写真家の道
綜合写専では授業の助手時代、土田さんが校長、私が専任の時代、そしてニコンサロン運営委員、ニッコールクラブ幹事の時代を通して長いお付き合いだからか、改めて土田ヒロミさんの写真家としての「パースペクティブ」を強く意識していなかったが、昨年あたりから急速に「復習」する機会が訪れている。以下、日本写真協会賞功労賞の受賞に際し、僭越ながら選考委員の一人として受賞理由を書かせていただいたもの。すでに6月1日の表彰式で配布された「東京写真月間2022」に掲載されているものだが、再録させていただく。
日本写真協会賞 功労賞 土田ヒロミ
『土田ヒロミさんご本人が作られた「土田ヒロミ全作品」というチャート図がある。「自閉空間」から今日までの作家活動の流れは一見複雑多岐に渡っているように思えるが、案外明解だ。土田さん自身がそれらの作品をしっかり批評し分析しその結果が連なりとして整理されていることがよくわかる。しかし、今回の「功労賞」はそうした『多年にわたり日本写真文化のために顕著な功績』に対して贈られるというだけのものではない。昨年末の最新作「ウロボロスのゆくえ」(キヤノンギャラリーS)にもよく表れていたように、常にご自身の作品を大きく上書きしながら進化し、「現在進行形」の出来事として世界や社会を捉え、表現方法を先鋭化させ、さらに土田ヒロミという写真家像を更新させていくという活力そのものへの「功労」ということではないか。
チャート図に戻るとすれば、継続されたお仕事の中に一つある「 Aging」は毎日の果てしない自写像。ここでは個人としてのワタシを決して褒め上げることもなく、むしろ客観的にレイヤーとして積み上げていくことを切なくも楽しんでいるように思えてならない。表現を逆手にとって自身を呑み込んでいく。これはまさに「ウロボロス神話」そのものだ。
土田さんはそのゆくえとして「フクシマ」、「ヒロシマ」、「ベルリン」、「エルサレム」などをまだまだ抱えている。さらに上書きされていく作品としての厚みを十分に予感させる。そうした表現への若々しい情熱と並々ならぬ行動力に対して心より敬意を表したい。』
大西みつぐ
この私の短い文章で、私が恥ずかしくも書き落としてしまったことがある。
それは、受賞の挨拶でもご本人が触れられたように、土田さんの出発点としての「自閉空間」という作品、そして名作「俗神」でわかるように、土田さんの創作の根底には、常に日本、日本人とは何かがあることだ。もちろん土田さんの「写真の道」の中には「ベルリン」や「エルサレム」という外国での作品も残されているし現在進行形でもあろうが、国内での作家活動は「群衆」という器でわかるように常にこの国の過去と現在とこれからの行方についての考察が作品化されている。さらに、この度刊行される1986年からのセルフポートレイト「Aging」は、土田ヒロミという写真家個人の肖像をはるかに超えて行き着く「人の道」が流れている。そこにはまたご自身が「合わせ鏡」として双子さんであったことも出発点となっていそうだ。
「ヒロシマ」や「フクシマ」という歴史に刻まれた出来事に取り組んたドキュメンタリーもあるし、それらはさらにまたどこかで(どこかの時代で)繋がっていくような宿命が写真の隅々から感じられる。土田さんの写真家としての厚みはまさにここに由来するのだろう。
土田さんに限らず、私は須田一政さんの写真についてももちろんもっともっと考察していかねばならないのだが、常にお二人の大きさを考えると、もっと写真を頑張らねばならないという焦りが出てきてしまう。そんなこともお構いもなく、土田さんの「 Aging」は13000点もの定点観測の自画像を堂々と惜しげも無く、露呈させていく。ふと考えてしまうのは、こんな日本人の写真家はこれまでいたのかなぁという単純な感嘆だ。6月23日には、10000円札を握りしめて「ふげん社」に写真集を買いに行かねばならない !
古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。