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写真集を作るということ 1

 もうすぐ写真集としては7冊目のものができます。文庫本など書籍などを加えるともちろんもう少し出版したものは多いのですが、写真だけの「写真集」はそれほど多くありません。かつて80年代に撮っていた作品のほとんどがポジ(リバーサルフイルム)によるものでしたから、なかなか当時からまとめることができなかったようです。アサヒカメラや日本カメラ誌掲載のみでプリントになっていないというシリーズもたくさんあります。そういう時代だったようです。

 さて、今度の写真集を作った経緯について記しておきたいと思いました。昨今、写真集を作ること自体、それほど難しい大仕事というよりも、ZINEも含め「自主出版」がいつでも手の届くところにあるといってもいいと思います。しかし、それでもある程度のお金はかかります。もちろん商業出版を目指すということで良いのですが、日本はずっと出版不況ともいえる状態だと思います。先日も大きな出版社が会社更生法の適用となりました。大手出版社から出された写真集で鳴り物入りで私たちの記憶に残っているものは、例えば「月光浴」や「サンタフェ」などでしょうが、もはや一部の売れっ子写真家を除けば大手出版社などのつながりは期待しない場合がほとんどでしょう。

  3年ほど前に、友人のジョン・サイパル君の口聞きで、もちろん以前から知っている禅フォトギャラリーのマークさんと話をする機会があり、写真集を作ろうということになりました。その時私が提示したのが、1980年代後半の作品「周縁の町から」という6×7ポジカラーによるシリーズでした。これは「遠い夏」と並ぶ木村伊兵衛写真賞の対象作です。しかし「遠い夏」ほど知られていません。一度だけニコンサロンで展示し、日本カメラに2回掲載されただけです。1985年の太陽賞作品「河口の町」に続くマキナ670によるポジシリーズでもあり、自分としては大事にしていたものです。これをマークさんが気に入ってくれたのです。これはとても嬉しいことでした !!

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 しかし、なぜか出版の話はそれから進展せずに、コロナ禍を迎えてしまいました。

 80年代後半の東京の周辺の町は、まさにバブル真っ盛りですから、それなりに記録としての価値はあるのですが、どうも、自分としては気が乗らないという感じでした。時代のリアリティとして、このバブルのなんとも弛緩した雰囲気と、2020年の現在が離反していくようで、これではないだろうと思い始めました。そして次に思い当たったのが2005年にこれもニコンサロンで展示した「路上の温度計」という645の作品でした。そこには西暦2000年というある区切りが隠されています。世紀末、ミレニアム、パンデミック、、、、、何か黙示録的なイメージ連鎖を感じました。時間を経て、改めて見たくなる時代の写真はこちらではないか。

  こっちを写真集にしたいと、久しぶりに禅フォトのマークさんに連絡。コロナで本国イギリスを出られないマークさんがOKしてくれました。しかし、そこから始まった作業こそが大変でした。まずはポジの確認、見返し、フイルム状態のチェック。何しろ2000年とはいえ20年前のポジですから、それなりに時間経過したフイルム。コンディションは万全とはいえません。昨年8月、ともかく、300枚ほど選んであった作品を一枚づつ、久しぶりにライトビュアーでじっくり見るという仕事がスタートしました。楽しくもあり、絶望もあり、予測不能、自信喪失、、、、、、、さて、本当に写真集は作れるのかという不安もでてきましたし、ポジの透明感は逆に制作の不透明感へと転換していくようで、、、、全て縦位置ですし、、、、、

                                 つづく

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古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。