羽田1

折々の記


      

    山口和朗

   「現在の過去」
 地球の自転を感じる日がある。戸棚のガラスに映った太陽が、寝場所を替えてまもなくまた私の顔の上に差してくる。戸棚のガラスには、黄ばんではきたがまだしっかり枝に付いている山桜の葉が映り、その背景には流れる雲がある。その濃淡のある景色を見て過ごす時へ、太陽が突然進入しガラス戸の世界を掻き消す。五分もしないで太陽はそこから出て行くのだか、一瞬にして掻き消された世界のことを思う。
 時間はフルスピードで去り、現在は瞬間であり、過去だけが現在となると。私は連続した過去を見ているにすぎない。私が私を見るという行為は、遠退く時間を遠心力に逆らって持ち続けること。次々ともぎとられていく時間であり、瞬間であるところの私を、手放さないということ。たとえそれが観念であり、ガラス戸の世界であっても、長く持ち続けた私だけが存在していくのだからと。
 私は過去の私を探ることで現在の私と言うものを見つめてみようとしていた。過去とはその時々にあって意味を理解し得ず、もぎとられたままになっている私の現在であると思えるから。私はノスタルジャではなく過去の現在として私を考えよう。この作業だけが私を私の未来へと誘っていくのだと思えるから。
 私は未来について、さ程の夢を抱いてはいない。夜間でいいから大学へは行きたいと思っている程度。何をしたいといった希望も持ってはいない。ただ現在が未来にまで固定されてしまうことだけを恐れていた。よく会社を休んだ。晴れた朝、十六才の心は仕事に時間を空費させることを拒んだ。数日を仕事で費やし、過ぎ去った時間を思う時、失われた自分をいとおしんだ。今この時に時間を取り戻さないと、永遠に失われてしまうかのように。
 私は選び取った自分の時間を、不思議な気持で味わっていた。アパートの男達は皆仕事に出かけた。女と子供たちだけが残っている。下階の奥さんが洗濯を始めた。その周りで遊ぶ子供達の声がする。近くの製材所からはかん高い鋸音が響いている。私の窓辺だけが静か。時間は何もしないでもいい一日の中にあると私は思う。日差し、風、辺りの風景が懐かしさで覆う。存在も時間も、私が立ち止まりさえすれば蘇る。私は切りとった時間を部屋に飾る。そして、友人が貸してくれた真空管アンプのスイッチを入れ、プレーヤーにレコードを置く。〝第5〟の風景の中に私は寝そべり、吸い始めた煙草をくゆらす。光と音と意識という今に私は酔いしれる。
 少しも変わってはいない私。一人と今の中に生きている。私にとっての一人は、今と密接に結びあっている。養護施設から通う通学路、人の家があり、人の畑があり、私の家や畑は無い。私は一人なのだと、家も畑も道も私にとっては、私という意識に対立してただ在るもの。私だけがその風景の中の一人なのだと。この一人が所有出来るものは今という感覚だけ、私はこの今という感覚をたよりに道端の石に、虫に、草木に、人の所有を離れた所で包まれていた。
 母が妹を背中に負ぶって、線路向こうの製材所の畑を耕している。母は働かなくなった父に代わって小間使いに出ていた。母は桐の木の間の畑にいた。私の背丈はまだ大きな草に隠れてしまう程。遠くから母を見つけ近づいても、母は私になかなか気がつかない。畑に入り、呼ぶとやっと母は微笑む。母は自分の畑のように製材所の畑を耕す。私は側に座って母の打ち下ろす鍬の先を見ていた。畝に軟らかな土が盛られていく。私は母の言葉を待っている。出て来るほらミミズであったり、鍬先に当たったほら石であったり、母が土から堀だす物達の言葉を、私は待って時を過ごす。時々ジーゼルカーが、私と母と、母の背中の妹を見下ろして通り過ぎて行く。私は自分を風景のように思っている。
 母が製材所の土間で、繭から糸を取っている。土間には湯気とむつごの匂いが混じりあって息苦しい。母は額に汗を浮かべ湯の中の繭を何十と踊らせている。踊りを止めた繭を見付けると素早く糸口を見付け繋いでいく。私は暫くは繭の動きが面白く横に座って見ている。「遊んでりゃあ」母がそのうちに言う。私は「うん」とだけ言うがなかなか立ち上がれない。一人で詰まらないのだった。私にはまだ安心して時を過ごす余裕がなかった。
 私はガラス戸に映った景色を見ながら、自在に過去へと滑り込んだ。誰にでもある過去、そこから紡ぎ出されて来る様々な意味、自分自身の性格、私は二、三の点描から一人という感覚を明らかにしようとしていた。働く母と、家賃が払えず、家を追い立てられようとしていたその時の私の心象、父も母も街も私には包まれる対象ではなく、ただ見つめるだけのものだった。街と人々、私にとってやはり異郷だった。生まれたときから住んでいるのに、いつの日か出ていく街という予感があり、近所の子供と遊ぶこともなく、彷徨するように街や人々を眺めていた。
   
