ATEEZ×クラシック音楽の世界
どうも皆さんおはようございます、こんにちは、こんばんは、おやすみなさい。カルです。
いつか書きたい、いつか書きたい……と思い続けて結構時間が経ってしまいましたが、ようやく記事作成に取り掛かる事ができました。今回の記事のテーマは「ATEEZ×クラシック音楽」です。
前書き
ATEEZはパフォーマンスやティーザー、音楽の中にクラシック音楽の要素を随所に散りばめています。これはプロデューサーのイドゥンさんがクラシック畑の出身である事も関係があるもかもしれませんが、それもあってか毎度音楽のチョイスや掛け合わせ方がすごく絶妙で語りたくなっちゃうんですよね。
今まで作品の中に登場したりメンバーの口から語られているクラシック音楽は以下の通りです。
・レクイエム/モーツァルト/2020年MAMA、KIGDOM PERFORMANCE FILM
・くるみ割り人形/チャイコフスキー/2021年SMA
・交響曲第9番「新世界より」4楽章/ドヴォルザーク/Symphony No.9 "From The Wonderland
・四季より「夏」/ヴィヴァルディ/리듬 타(The Awakening of Summer)
・交響曲第9番4楽章/ベートーヴェン/Answer(Ode to Joy)
・オペラ「ラ・ワリー」より「さようなら故郷の家よ」/カタラーニ/'Guerrilla' Official Teaser 1
この記事ではこれらの中から「レクイエム」「新世界より」「さようなら故郷の家よ」この3曲を取り上げて話していければと思います。では行くぞ!
レクイエム/モーツァルト
まずはモーツァルトのレクイエムから。これは2020年のMAMA「Dona Eis Requiem」の冒頭に使われた後、キングダムの一環で行われたサンくんのソロパフォーマンスで再登場しました。
原曲はこちらになります(パフォーマンスに使われているのは22:49から)。
楽曲概要
モーツァルトのレクイエムは彼が病床に伏した晩年に作曲された作品です。モーツァルトは病と戦いながらもレクイエムの完成を目指しますが、レクイエムの中の8曲目である「ラクリモサ」の8小節目を書いた段階でペンを置き、その後亡くなったと言われています。そしてそのラクリモサこそ、ATEEZのパフォーマンスで使用された部分になります。
レクイエム自体は未完の状態でモーツァルトの追悼ミサで演奏され、「この世に生まれ落ちて初めて葬送した魂が生みの親である作曲者だった」というとても数奇な運命に満ちた楽曲と言えるでしょう。
その後未完のレクイエムは別の作曲家によって補筆され、完成へと至りました。
レクイエムとは
ではここで、そもそも「レクイエム」とは何か、という話をしていきます。
レクイエムとは楽曲ジャンルの一つであると共に、教会で行われるミサの一種としても数えられます。ミサは十字架に掛けられたイエス・キリストへの愛を記念して行われる礼拝集会の一つで、そのミサの中でも死者のために行われるものをレクイエムと呼びます。そこで用いられる楽曲も同様にレクイエムと呼びます。
世の中には多くのレクイエムが存在しますが、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレがそれぞれ作ったレクイエムは3大レクイエムとして数えられます。お時間ある時に是非聴いてみてください.
パフォーマンスとレクイエムの結びつき
続いて、モーツァルトのレクイエムとATEEZに使われた箇所について書いていきます。
ATEEZのパフォーマンスで使用されたのはレクイエムの中にある「ラクリモサ(Lacrimosa)」という楽曲の冒頭部分です。日本語に訳すと「涙の日」になります。歌詞の日本語訳は以下の通りです。
ここで注目してもらいたいのが、「彼らに安息をお与えください」の部分。この歌詞はラテン語だと「Dona Eis Requeim」となり、ATEEZのMAMAのパフォーマンスの題名と完全に一致します。イントロで使った音楽の歌詞をそのまま引用してきているというのが分かりますね。
以前の記事にも書いた事の繰り返しにはなりますが、おそらくMAMAのパフォーマンスのコンセプトは「死」であり、そこを中心にパフォーマンスを作っている可能性が高いです。楽曲の引用からステージ、衣装、メイクまで。メイクにスカルメイクの要素があったり、衣装が全員黒を基調としていたり、バックダンサーの演技が亡者っぽかったり。是非「死」というキーワードを意識してもう一度パフォーマンスを見てみてください。
また、ラクリモサがレクイエム全体の8曲目に位置し、モーツァルトが8小節目を書いてその後亡くなっている…というエピソードを知ってから見ると、この楽曲が用いられるのも必然だったのかなと思います。
参考文献
・モーツァルト『レクイエム』解説と名盤(MUSICA CLASSICA)
・モーツァルト「レクイエム」【歌詞と解説、おすすめの名盤】(気軽にクラシック!)
