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連載「須田一政への旅」第8回

その「色」は変化自在で、ふっと振り返るともうそこにはない、そんな刹那の幻

胸騒ぎのカラー写真群

 「日常と非日常の二律背反が併走する虚実皮膜」。2018年に刊行された「日常の断片」(青幻社)の帯には、ちょっと堅苦しい文章が付いている。名作「風姿花伝」を基軸として、それ以後の作品の多くはモノクロームだった須田作品の中で、この「日常の断片」は中判カメラによるカラー。1983~1984年にかけて「日本カメラ」に連載されたシリーズである。


「日常の断片」(青幻舎)。後半は日本カメラ、アサヒカメラで、94年、95年、2002年に掲載された作品が挟まれているが、全て80年代の空気感が漂っている。バブルとその崩壊後の気怠い日常か。

 須田さんのカラーは珍しいといわれたりするが、1979年の「みすずかる信濃」、1982年の「北へ、そして北から」はどちらも当時のミノルタフォトスペースで発表した35ミリカラー作品だった。個人的にはこれら初期の抒情的ともいえる旅のスナップが印象に残る。モノクロームの須田調とは異なる、旅する須田さんのセンチメンタリズムが色調に表れていた。さらに1991年には「日常の断片」の続編のように「犬の鼻」( IPC)というカラー作品集も出しているし、90年代に足繁く通った台北やベトナムといった海外での作品もカラーだ。決してカラーを避けていたわけでもない。むしろここぞという集中力を発揮させてい
 須田さんらしい一瞬の反応そのものが花火のように炸裂しているのが、この「日常の断片」。それも赤やピンク色といった鮮烈な色彩に目が眩んだように肉薄している。モノクロでジリジリと被写体を煮詰め、スパッと切り取る撮り方にも似ているが、街と自分の「ざわつき」を色彩に被せているように思える。この頃大阪の街とも馴染みができたのか、東京下町とは違う「浪花」の直感的な妖しさを一人楽しんでいたようだ。噎せ返るような夏の日の新世界や天満界隈、暮れなずむ飛田新地あたり。そこには例の須田さんお得意の妄想世界が充満し、路上のタチアオイですら艶めかしく、胸騒ぎを伴う扇情的な光景としてシャッターが押されているように見える。カラーのこってり感は須田さんの潜在的な「美学」に反応したのだろう。

 写真集「日常の断片」の後半は家族を含めたご自身の日々を写した「 NORMAL LIFE」、それに当時の新聞記事を元に事件現場をポラロイドピンホールで写した「SPOT」などからの作品も挟まれている。前回考察した「 RUBBER」も含め、須田さんのカラー作品には現実と非現実の境、いや辻のような場所に差し掛かった作家を、「触媒」のようにして誘い込む色彩がはっきりそこに見える。その「色」は変化自在で、ふっと振り返るともうそこにはない、そんな刹那の幻。そして足早に路地を曲がると須田さんの前から町自体もまたかき消えている。あたかもそれは寺山修司の舞台「天井桟敷」のように。

ある光のもとでの赤やピンク色の「挑発」。案外危険な「迷宮」がそこに待ち受けているのだろうが、私でさえ反応してしまう。「彩度」を抑えろ!などというデジタル時代の注意書きも無用だ。

                          日本カメラ2020年8月号

古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。