   「出て行く街」
 何れ誰もが出て行かなければならない、だが多く人々はそのような事はありえないかのように、譬え出て行くとしても、まだ先のことのように、それぞれの家には団欒があり、まどろみがあった。
 
   「忘れざりきこと」
 私も含めた人の、「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」ということ。日常や、生活が忘却させていく。日常は慣れ親しんできたもの、明日というものを予測出来る感覚。この感覚の累積が人を忘却させていく。私の体験「Tの死」「Mの死」「私の病気」。多く人々は病院から街を出て行く。街の一角で、同じ時間と空間を生きていながら、今も死者のように生きて在る人々のこと、忘れざりきこと。
 
   「告知問題について」
手術が終わるまで知らせないで欲しいと言った医師。
最初は告げようとしていて、思い留まった妻。
転移していたら、告げなかったと言った妻。
転移があったら告げないほうがいいと言ったS。
俺も知っていたと後で語ったT
 私の運命が人の手に握られていたということ。この事実、人は常に運命を何者かに握られているのだった。明日死ぬことを人は知らない。明日死ぬことを人は知らされない。私は明日死ぬことを知りたかったのだった。
 
   「待合室の人々」
 何時来ても、一時間以上待つことになる午後の外来。多くは手術後のケアーの人々、幾度か来るうちに、顔見知りも幾人か、が、誰もが押しだまり、その細長い、歪んだ、いつになるか解らぬ待ち時間の中にあって、ある者は本など取り出して読みだすが、いつしか気だるい気分。本を片手に眠りだす。残された時間と、再発の心配をしながらも、訪れる静寂。私とて、まだ腹部の抜糸で少々痛いのだが、毎度のことで、気持ち良い睡魔が訪れ、る。エアコンの音と、五分置き位に届く、T医師のマイクの音だけが、人々の頭上を旋回していく。私は眠りながら沈黙について考えていた。   「ガン告知問題番組より」
 「友人にガンを知らせることは、相手に負担をあたえるから悪いという気持ちと、知っておいてもらって付き合うことで、気持が楽になり息抜きになっている」と言っていた。
 私自身、最初告げた友人は限られていた。相手の負担を考えていた。が、途中早期ガンのせいもあって告げた。番組の女性が言っていたのは「ガンを生きる権利」についてだった。人ごとではない最近のガン死。告げてガンを生きる人が多く必要だ。ガンからは学ぶことが多いのだから。特に「汝死を忘れるなかれ」など。

   「看護婦と患者」
 I病院。毎朝、勤務室で各患者の病状報告を、婦長中心に輪になってやっていた。皆患者の刻々の状態を知っていながら平静だった。作られた笑顔、作られた優しさ、作られた言葉だったことを今思う。始めから作らないで事務的にやっている看護婦も多かったが、患者に告知しないで、残された時間を知らせないで、仕事としてやっていた。告知していないから患者から学ぶことなど出来ないのだった。告知問題は看護婦にとっても患者にとっても大事な問題なのだと今思う。

