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「写真」について考えてみる 005

シャッターチャンスを待たなくていい

   普通私たちは撮ることだけに集中しカメラのシャッターを押します。シャッターチャンスとはシャッターを押しながら、カメラマンのひとつの高まりが「確信」として瞬時に頭に浮かぶものではないかと思えます。そしてフイルムで撮った場合それを「確定」するのは現像後です。撮影時のシャッターチャンスもここで新たなシャッターチャンスにとって変ることもしばしばです。しかし、デジタルカメラの場合、「確信」は容易に「確認」へとつながります。再生画像をチェックできるからです。昨今シャッターチャンスはそうして「現場」で解決済みとなってしまうことも多くなってしまったのです。よりよいシャッターチャンスを手に入れることはそれほど難しい技でなくなってきたのかもしれません。

  しかし、私はずっと昔から、極端ではありますが「シャッターチャンスは無限にある!」と書いてきました。どうも「決定的瞬間」という言葉に乗じて、チャンスが物理的なものとして規定されてしまったり、(その写真を見る)他者のためのたったひとつの瞬間のイメージのように思われてしまう傾向もあり、「うつろい行くことにより、現れ、また消え行く(シャッターを押すべく)イメージ」そのものを逆に窮屈にさせてしまうのが「シャッターチャンス」という言葉なのかと思ってきました。したがって、シャッターチャンスなど遅れてしまってもよいのではないかとさえ書いたこともあります。デジタルカメラの再生画像も、最適なシャッターチャンスをただ物理的に確認するだけのものでなく、撮り手の確信がどのような微細な変化を伴って映像化されているのかを突き詰めていくことで、独特のシャッターチャンスを探せるのではないかと思えます。

  要はこの「微細な変化」を意識するかしないかが鍵なのです。当然ですがそこでは続けてシャッターを押す努力が必要です。「チャンス」をただ待つだけでは、写真映像の奥深さを経験できないでしょう。

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曇り模様のタヒチの海岸。少年が熱心に砂地に穴を掘っていた。遠くには人影。凪のような時間。海に続くなにもない空間に惹かれてシャッターをまず押した。

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3枚目で右手前から男がボートを担ぎ、少年の脇を通り抜けていった。ぼっかり空いていた空間に見事にその男が収まった。続けてシシャッターを押したこともあり、いかにもシャッターチャンスと思われるが、私にはやはり最初の写真こそがこの時のすべてだった。

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タヒチ・モーレア島。小型トラックの荷台に乗り島巡り。山道で水たまりを越えて一息。なんでもない瞬間。運転手のおばちゃんが不用意に画面に入っていることを承知でシャッターを押す。これがこの時の私の「ベスト・シャッターチャンス」。

初出 ニッコールクラブ会報原稿

古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。