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1000文字の写真論

12 コロナ禍の内と外

このコロナ禍によって、世界の政治、経済、社会、文化など広範囲に変化を強いられてきていますが、写真表現においても何らかの影響は避けられません。写真愛好家のみなさんにとっては、毎年恒例のコンテスト、展示などの場が中止を余儀なくされたとか、いつものお祭りも中止となり写真を撮りに出かける場が失われたなど、まさにステイホームの日々が続いたはず。プロ写真家でも撮影依頼が少なくなり、国外国内への取材も自由にできないという方々もたくさんいます。

 私などのように気ままに写真を撮るだけの写真家でも、長い時間、内に籠って写真を撮らざるを得ないという日々が続いていました。この「内」とは室内という物理的、空間的な場だけを指しているものでなく、また決して「内向的」という言葉にかぶさるものでなく、自己の内なる世界、イメージというところに向かっていくものとしてとらえていくことが大事です。「写真を撮る自分を、写真を撮ることにより見つめてみる機会」といってもよいでしょう。
 かつてよく使われた「心象写真」のようなものとは少し違います。奥さんがそこに写っても、食卓や散歩の道すがらなどの断片が続いてもいいのです。自分のまなざしの行方をゆっくり追うといった、ある意味でずっと答えが見つからない課題ともなります。

 一方で、コロナ禍の大きな「外」の変化の一つである「マスク」の着用。もはや普通の風景となりました。写真を撮る上で、こちらもマスクをしていますし、せっかくの構図で撮ろうとしている棚田では、農作業しているお父さんもマスクをしていたりします。マスクを外してくださいとも言えません。

 しかし厄介な問題はコロナ禍以後にあります。毎日マスクを着用しなくなった私たちは、突然、言いようのない不安に陥りはしないか。マスクは、感染を防ぐという目的以外に、顔の1/3が隠れていることのちょっとした安心感をもたらしました。しかし、いざ再び顔を全て「晒す」ということになるとどうでしょう。誰かに顔を覗き込まれているような不安と警戒心が突然生まれそうです。私たちも人を撮るということになんらかの躊躇いも出てきそう。

 しかし、写真は人のためにあるものだと考えます。コミュニケーションの回路を閉ざしてはいけません。コロナの時代を乗り越えていったとき、持続可能な世界をダイナミックに繋いでいく共感といったものが私たちの撮る「写真」から生まれることを信じたいと思います。「内と外」をしっかりバランスさせ明日に向かいたいものです。


 これらの文章は月刊「フォトコン」(日本写真企画)、2021年1月号〜12月号に連載されたものです。連載時は編集部にいらした坂本太士さんにお世話になりました。この場をお借りし御礼申し上げます。


古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。