   「ビキニ核実験とガン」
 米兵達、放射能の汚染のことは何も知らされていない。誇らし気に、焼けただれた甲板の上で洗濯をし、シャワーを浴びていた。ビキニの彼等と死期を知らない人々と、何ら変わりはないと思えるビキニの映像。

   「風俗、私小説論に対して」
 孤独に、自ら信じるところを描き、社会や人におもねることなく、むしろ自分のどうしょうもなさ、罪な存在を書き続けるなら問題にならない。又、存在、実存の問いかけをこそ主題にするなら私ごとであったって構わない。人間を描くことが小説であるが、哲学的な問いかけが背景にあってこそ、自らへの答えは見い出せる。純文、大衆文学論についても、存在感の有無の問題は残るが、それは読者の存在感であって、作者の存在感ではないのだから。

   「私の作品への評価」
 Oが、読みながら違う、違うと思ったと言う。Sが主観が先に立っていると言う。が、今私は思うのだった。私にとって文学は、覚悟が描ければ充分なのだ。人は健康な時、平和なとき覚悟などしない。いらぬおせっかいかも知れないが、人は必ず死ぬ。死ぬ日を知る。その時必要な文学は、覚悟と孤独の決意をした文学だけだと。スタニスラフスキー主義でいいのだと。

   「死も不思議だが生こそ」
 死を思う時、さほど不思議はない。見てきた世界が、私の死後も続くだろうことを感じさせるから。けれども、私といういうものがこの世界に突入したことは不思議だ。最初の生物の遺伝子を伝えているだけの私なのだが、いつ私が私を意識するようになったか。五百万年前かそれ以前か。私という意識は人間の一つの本能にすぎないかも知れないのだが私が私を意識し始めた生が本当に不思議だ。

   「タルコフスキーのサクリファイス」
 始めに言葉ありき、私が言葉を持つことによって、我思う故に我あり、即ち世界あり。その我に死の恐怖を取り除くことができたなら、全ては変わるのだ。だがもう遅い。言葉、言葉、今や我らは盲いている。何も見ていないのだ。世界が今どうなろうとしているのか。私はこの時の来るのを待っていたのだった。私がこの世界を見なければならない。どんなことだって世界には起こりうるのだった。世界の破滅が今。タルコフスキーの最後の映画。
人類最後のという意味が含まれる映画。自らの生命と引き替えに、世界を救いたいという、
核戦争の不安の中に暮らしている生命への祈りの映画。

   「タルコフスキーの祈り」
 「我らの父よ 天にまします父よ 御名の清められんことを 天国の来たりて 御心のとげられ 我らに日々の糧を賜り 邪悪より守りたまえ あなたが天国で 力で栄光なればなり 神よ この恐ろしき世の我らを救いたまえ 私の子供を 私の友達を 私の妻を あなたを愛し あなたを信じる者を 盲いてあなたを信じない者を 真に惨めであったことがなく あなたを心に浮かべたことのなかった者を いまこの時に希望と未来と生命を失い 御心を知る機会のなかった者を 心に恐怖が充ち 世の終りの近きを悟り 愛する者のために恐れる者を あなたの他 誰も彼等を救うことのできぬ者を この戦争は最後の戦争で 戦争のあと 勝者もなく 敗者もないのです 市も町も 草も木もなく 井戸に水がなく 空に鳥が飛びません 私は持っている物のすべてを捧げます 愛する家族を諦めます 私の家を壊し 子供を捧げます 口を閉ざし 誰にも 何も申しません 生命に結びつく全てのものを捨てます あなたが全てを 今朝や昨日のように復活させてくださるなら この恐ろしい このいまわしい 動物的恐怖を除いて下さい 主よ救って下さい 全てを捧げます 約束したことの全てを果たします」
 タルコフスキーの世界、解釈ではなく作家の心に映った世界が描かれている。映った世界はストーリを越えて世界を拡げている。

