「ファド その路地の向こうに」

 その音楽評論家Fの話で、初めて「ファド」を知った。独特なギターの伴奏に合わせて女性ヴォーカルが歌う。早速、アマリア・ロドリゲスのCDを求めて家でも聴いた。一言で言うと、ポルトガルのリスボンで生まれた民俗歌謡だ。何故かこちらの琴線に響いてくる。
 ちあきなおみがこのファドを日本語訳にして歌ったCDも出ている。編曲が変わるとこうも違うのかと思うほどそれは日本の演歌に近いものだったが、中でも「悲恋」は名曲だと聴いて思った。
 そして、西ヨーロッパぐるりの旅をした時、どうしてポルトガルに寄らなかったのかと後悔した。その時にファドのことを知っていれば、現地に行って生の演奏を聴きたかったと。
 旅番組や、リスボンが舞台の映画などでその街の風景を見る度にその地への旅情は募った。石畳の坂道、往来する路面電車、古い風情ある建物。そこには濃密な潮風が匂ってくるようでもあった。
 先日、テレビで「反響定位」についての番組があった。英語では「エコーロケーション」と言い、目の不自由な人が舌打ち等の音を出して周りの物体や状況を知る能力のことで、当事者が周りにどんな形状のものがあるかを言い当てていた。前に「イマジン」という映画の主人公がこの能力を使ってリスボンの街を歩いていたのだが、まさか本当にこういう能力があるとは、その番組を見るまで知らなかった。映画の中ではリスボンの街が第二の主人公のように扱われていて、路面電車、坂道の上から見える海、古いカフェの様子等が効果的に使われていた。さらにリスボン行きへの願望が高まってしかたなかった。
 さらにFは続けた。独特な間をとる彼の話し方は聞いている人々を惹きつけた。
「私がリスボンに行ったのは、もう十数年前です。生のファドが聴きたくて行ったのですが、生憎、こちらの心に響く演奏にはなかなか出会えませんでした。幾多の店があり、もう毎晩通ったのですがね」
 彼は、そこで一呼吸置き、テーブルの上の水を一口飲んだ。
「ある店で聴いている時、傍らにいた年寄りが私に話しかけてきたんです。流暢な英語で、こう言ったんです。あんたはよく最近、ファドの店で見かけるね。わしも好きでよく聴くが、もうあんたを見かけるのは三回目じゃ。もし、それほど好きならば、ここへ行かない手はないぞ」
 老人はそう言って、その店の大方の場所を説明したという。
「・・・で、その教会からまっすぐ伸びる道を行き、三本目の道を右に曲がる。その店はしばらく進んだ左側にある」
 その老人は演奏中に話しかけてきて、演奏終了後すぐ席を立ったので、店の名前などゆっくり確認する余裕はなかったという。
「こんなことを聞いたら、もう居ても立ってもいられなくなりました。そこではどんな演奏者がどんなファドを唄うのだろう。私は次の日から、その店を探しました」
 しかし、生憎(あいにく)帰国の日までそれほど日数があるわけでなく、店の名前もわからなければ、唯一の目印となり得る教会の名前さえ聞き漏らしてわからないのだ。とりあえず目ぼしい所を探したが、あの老人が教えてくれた店だと直感できる所へは行けないままで終わったという。
 「あの年寄りがね、こっちをかつごうとしたのかも、と思ったこともありますがね、いやいや、しっかりとこちらの目を見つめて、心底その店を勧める趣だったんです。そんなに好きなら、絶対この店へお行きなさいとね。せめてちゃんと店の名前をとね、今からは思いますがね、演奏が終わってから、きちんと教えて欲しかったとね。でね、いろいろ想像しちゃうんです。どんな演奏者がそこで歌っているのかとね。晩年のビリーホリデイのようなしわがれて趣あるファドかもしれない、逆に透き通る高音が魅力のファドかもしれない、アームストロングのような枯れた野太い歌声のファドかもしれない、などといろいろね。。。あの老人が勧める理由は何だったのだろうということも含めてね。一つ言えることは、観光客が行くような、旅行ガイドブックに載っているような所では絶対にない、ということでした。今後、その店を探すことができるかどうか、楽しみにしてるんです。たとえ幻の店で終わるかも、にしてもね」そして、その評論家はその一言をもってオーディオショーにおける彼の話の締めに変えた。
 試聴して同じように「ファド」に魅かれた自分は彼の話に引き込まれた。そして暇があるとアイパッドで地図を開き、「ストリートビュー」でリスボンの街を訪ねるようになった。残念ながらまだ一度も訪問していないその街を、例の「ファド」の店を探しながら。「その教会からまっすぐ伸びる道を行き、三本目の道を右に曲がる」という唯一のヒントを頼りに。リスボンの街に流れる海風を感じるような錯覚に身を任せて。

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