・レクイエムは鎮魂曲か 日本語に定着した「名誤訳」(ことばオンライン)
交響曲第9番「新世界より」/ドヴォルザーク
続いてはドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。この4楽章のメロディーが、キングダムの1次競演で披露した「Symphony No.9 “From The Wonderland”」にてATEEZの楽曲であるWonderlandとマッシュアップされました。
その後に出たアルバムにも収録され、ミンギくんのラップも含めて編集されています。
併せて原曲も紹介します。まず手っ取り早く4楽章のみ聴きたい方はこちらがおすすめです。
他の楽章も一緒にフルで聴きたい方はこちらをどうぞ。この交響曲は、まるで映画音楽のような派手でいて耳に残りやすいフレーズから、懐かしさや憂いを想起させるエモーショナルなメロディーまで、複雑さと面白さが共存するリズムの応酬まで、随所に多彩な音楽が散りばめられています。
太陽のような熱い赤と静まり返った夜のような青や黒、それらが音の中に情景として見えてくるのが最大の魅力と言えるのではないでしょうか。
楽曲概要
この交響曲第9番はドヴォルザークが作曲した作品達の中でも最も有名なものの一つで、クラシック音楽というジャンルの中でも知らない人はいないんじゃないかと言っても過言ではない知名度を持っています。ATEEZのパフォーマンスより前にフレーズなどを聴いた事がある人がほとんどではないでしょうか。
ATEEZがキングダムでパフォーマンスした時の題名「Symphony No.9 “From The Wonderland”」は、交響曲の副題である「新世界より」の英語である「From The New World」から来ています。
今となってはクラシック音楽をサンプリングした楽曲や一部を引用したステージが数多く世に出ていますが、その中でもこのWonderlandと新世界よりの組み合わせはどちらの良さも消すことなく上手くマッチングしているように思います。その理由は、4楽章とWonderlandの調性がどちらもホ短調だから、BPMがほぼ同じだから、といったところでしょうか。
この2曲のマッチ具合にホンジュンさんとプロデューサー陣が気付くシーンはとても気持ち良いんですよね、リアクションが特に。(動画の8:55)
新世界からの手紙
この「新世界より」について書くのであれば、まずは作曲者であるドヴォルザークの人生について必ず触れなければいけません。
ドヴォルザークはチェコ出身の作曲家です。彼は1892年に音楽院の院長として招致されたためアメリカに移住しました。このアメリカこそドヴォルザークにとっての「新世界」であり、この交響曲はドヴォルザークにとっての新世界であるアメリカから、故郷であるチェコ・ボヘミアに向けての手紙という意味合いがこめられています。ドヴォルザーク本人も「アメリカ大陸から故郷の人々に送る印象記」という風に語っています。また、アメリカの黒人音楽が故郷であるボヘミアの音楽と類似性を感じ、刺激を受けて作られたとも言われています。
ドヴォルザークにとってアメリカが新世界に例えられたのは、ただ行った事が無い国だったから、というわけではありません。
当時のアメリカは急速に産業が発達し、都市の近代化や技術革新が多く行われました。ドヴォルザークはアメリカに来てその巨大さや発展途上が故の活気に大きく驚いたと言われています。彼にとって多くの衝撃が待っていたアメリカはまさに新世界と呼ぶに相応しい場所でした。
それと同時に、彼は生まれ故郷であるボヘミアの街や自然に恋しさを感じていました。新世界よりの2楽章には郷愁を感じさせる美しいメロディーも描かれており、衝撃と郷愁が同居した楽曲になっています。だからこそ手紙の意味があるんですね。
ATEEZが作ったステージは、激しい航海の中でクラーケンを打ち倒すというひたすら前進するストーリー性がありますが、原曲となる新世界よりは前進とはむしろベクトルが逆となる、自分が今までいた場所を振り返るものとなっているんですね。音楽自体のマッチングは素晴らしいのにベクトルは異なるのが面白いところです。
海賊船のATEEZ、汽車のドヴォルザーク
ATEEZのステージでは海賊船をモチーフとしたセットが組まれていましたが、ドヴォルザークが好きなのは海を進む船ではなく、陸を突き進む汽車と言われています。
ドヴォルザークの逸話の一つに、彼は鉄道マニアだった、というものがあります。暇があれば駅に出て機関車を眺めに出かけ、鉄道模型を自作し、車体番号を確認する。その熱狂っぷりは他者を巻き込むほどだったと言われています。現代でいう生粋の鉄オタ、それがドヴォルザークのもう一つの姿です。
そしてその汽車への愛は楽曲にも落とし込まれています。4楽章の冒頭では、映画ジョーズのテーマを彷彿とさせる何かが迫ってくるかのようなメロディーが聴こえますが、ここは汽車が発車準備をしてゆっくり動き出して加速していく様子を感じる事ができます。また、交響曲全体の随所に現れる信号のようなリズムやホルンの咆哮は汽車が蒸気を上げる様子を表現しています。