   「シモーヌベイユと私」
 愛の最高形態を生きることを求めた。自らを受難者と決め、神を自らに引き込んで生きた。イエスを生きることが最高形態と、三四才の彼女がそれをやり遂げた。今私が病み、人とテンポが合わず、人の中にあって違いを意識させられ、孤独に入る時、私自身、この闘病を受難と感じず、むしろこの違いの中に発見する数々の感覚を喜んでさえいる。彼女は弱き者を生きた。私は死に行く人々を、いずれ死を迎える人々を、生きよう。

   「集中と省略の生き方」
 病んでみて、病む前の生活との隔たりを思う。動けることは十分の一になった気がする。勿論、かつては退屈や自己嫌悪も十倍あった気がする。病んで今、十分の九を省略した所の、十分の一の中に、最もやりたい事を集約しないでは、何も出来ない。退屈と自己嫌悪は闘病のためか十分の一の感覚しかないのだけれど、何とかこの十分の一の行動とエネルギーで、以前にも増した充実を持たねば、闘病が嘗てない集中を生むような生活を。

   「退屈」
 数日を人と会わずに過ごし、ふと誰かに会いたくなり、会った時の退屈さ。嘗てなら、会って話せば何か充たされるものがあったのに、何も充たされず、むしろ空虚。今の私にあっては他人によって、会話によってでは何も埋まらない。自らに所属した時間のなかにあって思索すること、自らと会話すること、時に死者と。

   「書くべき課題」
 病んだ時、読むべき小説がなかったということ。マルセルの「希望の現象学」が軽うじてあったのみ。小説では皆無に思えた。生について作家は書いているが、死を通した生については、時に死について書いた作品が思い浮かばなかった。「私の死」を考える時、小説では役に立たなかった。私の理解、私の意味、私の希望が必要だった。それらを助けてくれるものが思いあたらなかった。

   「自分の重みについて」
 自分が人類史の頂点にいるということ、自分が過去のあらゆる人々の意志の上に存在しているということ。それら人々の意志を生きているということ。意志する動物としての責任を担っているということ。全宇宙を想像出来る意識は全宇宙の重みであるということ。

   「Oに語ったこと」
 沈黙のもっている意味について。現在は騒音で溢れているということ、沈黙とは言葉の断念ということではなく、宇宙や原始、存在そのものとつながった意識のこと、これらとつながっていないものを騒音ととらえること。したがって、現在の功利的、主体的、何々主義的とは無縁の感情。病んだからかも知れないが、生と死が矛盾ではなくなる地点、例えば君が死んでも、君がそこに植えてある木になるのだと思うような、生も死も一つにとらえられるような感情。嘗て、社会と個人、芸術と生活、etcの矛盾、偽善に苦しんだが、今それらが何んでもなくなった。沈黙の意味の前にあって、それらは意味を成さなくなった。書くということも、石から、木から、色々な存在から聞いた声を、文字に移すという態度でいいと思うようになった。聞こえなかったら無理して書くこともないと思える。騒音を増やすだけ。これらの感情はマックス・ピカートの「沈黙の世界」に負う所が多いのだが、いまピカートに類する人の作品を読み、考えることが私にとって無上の喜びとなっている、と。

   「人の平等について」
 この世に生を受けたことが、なによりの平等と思える。長生きするもの、早死にするもの、豊かなもの、貧しいもの、名を得るもの、無名のものと様々だが、生を受けたことにおいて、誰もが平等なものを得ている。生というものが、あらゆるものに先立って与えられていることの意味がここにある。おそらくは、この先立った生以外は平等には分けられない。

