転車乗り」幾つもの物

          「おおい、シャーロック!」

          「死ぬまでにあとどのくらい***だろうか~OZU、オヅ、小津~」2

           小津の作品の一場面。  田中絹代が食卓で笑っている。左のワインとジュースの中身の高さが揃い、右にある果物を盛った皿の高さも揃い、真ん中に食卓の上に両手を載せている。背景に目をやると左にある襖の縁と右にある柱のちょうど真ん中に田中絹代の体がある。そしてその大きな格子の形は彼女が着ている着物の細かい格子模様にもまた同調しているのだ。  場面は変わり、今度は娘役の有馬稲子の食卓画面。同じように高さが揃えられた食器の間に手が同じように両手が見える。よく見比べると、田中絹代は左手に指

          「死ぬまでにあとどのくらい***だろうか~OZU、オヅ、小津~」2

          「死ぬまでにあとどのくらい***だろうか~OZU、オヅ、小津~」1

           死ぬまでにあとどのくらい***だろうか。皆さんならこの空欄にどんな語句を入れるだろうか。  アサヒからアルコール度数3.5%のビールが出て、営業部のコメントが新聞に載っていた。二十歳過ぎから飲み始めて40歳がピーク。65歳から量が減り、しだいに飲めなくなると。そういう人のため、また翌日に残らない軽いビールを求めている若い人のための商品開発だと。  ちょっと前までは普通に300グラムのカレーライスを食べ、時には物足りなさも感じていたが、最近は同じ量を食べるともうおなかが膨れ、

          「死ぬまでにあとどのくらい***だろうか~OZU、オヅ、小津~」1

          「ドラマが描く一生」

           NHKの大河ドラマも朝の連続テレビ小説も時にかなりの話題となる。  「らんまん」が終わったばかりだが、主人公の関連書籍が売れたり、改めてこういう人がいたんだと認識したり、見る人により感想は様々だろうが、自分の視界がまた少し広くなることもまた事実である。  どこまで事実に沿っているかは別として、まあドラマなのだからかなりの脚色が施されていることを割り引いても、こんな人生もあったのだなと知るのは面白い。  半年、あるいは一年を通して「その人の人生」を描くのは、こんな二つの番組く

          「ドラマが描く一生」