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「平穏死」Oさんの場合

 お見送りの決断までの道のり
ご主人が悩んで悩んで、平穏死を選ばれた最期


Oさんについて

Oさんは80歳の女性でした。主介護者であるご主人は88歳。お二人暮らしでした。ご長男を若い時に病気で亡くし、次男は学校の校長先生をされていました。
Oさんは16年前(64歳の時)にアルツハイマー型認知症を患い、徐々に進行し要介護5の状態となり施設入所されました。
全介助で食事も何とか全介助で食べられていましたが、だんだん口腔内にため込むようになり、口を開けてくれなくなりました。
私たちスタッフは「そろそろ、お看取りの時期が近づいている」と感じていました。
こちらの問いかけに、笑顔が見られたり、イエス、ノーの意思表示は何とかできる状態でした。

Oさんのご主人について

ご主人は、元警察官。奥さん思いで、毎日訪ねてきては、奥さんに話かけていました。「わしは将来、自分の面倒みてもらえると思って、8つも若い嫁さんもらったのに、逆になってしまったやないか・・・」といつも冗談ぽく話していました。
奥さんには、どんな状態でも、一日も長く生きてほしい、という思いがありました。食べられなくなった時、その様子を見ていたご主人はこう言いました。

「認知症で食べられなくなるなんて聞いたことない。食べられない原因が、胃腸にあるのかもしれない。それを検査して治療すれば、又食べられるのではないか・・・胃瘻いろうという処置がある事も聞いた。胃瘻いろうをすれば、長生きできるのではないか。何とかならないものだろうか。」

施設看護師もご主人の思いを聞きながら、認知症の進行の話。本人にとっての安楽な過ごし方、平穏死の話など、丁寧に説明しました。
しかし、ご主人の様子を見ていて、一度、専門の医師に相談することが望ましいと考え、ご主人と共に内科の病院に行きました。医師からの意見をいただくために・・・

次男さんの思い

私たちは、次男さん家族とも、たくさん、何度も話をしました。
息子さん家族としては「お母さんに無理をさせたくない。できれば自然な形で看取ってあげたい。しかしお父さんの気持ちが一番大切。後悔の無いように、お父さんが決めることに従おうと思います」と話されていました。

内科受診にて

内科の医師には、あらかじめ情報をお伝えしていました。
その先生が、ご主人にこのように話しました。
「認知症になって16年、食べられなくなった状態は、老衰の方向に向かっている状態です。胃瘻いろうは以前は盛んに造られていたが、最近は口から物が食べられなくなった時点で、生物としてどうなのか?という考え方があり、自然のままが望ましいという考えかたも増えています。
我々も『どうしても』と家族が望む場合には胃瘻いろうを造設していますが、内心では本人に『ごめんなさい』という気持ちです。
自分で全く動けない。意思の表出もできない状態で、延命目的のための胃瘻いろうは本人にとって辛いことだと思うのです。

だた、ご主人の気持ちは痛いほどわかります。奥様と別れることは辛いですよね・・・何とかしたい、何とかならないものかと 悩みますよね。
食べられなくなった原因を探らず、消化器系の検査をしていないことが、ご主人としては納得しきれない状態なのですね。
わかりました。検査をしましょう。
ご主人が納得できることも、とても大切なことですから・・・
Oさんは幸せですね・・・ご主人にそれだけ大切に思ってもらって・・・」

そう言って、腹部エコーとCTの検査予約を入れてくださいました。

悩みぬいたご主人が出した答え

検査前日・・・ご主人・・・
「検査はやめることにしました。胃瘻いろうも止めます。今の状態も本人にしたら、辛いということがわかりました。ふっくらしていたのに、あんなに痩せて、残されたエネルギーを、病院受診や検査で消耗してはいけませんよね」
「その、残り少ないエネルギーを使って、一度自宅に連れて帰ってあげたい。」そんな希望が出てきました。
私たちはほっとしました。早速、一時帰宅の段取りをしました。
スタッフ付き添いで、リクライニング車いすのまま乗れる車を用意して、思い立った時が吉日。息子さん家族もみんな集まる日に、帰宅しました。

一時帰宅

車中ではOさんは大きな目を開けて、しっかりと外を見ていたそうです。
ご自宅では、キッチンの様子をしっかり見ていたそうです。
お孫さんが用意してくれたイチゴを2口食べて、記念撮影。
Oさんもピースサインをしていました。

帰園後

一時帰宅後、穏やかな表情の日が続き、眠る時間も長くなってきました。
私たちスタッフは全身の状態、お部屋の環境、整えて維持することを徹底しました。お部屋ではアロマを焚いて、好きなCDをかけました。
ご主人がいつ来ても良いように、いつでも横になれるように、ソファーベッドを準備して、時々お泊りもしてくれました。
尺八を習っているお孫さんは、よく枕元で生演奏してくれてました。

人生の終着に向かっていることを受け入れられたご主人は、たくさんの友人を招いて、Oさんと会う機会を作りました。

春休み・・・次男さんはとっても忙しい時期でしたが、仕事が一段落するのを待ってOさんは静かに息を引き取りました。

グリーフケア

Oさんが亡くなった後、1人になったご主人が心配で、スタッフ3人でご自宅訪問しました。
ご主人はとっても落ち着いていて、「どこに行っても、写真の目がこっち見てるんや」と笑顔で冗談を言い、最近は友人に誘われてカラオケにも行っていると話していて一安心しました。
又、お孫さんが仕事の関係で同居することになったと伺い、重ねて安心しました。

看取り期のご本人、ご家族、皆さん悩みます。
ご本人の意思がはっきりわからない時には、ご家族は本当に悩みます。
私たちは、どれが正解かと伝えるのではなく、ご家族が本当に納得して、自ら選ぶことができるまで、心の揺れに付き合い、タイミングよくできる限りの関わりをしていきたいと考えています。
ご本人、ご家族と伴走できるスタッフでありたいと思います。



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