mt_bari

いろいろ、ポツラポツラと書いていきます。読んでいただけたら幸せです。

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最近の記事

「あの日の残像」

 近所の通りを歩いていて、通りに面してぽっかりと空き地がある。  はて、こんな空間はなかった。では、ここを埋めていたのはどんな建物だったろう。記憶を辿っても思い出せない。いつも通るのだから何かしら思い出しそうなものなのに、記憶の一片もないのだ。  視界に入っているから見ているはず、ということはないのだとよくわかる。  事件があった時、目撃者が呼ばれ当時の模様を聞かれ、時には面通しのようなこともあるそうだが、どこまでその人の記憶が正しいのか疑問符がつく。記憶というのは色々なもの

    • 「おおい、シャーロック!」

       久しぶりに鎌倉を散策して紅葉を楽しみ、何処で遅い昼食を取ろうかと考えながら若宮大路を駅の方へ向かって歩いていた。暖かい日で、けっこう歩き廻り汗ばんでもいた。顔の汗を拭おうと小さいタオルをコートのポケットから出そうとしたその時、大路の左側にある建物が目に入った。前方の旗に英国アンティーク博物館とあり、そして横にシャーロック・ホームズの部屋、とある。  名探偵の物語は好きで、次のページを開くのが楽しみだった。「まだらの紐」「赤髪連盟」「三人の学生」「美しき自転車乗り」幾つもの物

      • 「死ぬまでにあとどのくらい***だろうか~OZU、オヅ、小津~」2

         小津の作品の一場面。  田中絹代が食卓で笑っている。左のワインとジュースの中身の高さが揃い、右にある果物を盛った皿の高さも揃い、真ん中に食卓の上に両手を載せている。背景に目をやると左にある襖の縁と右にある柱のちょうど真ん中に田中絹代の体がある。そしてその大きな格子の形は彼女が着ている着物の細かい格子模様にもまた同調しているのだ。  場面は変わり、今度は娘役の有馬稲子の食卓画面。同じように高さが揃えられた食器の間に手が同じように両手が見える。よく見比べると、田中絹代は左手に指

        • 「死ぬまでにあとどのくらい***だろうか~OZU、オヅ、小津~」1

           死ぬまでにあとどのくらい***だろうか。皆さんならこの空欄にどんな語句を入れるだろうか。  アサヒからアルコール度数3.5%のビールが出て、営業部のコメントが新聞に載っていた。二十歳過ぎから飲み始めて40歳がピーク。65歳から量が減り、しだいに飲めなくなると。そういう人のため、また翌日に残らない軽いビールを求めている若い人のための商品開発だと。  ちょっと前までは普通に300グラムのカレーライスを食べ、時には物足りなさも感じていたが、最近は同じ量を食べるともうおなかが膨れ、

        「あの日の残像」

          「ドラマが描く一生」

           NHKの大河ドラマも朝の連続テレビ小説も時にかなりの話題となる。  「らんまん」が終わったばかりだが、主人公の関連書籍が売れたり、改めてこういう人がいたんだと認識したり、見る人により感想は様々だろうが、自分の視界がまた少し広くなることもまた事実である。  どこまで事実に沿っているかは別として、まあドラマなのだからかなりの脚色が施されていることを割り引いても、こんな人生もあったのだなと知るのは面白い。  半年、あるいは一年を通して「その人の人生」を描くのは、こんな二つの番組く

          「ドラマが描く一生」

          「お母さん・・・」

           氷屋の娘でアイスが大好きで、自転車に乗って大きな氷を配達したことを嬉しそうに話して、コーラも大好きで、さしみにたっぷりの醤油をつけるのが大好きで、これっぽちも自分の体の心配はせず、いろいろあったそんなこんなでも商売に一所懸命で、全身全霊で家族を愛してくれました。  けっこう勝気で気が強くすぐ怒り、とってもわがままで、でも孫が来ると体が大変なのに一所懸命手を上げてVサインをつくるほど気遣いもして、アイラブユーと冗談を言うと投げキスを返してくれるおちゃめもあって、みんなそんな「

          「お母さん・・・」

          「男声合唱団」

          「男声合唱団」  所属している合唱団は創立から50年を迎え、現在も活動中である。  県立高校に赴任した素敵な音楽の先生から、次第に音楽の輪が拡がり、四人から始まった合唱の縁も大きくなって、少しずつメンバーが増え、そして50年が過ぎた訳だ。  縁あって、平成元年からこの団に関わりを持つようになって、けっこう長い間ここで歌っている。  全体をまとめてくれた先生は本当にステキだった。そして気配りも行き届いていて、私の父親が亡くなった時には、百段以上もある山の上の自宅まで訪ねてくれ

          「男声合唱団」

          「エッセイは自慢?」

           「エッセイは自慢だ」と、井上ひさしが言ったという。これは、まさしく核心をついた名言だと思う。  書いている本人にはそんな意識はない。ねえ、聞いて、ここへ行ったらこんなおもしろいことがあったんだよ、趣味でこれやってるんだけど、意外な発見があってね、あんな素晴らしい人に会えてほんとラッキーだったよ、今こういうおもしろいことやってるんだけど、みんなももしよかったらやってみてよ。書く側は日常の中のおもしろいことを伝えたくて書くのだが、中には、こんな旅行のこと書きやがって、オレなんか