   「Iさんへの手紙」
 深夜、眠れず手紙します。
身体の方順調に回復していますが、夜になると様々な考えが脳中を飛来し、私を眠らせないのです。感じたこと考えたことが、まだ持続力が乏しいためか、又は以前のように安易には作品に取りかかれなくなったためか、構想や気分ばかりが先行しているのです。
 ホタルの会の頃より、Iさん本来の姿を感じていました。時々Iさんのことを子供や友人に語ったことがありますが、民商時代、風呂に入らず、着替えず、物を持たず、ひっそりと、時に美しい低音で唄っているばかりのIさんのことを、愛慕してのことでしたが、あの頃のIさんがいつも不思議な存在感をもって蘇っていました。きっと今、生きものに帰っているのだなあと思うのです。
 人は生きものの一部であり、生きものは人の一部だから、どんな生きものの誕生にも喜こび、死ねば悲しむ。
 自然は私であり、私は自然であるから、自然の様々な姿に心踊らせ、心痛める。
 今、私は沈黙というものを考えています。マックス・ピカートの「沈黙の世界」に導かれてですが、あらゆるものに先だって存在していた沈黙というもの。言葉への断念以上の人の始原状態としての沈黙。沈黙というものを考えていると、自分を取り戻せます。 今言葉は騒音から発生し、騒音の中へ消えている。今人は自ら殺害された死だけを持っている。今人は一つの物、一つの言葉も持ってはいない。今人は、生命の全体、精神の全体を見るのではなく、誇張された対立物だけを知覚しようとしている。と、沈黙というものを土台にして、人、言葉、物、自然、あらゆるものをピカートは考察しています。今私はそれら一つ一つを自らも感じたいと思っているのです。
 私が沈黙と対面した時に感じた解放感。それは少年時代、自然や、宇宙、あらゆる事物の不思議に魅せられた時感じた、大空に吸い吹込まれていくような、自分が存在そのものになったような気分だった。
 生きものの言葉、物達の言葉をその頃の少年の心になって、今聞きたいと思うのです。石や土、草や木の沈黙を発見しながら。
 病んで感じたことは、私は生かされて在ったということだった。そして今、その生かされてあることを自然と一体となって考える時、不思議な安らぎを得る。
 草木を見、風に吹かれ、雨に打たれ、陽に照らされる時感じる親しみ。きっと、人生は心の体験の累積と思える。きっと人の心とは、内的宇宙だと思える。
 日々、沈黙というものに問いかけながら、内的宇宙を探って行きたいと思っています。

   「対話について」
 人との対話について、私の場合、多く話を聞く立場になり、それらの時、自説を反芻しているばかりで、時に気の重さを感じる。譬え、相手に一服の清涼感を与えられた喜びがあっても、対話した一時を良く過ごしたと思えない。理由は対話をしていないからだった。
相手に語る立場に立ってしまい、一緒に考えを深める付き合いをしてこなかったためだった。以降、どのような問題でも、対等の問題として、深め、私自身の問題をも投げかけて対話の時をこそ過ごそう。

   「死について」
 ソクラテスもパスカルも、ニィチェもキルケコケゴールも、etc、etc。無数の人が死んいる。だから私の死など自明のこと、何と無数の人が死んでいることか。
 「人間は一本の弱い葦である。しかし考える葦である」と、自分は物質であると、時間の制約のなかでの意識であると、いづれ意識は消え、物としての私に帰る。その間が私の生と。生の横溢と恍惚とは、物としての沈黙と、自己の有限の生の連続した意識の中にあると。
 
   「疲労」
 嘗て、仲間と語って疲れることはなかった。それが、今では疲れる。体ではなく、心が。彼等とは考えていることがどこか違っているのに、私は合わせていると思えるからだった。どんな深い、鋭い議論であっても、どこか違うと思えるのだった。私が問題にしているのは、人の死ではない、自分の死についてだったから。彼等、人の死についてさえ議論はしない。生についての議論ばかりだったから。

   「Oと語ることの喜び」
 Oと語るときの喜びは、死について語れること。死を通した生を語れること。何も語らなくとも、共有している感覚があること。無言であっても楽しい。時に政治、経済について語っても、死を前提にしたところの議論。こうした共有感覚が喜び。

