見出し画像

連載「須田一政への旅」 第3回

晩年の須田さんの境地といったものが、「そこ」に向かっていたのではないか

「かんながら」、遥かなもの

 2017年11月に刊行された写真集「かんながら」( PlaceM)は「木立」、「空」、「海辺」などの風景が次々と通過するように立ち現れ、時折、路傍や家屋の中の事物が挟まれていくだけの、「流した」ような、少し力を抜いたようなスナップ。また鳥居や寺院門前といった、およそ須田さんには興味なかったようなモノにレンズが向けられている。
 そういえば、この時期私はしばらく須田さんにお会いする機会を失っていた。後に知ったのだが、2015年に10カ月も病に臥せっていたとのことで、病後は車の運転もやめ、撮影行は奥様の運転で助手席からとなっていた。「かんながら」はそうした折の写真が連なっていて、その通過感覚がまさに「流した」ように見えたのだろう。  
 それにしても、須田さんの「千葉」を撮ったシリーズとして「かんながら」はやはり特別に思えた。写真集の帯には「そこに在るというだけの遥かなもの。」という一文が書かれている。どうやらそこに全てがありそうに思えた。

写真集「かんながら」にはもうひとつ謎がある。表紙をくくって最初の写真。奥様が車内を覗き込むように写っている。なぜトップにそれを持って行ったのか? 須田さんに聞いてみたかった。

 ひとが空や雲を見上げる時に去来する心情には計り知れないものがある。あるいは石の塊や草木の繁茂に宿るイメージは単一のものでもない。『「かんながら」とは神の御心のままであることを言うらしい』とも書き添えられているように、彼方からの「気」をそこに感じてしまった須田さんならではのこだわりがここにも集積してしまったのだろう。では鳥居や寺院は何なのか。
 車窓を過ぎるその一瞬に、須田さんは明確な「依り代」を見ていたのではないか。もちろん「風姿花伝」の頃の日常における人間の「拠り所」とは違い、晩年の須田さんの境地といったものが、「そこ」に向かっていたのではないかと今にして思わざるを得ない。  
 「依り代」とはもともと森羅万象がなりうるものであれば、須田さんが見た寺社仏閣、あるいはただの風景に神々しさが宿っていたのではないか。「そこに在るという遥かなもの」はかくも美しく、生をみなぎらせていることを車窓からのシャッターで実感したのだと私は確信する。ライカM5による矢継ぎ早の撮影自体が「かんながら」なのだ。

 冬のある日、気まぐれに須田さんが車窓から見たであろう外房の町を訪れてみた。昭和の頃と変わらない鄙びた駅前。殺風景に続く住宅地と県道。その先に急に開ける海。高い波。あたりはオリンピックのサーフィン会場になるという。白い波の山々は荒々しく勇壮に鼓舞していた。須田さんは、今頃、どの峰を登っているのか。空へと続く遥かな道は、私にはまだ見えなかったが。

外房上総一ノ宮の海岸。波音があるレベルで共鳴し頭の中を綺麗に駆け巡っていく。昨年末に亡くなった原芳市さんの写真集「神息の音」を思い出した。今頃、須田さんは原さんと立ち話でもしているかもしれない。
「かんながら」。神のみこころのまま。房総の流れるような風景は何を映していたのだろうか。

                          日本カメラ2020年3月号


 


古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。