          「エッセイは自慢?」

          「プロレスはショーじゃない 人生がショーなんだ」

           仲間内の会合で相撲の話題が出た時に、横綱貴乃花が好きだった、と言った。  最後の武蔵丸との優勝決定戦で勝ち、22回目の優勝を決めた時の彼の殺気迫る表情を覚えている人も多いだろう。「感動した」と、時の総理大臣が大きな杯を渡した。  すると会合の中で、ある人が、あれは八百長だったそうだ、と言った。  貴乃花の最後まで不器用だった生き方を考えると、それはない、と断言できる。もし彼が八百長をするような内面を持ち合わせていたなら、あんな形で相撲界から離れる顛末には決してならなかった、

          「プロレスはショーじゃない 人生がショーなんだ」

          「星新一風に」

           エヌ氏もう病床にあり、24時間起き上がることもなかったが、何でもできた。  少し前までは右手のひとさし指で操作していた網膜に映る画面を、今は目線一つでそれを操っていた。目の前に広がる自室に愛するボッコちゃんがいて、彼女に頭で考えたことを伝えると、何でもやってくれるのだ。  ちょっと寒いから室内温度を上げて。外が騒がしいから、四重窓の完全防音設定を発動して。ビバルディの「四季」が聴きたい。なつかしい「タイタニック」が観たい。脳内にある懐かしいあの人の、あの映像を映して。今日は

          「星新一風に」

          「クラリ、その次へ」

           長らく停滞していて、もうこれ以上次へはいけないと思っていた。練習してはいるのだが、相も変わらずリードミスのピーピー音。そうなのだ。ただ練習のためのお義理の練習では全くもって効果がないのだ。  本番では緊張して必ずミスが出る。練習ではできていても本番ではできない。  ただ練習のための練習ではダメなのだと痛烈に思う。  ただ練習のための練習をしていても、先生を前にしてしまうと、またある程度の観客がいる前では心の在り方が全く違う。これがすごく大事なのだ。だから、練習のための練習、

          「クラリ、その次へ」

          「ダル・ダル・ダル」

           贔屓にしている選手が日本のメジャートーナメントで優勝を争っていた。最後の最後、パットが入れば優勝、外せばプレーオフというこれ以上にない痺(しび)れる場面だった。構えたその選手は一度スタンスを外した。そして手をブラブラさせるポーズをとった。いかに緊張しているかがこちらにも伝わってきた。  結局そのパットを入れ、その選手は優勝した。その時のことを友人に話した。いやあ、見ていてね、こちらもね、痺れたよ、と。すると、その友人は言った。 「誰かがお金稼ぐの見てて何が楽しいの?」  そ

          「ダル・ダル・ダル」

          「今が永遠(とわ)」

           今起こること、することは何がしか少しずつ意味を変えながら先の「いつか」へ繋がってゆく。  もう何年も前、所属する男声合唱団の記念誌に標題の文章を載せた。  高等学校の職場が同じで、やはり同じ最寄り駅から乗るS先生と通勤途中で話す機会がよくあり、へえ、歌が好きならうちの合唱団へ入ればと誘われて気づくともう長い間歌っている。S先生は亡くなったが、こちらはまだ先生との縁をつなげている。  夏に海辺にある学校の施設で合唱団の合宿をしたこともあった。その時にはS先生は世話係に徹して、

          「今が永遠(とわ)」

          「両神山の主(あるじ)」

           それまで低山ハイクばかりだった私を本格的登山に誘(いざな)ってくれたのは、職場は違うが同じ日本語教育業界で、あるきっかで知り合ったFさんだった。  人と人の相性は説明できるものでなく、なぜあの人と話が合うのか、いっしょにいて楽しいのか、言葉を尽くそうとしてもそれは無駄だとすぐ分かる。趣味が同じだから?同じネクタイをしているから?そんな人でも、もう二度と会いたくないと思う人はいるからだ。  誰かと楽しい酒を一つ所で飲んでいて、気づいたら4時間も経っていた。こんな時は本当に生き

          「両神山の主(あるじ)」

          「旅の形」

           ずっと若い時、海外旅行先で同じようなバックパッカーと出会うと決まって昨日はどこに泊まった?という話になる。そしていくらだった?と話は続くのだが、相手より安い所へ泊まると少しばかり優越感に浸ったあれは何だったのかと今でも思う。貧乏を自慢するなんてことがあるのかと。当時のことを思い返してみると、たぶん安い分劣悪な環境を一晩過ごしてすごいだろ、ということなのだと思うが、ばかだったなあ、と今では当時のことを振り返る。  若い時にしかできない旅、というのもあるのだろうからそれはそれで

          「旅の形」

          「一億という単位」

           前に「百年という単位」という文章を書いた。人生百年時代と国が何かの目的で煽って宣伝するようになり、それじゃあ平均年齢がそうなのかと言うとそんなことは全くない。思惑に脅かされて、これからの人生設計に暗くなる必要もないのだが、まあもっと医学が進歩し、老化遺伝子をコントロールできるようになると、少しはそこに近づくかもしれないが、今のところそれは全くの絵空事だ。  通販番組では、健康のための色々なものが宣伝される。多種多様のサプリメントを始め、これに乗るだけで下半身の筋肉が鍛えられ

          「一億という単位」