   「Mの言ったこと」
 「貴方は、見たと言っては物を差別化している」「貴方がやろうとしていることは一体何なのかと言いたい」「それでどうなのと」。私の答え「私にとって見たこと、感じたことが全て」「私がやろうとしていることは、私自身を考えること」「これが私でもって私が生きること」と。

   「妻の話したこと」
 「Mさんには、幸福願望は人一倍じゃないの、独身で老後の心配もあり、それで貴方のようにMさんにとっての幸福を軽視して、ぬくぬくと不幸や存在云々などと言われると、それがどうなのと言いたくなるわよ」
 「自分に厳しい人は他人にも厳しい、けれど体が効かなくなり、不幸に陥った時、その厳しさが解ると思うわ。自分に厳しくても、他人にまで厳しさを求めることはないわ。人は誰でも厳しさと不安の中に生きていると思えるから」

   「惑星ソラリス」
 懐かしい感情を持った。心地良い世界を見た。イメージ、思い出というものが現実化される世界が、映像、論理を通してメッセージされている。
 心地よい気分とは、生と死が一体のもに感じられた点と、人の感情というものが広大な宇宙のように思えた点。
 現実世界に、死者を蘇らせる方法として、どんな方法があるか。復活を虚構として処理する限り、読者は虚構としてとらえる。タルコフスキーは虚構をこそ問題にしている。これが実在感をもたせている。
 過去、未来というものが、イメージすることによってしか実在化しないということ。初めの水々しい故郷、終わりの暗い故郷、人がイメージの世界に生きることの美を語っていた。

   「同窓会」
 二十年振りの同窓会、五分も話していれば、昔の顔々が戻ってきた。が、誰にも心は戻ってこなかった。私は化石になったような気がした。
 化石を生きている私だがら、シーラカンスのように生きること。昼間は深海に佇み、夜、闇にまぎれて餌を取り、人知れず、グロテスクに。しかし、どんな時代も生き抜く、二つの呼吸器と、五本の足を持ってシーラカンスを生きること。

   「詩人の仕事」
 時と物をこそとらえ描くべき、様々な時、様々な物、これらに取り巻かれ、感応する人としての心を詠うべき。

   「孤独」
 人々は、家族とつながっている。友人とつながっている。
 人々は、明日を知らない。物の言葉を知らない。
 人々は、数グラムの気体のように漂っている。
 ただ病室に、世界と別れを告げる人々だけが、孤独を知っている。

   「エミリー・ディキスンの詩」
 小石はなんていいんだ
 道にひとりころがっていて
 経歴も気にかけず
 危機も恐れない
 あの着のみ着のままの茶色の上衣は
 通りすぎていった宇宙が着せたもの
 交際もせず ひとりあかあかと輝く
 太陽のように独立していて
 途方もない無邪気さで
 天命を果たしている

 空間に孤独があり
 海に孤独があり
 死に孤独がある
 だが この中にさえまだ集まりがあろう
 あのさらに深い場所
 あの極地に一人暮らすならー
 魂が魂自身だけ許している
 その限られた限りなさに比べるならー

   「心境の変化」
○ 時間と言うものを、何時も携帯するようになった。
○ いたずらな努力というものをしなくなった 努力というものを意識しなくなった。
○ 読む本を選ぶようになった ある直感で。
○ 人に対して寛容、時に無関心になった 「私」という存在に対しての興味。
○ 詩を書きたくなった。
○ 様々な事に、結論をつけるようになつた。
○ 書くことの期待を持つようになった。
○ 自分の世界というものを感じるようになった。

   「政治と文学・個人と組織の問題」
 誰かが政治と文学論争の末、「政治より文学が好きだから」と言っていたが、「好きだから」ではなく、「私には書かなければならないことがあってー」。これが正解だ。私は好きで文学をやっているのではない。私には書かなければならない使命があるだった。

   「物の理解について」
 私の遺伝子がタンパク質を取り入れ、増縮していく。肉体を作り、意識を育んだ。タンパク質の素成は 酸素、水素、窒素、その他の元素で、それらは石や土にもあり、それらの元素のいくつかは私の中にも取り込まれている。この自明の、嘗て私は石だったの理解が物の理解。

