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マッチものがたり

先月の文芸ワークショップの時に、これからの活動をどうしていくかという話になったとき、最初に指名された私は、「何かテーマがほしい」と言ってしまった。
過去にも同じ事を言ったことがある。
関東で、講座の同期と先生とで合評会を始めた。
忘れもしない。最初のテーマは、「滴る」。
そこで、私は、禅堂で耳にした音を題材に「忘れ得ぬ音」というエッセイを提出した。10回をこえたときくらいだろうか、先生は「テーマは自由」を言われた。これには、全員頭を抱えてしまった。ある程度、制約がないと一行すら書くことができなくなっていた。
そして、同じ事をまた私は言ってしまった。
賛同者は得たが、私の心境は複雑であった。また、同じ事を言っている。確かに、何かキーになる言葉を手がかりにして、文章を書き綴るスタイルが定着していたため、なかなか、自由に書けないでいた。
最初の文芸ワークショップに参加したときに、「思いついたことを文章にしてみてください」と言われて、ふと犬を飼い始めたことを書き出した。書き始めると次々に言葉が文章となって湧いてくる。こんな感じだった、あの頃も。そして、短時間に短いながらも、オチまでたどり着けた。書き終わると少しだけ、自分の書くスタイルを思い出した。何か閃きがあると、話を膨らます。膨張して破裂するくらいに文章は、右往左往しながら続いていく。そうだ、こんな感じだ。メモ用紙にこぼれ落ちた言葉も丁寧に拾い上げながら、ひとまずひとつの作品の形にする。ここからが、私の苦しい時間でもあり、至福の時間が始まる。100ある文章を半分以上に削っていく。まわりくどい表現はバッサリと削除する。紙の上なら黒く塗りつぶす。パソコンに打ち込んだら、ためらいもせずにctrlキーとCで容赦なく切り捨てる。しまった、大事な所まで消してしまっても、再び、思いつくまでは永遠に蘇ることはないが、それもまたひとつの文章。さらに閃いた言葉が上書きされていく。漢字変換したときに、「おや」と感じたら辞書を引く。その言葉にたどり着くまでに言葉の海を泳ぎ始める。こんなうまい表現方法があったんだとか、2,3行書き込んで表現した文章がひとつの四字熟語で一挙に解決できることに気付かされる。たぶん、使うことはないことはわかっていても、一応、ノートの隅っこに書き留めておく。このページをみることはなかったら、決して使うことがない。でも、調べたい言葉にたどり着くまでの寄り道ほど、楽しいものはない。そして、その費やした時間がとても無駄になればなるほど、私の文章力は確かに上達していると信じながら、推敲という作業を延々と締切間際まで格闘している。
実家の改築で、段ボールから宝物をみつけてしまった。喫茶点のマッチ箱だ。フリマでは、結構の値段で取引されている。食べ物屋さんは、2年で半分が入れ替わると言う話を聞いた。ここにあるマッチは約20年から30年前に私が足繁く通った喫茶店の物だった。私は喫煙者でなかったが、Y氏とコンビを組んで仕事をした二ヶ月ですっかり珈琲中毒になっていた。ひとつひとつ手にしてみると、そのときの情景が浮かんで来るものもある。誰と行ったとか、何の時に行ったとか、何よりも私が渇望していたテーマがここにあった。俄然、書きたい意欲がフツフツとわいてきた。少なくとも、ゴールは見つからないが、スタート地点は見つけることができた。
タイトルは「マッチものがたり」
マッチを眺めながら、私は、偶然というインスピレーションに導かれながら、書き続けよう、すべてのマッチ箱に。





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