「三重苦のクラ吹き」

 もう吹き始めてからどれくらいになるだろうと指折り数えてみると、その指を折る回数に比べて上達の遅さに愕然とする。決して練習をサボり続けたわけでもなく、できる限りの努力は注いできたつもりなのだが、やはり足りなかったのだろう。いまだにアンブシュア(口の形)は安定せず、下唇をあてがうリードの振動で音が出るのだがピイピイとリードミスの連続、指はもつれ、楽譜をみているうちに頭の中ももつれる始末。
 オーディオが趣味で、音を良くするために色々なものに手を出してきた癖がここでも顔を出し、新素材の、リードを固定させるリガチャー、右手親指が痛くならないネックストラップ、楽に音が出るという樹脂製リード、ジョイント部につけるだけで音が改善するという不思議アイテム等は胸ときめいて手に入れてきた。それらが功を奏して満足いく演奏につながったかというと、そううまくいくはずがないのが世の常である。
 リードひとつ取り上げても、天気や気候にも左右され、昨日はあんなによく音が響いていたのに今日はどうして、などということもある。葦という植物から作られているので仕方ないのだがその微妙さに驚く。またリガチャーも色々な材質があり、それだけで音が変わる。唇の当て方、息の出し方も本当に微妙で、未だにこれだというものを掴めずにいる。
 一度だけ発表会でうまくいった時があったが、その日は朝からお腹の調子が悪く、体に力が入らなかった。ええい、こんな時には失敗して当たり前と肩の力が抜けて、指先にも余計な力が入らず、最後まで緊張せず演奏を終えた。確か「歌の翼に」だったか。それ以外では、満足して終わったためしがない。緊張の中でのミスのオンパレードの山ばかり。4年に1度しかないその舞台へ向けてコンディションを調整し、緊張感もコントロールし、心の平静を保つオリンピック選手の凄さを思い知ることにもなった。
 習い始めの頃に、姪の結婚式の余興で吹くことになり、その時の失敗がその後のトラウマになっているのかもしれない。いやいや、そう言っては姪に申し訳ない。全てはこちらの努力不足に尽きるのだ。

 花粉が舞うこの季節は、「花粉症」という言葉がなかった頃から症状が出ていたこちらにとっては、もう暗澹たる毎日である。色々病院へも行ったのだが、合う薬に巡り合えず、ようやっと出会えたのは「ルキノン」という市販薬だが、副作用で眠くなり、口の中が乾く。2錠服用のところを1錠にすることも試してみたが、うまくいく日とそうでない時がある。
 何年か前に「無呼吸症候群」なる診断が出て、毎日Cpapという人工呼吸器のマスクを鼻に当てて寝ているのだが、この季節は鼻が絶不調のためなかなか熟睡できず、朝起きても爽快感がまるでない。ただ眠いというのではなく、「眼球そのものが眠い」という感覚がわかる方はいらっしゃるだろうか。もうこうなると、一日を充実して過ごすことができず、ついつい練習もサボりがちになってくる。
 そんなこんなで、1か月に2度通うクラリネットのこの季節のレッスンは、指導者の先生には申し訳ないが、頭には霧がかかり、目はチカチカ、鼻水はタラタラ、口はカラカラという惨憺たる体調で受けることになるのだが、先日、夕食にチキンの丸焼きを食べた時に上の前歯で硬い骨をガリッとやり、前の差し歯が取れてしまった。こうなると、もう三重苦どころか四重苦である。口にくわえるところをマウスピースというのだが、まず上の前歯をしっかり固定する必要があるのだが、それができないのだ。
 もし自分がレッスンを教授する方の立場だったら、こんな生徒はとうに見放していたと思うのだが、現在の指導者は全くもって忍耐強い人で、そんな時でも見放さず、丁寧にできることを積み上げようとしてくださる。天はまだ我を見捨ててはいない。こういう素晴らしい指導者に巡り会えたのだから。

 思えば、この楽器を始めようと思ったきっかけは、銀座の山野楽器のCD売り場でクラリネットとギターの音を聴いたことだった。オーディオファン用に最高の環境で最高の方法で録音されたもので、ちょうど流れていたのが、ジャズ風にアレンジされ、耳にも馴染んでいる「テネシーワルツ」だった。CDを求め、家で聴くと演奏者が見えるように見事に音場が再現され、クラリネットの響きが心地よかった。
 大抵はそれで終わりなのだが、この時には何故かこの楽器をやってみたいという思いに取りつかれた。そしてそこから、イバラの道が始まることになったわけだ。
 なので、今は基本練習の繰り返しと取り上げる曲もクラシック系が多いのだが、ゆくゆくは軽やかなジャズを軽やかな指使いで吹いてみたいというのが夢の夢だ。
 そんな思いを胸に抱きながら、この季節、三重苦を背負ったクラ吹きは三重苦に負けそうになりながらも、信頼する指導者の下、時々サボりながら日々練習に励んでいる。
 時々ネットや雑誌を見ては、どんな人でも安定した音が出るリードやリガチャーといった、何か夢のような新しいアイテムが発売されないかと探す性分だけは、これはもう治りそうにもないのだが。

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