   「Sに語ったこと」
 シェフトフの、2×2は4ではないかもしれないと考えることが、今人にとって必要なことかも知れない。虚構を現実化する方法論が、理性の壁を打ち破るところのものが、今求められているのかも知れない。科学的説明のつかないものを嘘と断じないで、むしろ、人はどんな事でも予測出来ると。ノストラダムスのように、地震、原子炉の爆発、核戦争、
どんなことでも、考え続けるなら予測できる、想像できると。人は瞬間の中に生きているだけで、想像だけが、未来と過去を形作っていくと。

   「妻に語ったこと」
 神・自由・不死・信仰はどれも同じものに思えるが、どれも人によって差がある。悪魔をイメージする者も、中流を意識する者も、天国をイメージする者も。しかし、信じるということにおいては等しい。どれだけ信じているかの問題は残るが、その人における確信は等しい。この信じるという意識が、神というものを人に残し続けるのかも知れない。
 人を意識しているのが文学。人を意識しないのが信仰。信仰のような文学が真の文学。

   「Sさんにあてた手紙」
 ルソーにあった対話を、私も遅ればせながらしようとしている。この間、存在と無の思索をすすめる中で、私自身は自然や存在そのものから孤立していたような気がする。存在を自覚する私がいて、自然は別物のようにとらえ、私だけの空気を持とうとしていた。が自然に対しふと問いかけた時、自然は思いもよらない姿を見せてくれた。美術も文学も音楽も、化学や経済だって、あらゆる人の営みが人の創造を越えてそこには在った。私は対話をこそしようと思う。自然に、人に、自分に。対話とは答えを用意しないこと。

  手紙のように小説が書けたなら
  手紙のように人と語らえたなら
  音楽のように言葉が出せたなら
  音楽のように人の声が聞けたなら
  私は世界を持ちはしないだろう
  沈黙を求めはしないだろう
  世界は人の魂の中にあると思うから
  沈黙は物達のなかにあると思うから
  私は物達のように世界の沈黙を生きようとする

  世界を支配しているのは沈黙
  銀河にブラックホールに
  砂粒ほどの地球の喧噪
  人の前にも人の後ろにも
  存在するものは沈黙ばかり
  沈黙だけは考えなくてもわかる
  沈黙こそ存在の全て

  黄ばみ落ちる木の葉に見つけた
  家々を包む夜の空気に見つけた
  犬の目に猫の目に語る事をしない目だけに見つけた
  花々にだって語りかけないかぎり見つけられる
  石や土やその他のあらゆる物達には
  語りかけさえすれば見つけられる
  沈黙というもの

  世界に生きていること
  世界から見ていること
  世界から語ること
  世界をこそ愛すること

 私が私を見つめること、それはこの世で最高の読者を持つということ。私小説ではなく、私の存在に私が応える作品。これは私の生きるという作業なのだから。それが人に読まれ、私の中に人が自分を発見したのなら、それは楽しい。だがいずれ私は私でしかない。
 生き方は、覚悟さえ持てばいい。すなわちいつ死んでもいいという。その為の日々の、瞬間の、自己への立ち帰りさえしていればいい。
 書き方は、視座。すなわち世界を持つこと。その世界が自分の肉体となり、そこで日々呼吸し生きられる世界。そこから見、考えることが視座。
 どのような状況にあっても、生きてあることの絶対的価値は、時間に育まれているということ。この最高価値を今持っているということの、恍惚と感動こそ人の生というもの。あらゆるものはこの認識にこそ向けられるべき。モラル、経済、etcはこの価値の下にあるもの。
 
   「創作ノート」
 人は何者か大きな力によって、生かされていることを表現する時、視点を神の視点ではなく、土や木や物の視点から見たらどうなるのか、そうした方法はないものか。又、人は再びはこの世に登場出来ない、というテーマにおいて、どんな表現方法があるのかと考えると、小品でいい、連作が必要。

