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写真集を作るということ 4

 写真集は「印刷」という工程を必要とするもの。もちろん自分でインクジェットプリントとして出力したものを一冊にし写真集としてもよい。1970年代初頭、特殊な用途だったが「 CHペーパー」という薄い印画紙が販売されていた。それを大量に暗室でプリントし、乾燥させ、ホッチキスなどで閉じて「私家版写真集」としたものだ。あの荒木経惟さんなども作っていたはず。当時は「オフマガジン」の時代でもあり、個人のメディアをそこに作るということが様々な方法により模索しながら行われていた。写真学校などでは、軽オフセット印刷機を使い、授業として、今から思えばたいした画質ではないにせよ手作りの写真集を印刷し「発行」されていた。私も連日学校に泊まり作業をしていた。

 今は、完全版下を作れるならば、ネットを通じて一冊からでも良質な写真集は作れる時代。またある写真家のように古典技法によるプリントから製本まで全て自分の手で行い、いわば受注製作として丁寧に作業が進められている例もある。私家版、自費出版、限定制作を問わず、その気になれば写真集は手作りで可能であり、その過程もまた楽しい。

 しかしそうはいっても、やはり印刷会社に直接印刷をお願いし、あの大きな印刷機により自分の作品が刷られていく醍醐味は格別なものがある。今回も禅フォトギャラリーの写真集シリーズのデザインをされている柿沼さんの力をお借りし、印刷までの進行を面倒見ていただいた。そして、デザイナーさんだけでなく、当然、印刷作業に入る前の段階で複数の方のお世話になるのだが、特に、今回は東京印書館の高柳昇さんの「目利き」に頼るところが大きかった。高柳さんは「伝説のプリンティング・ディレクター」として数えきれないほど様々な写真集を担当されてきた方。そのお仕事ぶりにより日本写真家協会賞(2016)も受賞されている。

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 2月9日、その前にデザイナーの柿沼さんと色校正した紙を会社に持参し、さらに詳しく一点づつ印刷画像を調整していく「出張校正」に臨んだ。今回はプリントした私のオリジナルは20数点しかなく、他のものは私のポジの記憶を画像に反映させるという極めて特殊な作業となった。そして、ここから高柳さんと綿密なやりとりが始まる。色被りしたもの、コントラストの強いものなど仔細に検討しながら、ディレクターに投げかける。それを校正紙に細かく指示をスラスラと書き入れていくのが高柳さん。この指示が私には読み取れないほどの神技。

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 印刷機械、インク、紙質、写真画像などに精通しているからだろうが、素早い判断は迷いがちな写真家には心強いものがあった。そしてこの「出張校正」を終え、次の週に実際の印刷作業。丸一日埼玉県の印刷工場に出向き、私、デザイナーの柿沼さん、高柳さんと再び顔合わせ作業に入る。といってもこちらはただ刷り上がった試しを待つだけの時間。それらをチェックし、直すところは直し、本番の印刷。この流れはとてもスムーズであり、大きな印刷会社ならではの信頼感がある。午前9時から始まり、夕方暗くなる頃までに印刷が完了した。

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 冒頭、一人でも写真集は作れるというようなことを書いたが、ブックデザイン、編集、印刷に精通した人が加わることでよりよいものができるというのも事実だ。そして、高柳さんのように写真に対しての愛情、写真集への熱意を持っている人が印刷会社にこうしているということを今回目の当たりにできたことが何よりもの収穫だ。

 今回、禅フォトギャラリーから出版した写真集「 TOKYO HEAT MAP 路上の温度計1997ー2004」は700部限定、200×200mm、120頁。4500円(税込)。禅フォトギャラリーのこのシリーズとしては NO.8。一冊の価格としては正直高い。この半額であったら多分よく売れるだろう。(もちろん売れたところで、私の収入になることはない。その点は一つの「課題」でもある。)しかし、時間や手間というよりも、ポジフイルムによるかつての作品を、いかにこの今の時代にしっかり残していくかという作者のこだわりと、紙の本、写真集に熱意を持って臨む若きデザイナーやプリンティング・デザイナーの存在を考えれば、この価格も納得していただけるのではないかと思っている。そして、作者は「写真集を作れた!」という唯一の特典ならぬ、成果だけをもらえるものだということも知っていただけるとよいだろう。そのことを糧として次に進めるということである。

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古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。