   「構想Ⅰ」
 チャンドラ卿への手紙の形式で、Kになって現在の私の心情吐露をする。
○ 核タルコフスキー
○ 組織と個人
○ 現代の文学状況
○ 神の問題シモーヌベイュ
○ プルーストの問題
○ 自己の病気体験
○ 死に臨む人の力になるもの
○ 死者ためのミサ曲(モーツアルト)
○ 自分の重みについて
 
   「構想プルーストの手法による」
○ 私と主人公としての私 現在の私と過去の私 未来の私とフィクションの私
○ 私の自由な飛躍と挿入
○ 宮沢賢治の世界
○ ブーバーの世界
 
   「構想概念の小説化」
 孤独につていて 時間について 愛について 死について 幸福について 存在についてと、私にとって究めたい、持ち得たい言葉と世界を、小品でいいから作品化してみる。
 そうしたノート(手帳でもいい)を作り、スケッチ、思索、又はストーリーをもたせ、それらを連作形式でまとめてみる。なにしろ連続して世界を構築していくこと。
 
   「構想三人の私」
 転移していた私 転移がない私 どちらも解らない私 これらの三人の思考と行動。この三人にかかわる家族と友人の有様。結果として私の人生の意味を考える。
 
   「構想病院」
 今にガンも克服されるだろう。が、カフカの城のようにたどりつけないもの、治療だけでは治らないものを、たとえ治療可能であっても治療できないものを、徒労又は断絶を描くこと
 
   「過去の現在について」
 一人、沈黙、意識、唯一の私。これらの意識で貫いていいのだ。リルケの感覚で、
 
   「構想創作構想の小説化」
 過去も現在も、ノートも日記も全て入れて再構築する。こうした手法もテーマと一致させれるなら、過去の現在、現在の意味が描ける。私が存在だ、私の重みというテーマも。

   「構想」
○ 透谷「内部生命論」参考にして「内部宇宙論」をまとめてみること。そこに沈黙の考察を課題として。
○ 自然との対話。朝、昼、夜と一日対話、言葉を聞いてみる。
○ 作品では承の部分で現在に戻し、沈黙の発見を提起

   「創作メモ」
  死に望む人のために、死を料理した作品を書く必要はある。
  ○ あの時の憂欝 ○その後の不満 ○沈黙へ

   「小品構想」
○ 二×二が四ではないと生きた人間のエピソード(コルベ神父)
○ 愛と希望のイメージの具体化
○ I病院の廊下 運命に握られた人々
○ 瞬間の認識について
 
   「構想」
○ ロートレアモンの手法による
○ ベルグソンのイメージによる
○ マルセル(形而上学日記)の手法による
 
   「死の床」
 臨終にあって もっと考えたかったと友に呟くような気がした
 これは人類の意志で 私はその先端で この先端はまた人に受け継がれ
 人は意識を生き続けるのだけれど 私自身もっと考え続けたかったと
 
   「石への断章」
 「彼は」と、石に人称をつけて考えるのは、私は石に動植物のような有機物の根元を感じるからだった。有機物が有機的関連を失って、無機化された時、全ての有機物は彼に帰る。彼から生まれた「私」に過ぎなかったことが解る。「私」とは彼そのものに過ぎなかったのだと。ただ、有機的関連が、彼を感じさせなかっただけ。彼の単一な意志、存在ということ。この意志を、「私」はあらゆる「私」を通して連携しているに過ぎない。有機的関連とは、存在の膨張、または存在の仮定。有機物のこの夢のような空疎さ、「私」が彼に帰るためには、どれだけの質量とエネルギーが必要なことか。彼は全宇宙の、九九,九九九%と限りなく百%に向かう所の存在。「私」はといえば、0,001%と限りなく0%に向かうところの存在。が、彼から生まれたところの「私」は、彼の意志を生きないではいられない。存在の永遠という宇宙の意志を。
                       一九八九、一、

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