ATEEZのWonderlandという楽曲はATEEZの楽曲の中でも特にエネルギーに溢れ、聴き手を圧倒する迫力を持ち合わせている楽曲です。そこにドヴォルザークがイメージする汽車が進むモチーフが加わる事で、さらにエネルギーがプラスされて前に進む気合が大きく表現されています。乗り物は違えど、音楽に乗る強い思いは何も変わらないんです。
参考文献
・ドヴォルザーク 交響曲第9番 〈新世界より〉 の楽曲解説(千葉フィルハーモニー管弦楽団)
・ららら♪クラシックバックナンバー
・鉄道の音を愛した作曲家ドヴォルザーク:音の雑学(ヘルシーヒアリング)
・ドヴォルザーク「交響曲第9番(新世界より)」解説と名盤(MUSICA CLASSICA)
さようなら故郷の家よ(ラ・ワリー)/カタラーニ
最後に紹介するのはカタラーニのオペラ「ラ・ワリー」に登場する「さようなら故郷の家よ」です。
この楽曲が使用されたのは、Guerrillaの1つ目のMVティーザーで使用されました。スピーカーを設置する男たちのBGMとして使用されています。
原曲は是非日本語訳の歌詞付きで聴いてみてください。
楽曲概要
この楽曲が登場するオペラ「ラ・ワリー」はイタリアの作曲家カタラーニによって作られました。ヴェルディやプッチーニといった有名作曲家の名声に隠れてしまっている彼ですが、ラ・ワリーはそんな中でも名作であると言われています。
特にティーザーでも使われているアリア「さようなら故郷の家よ」は一番有名と言っても良いもので、多くの歌手が録音を出しています(私がこの記事に載せているのはマリア・カラスの録音)。
ラ・ワリーの簡単なあらすじをここで簡単にご紹介します。
ティーザーで使用されたアリアは、ワリーが父親の家を去る第1幕で歌われています。
生まれ育った場所との決別
「さようなら故郷の家よ」は、父親と口論になったワリーが家を去るシーンで歌われます。ここで日本語訳の歌詞も一緒に見てみましょう。
父との決別のシーンに使われているというだけあり、「二度と戻らないでしょう」「私を二度と見る事はないでしょう」というような強い言葉が目立ちます。実際にオペラの中でもワリーは父の死後まで故郷に戻ってくる事はありませんでした。
これがGuerrillaのティーザーで使われた理由は色々と想像ができるかもしれませんが、まず考えられるのはダイアリーに書かれていたヨサンと父親のエピソードですね。「さようなら故郷の家よ」が父との決別の歌であるという背景から見ても、ヨサンと父親が持つ確執や反抗がイメージされます。
そしてもう一つ考えられるのが、楽曲の背景にある父を人ではなく国やそのシステムと考える場合。ディストピアの世界を変えるために動き出す反抗の活動と、歌の中に込められた反抗のメッセージ性と掛け合わせているというのも考えられます。
Guerrillaのティーザーではスピーカーを設置する作業と背景の大都市、そこに流れるアリア…という一見ミスマッチに感じてしまう構成ですが、「さようなら故郷の家よ」の歌詞や登場するオペラの場面を踏まえると、共通点も見えてくるかもしれません。
そもそもティーザーに映っていたディストピアは音楽を始めとした芸術が禁止されているわけですが、そんな世界観に古くから続くクラシック音楽を流すのは世界への皮肉を感じなくもないですね。
余談
「さようなら故郷の家よ」に関しては書ける事がちょっと少ないのですが、その代わり悲劇について書きたいと思います。
オペラや楽劇、童話など、ありとあらゆる物語で悲恋が用いられる事が多いです。そしてそんな悲恋が題材となった物語は総じて悲劇と言われています。
見ていて悲しい気持ちになるのに、何故悲劇の物語が多く作られるのか。それは単に「生きていて体験しうるものではないから」です。人の数だけ恋愛劇があり、愛の行く末がありますが、大体の恋愛は物語の中に出てくるものほど苛烈だったり劇的なものはありません。ロミオとジュリエットのような悲劇も、普通に生きていればまず体験する事のない恋愛です。
この、体験しないというのがポイントで、人々は自分がまず体験できない恋愛の形をフィクションの中に求めるんです。体験できないからこそ抱く憧れや理想のようなものを、物語を消費するという形で追体験するんですね。だからこそ世の中には悲劇がたくさんあるのかもしれません。
参考文献
・カタラーニ オペラ「ワリー」よりさようなら、ふるさとの家よ(世界の民謡・童謡)
・ちょっぴりイタリア・オペラ〜有名なアリアの内容を知ろう カタラーニ《ラ・ワリー》(イタリア文化会館のブログ)
・ワリー[全4幕]カタラーニ作曲(ハンナ)
最後に
では最後に、ATEEZとクラシック音楽の関わりのスタンスについての話をさせてください。
ここまでATEEZが使用してきたクラシック楽曲は6曲ですが、これらのチョイスは全て絶妙で多くの人がなるべく楽しめるようにという配慮がされているように思います。
クラシック音楽は何百年も前から受け継がれている歴史の長い音楽であり、その中には当時の世界情勢と結びついている作品も多いです。革命の勝利を讃える音楽もあれば、戦争の恐怖を知らしめる作品もあります。それ故に、国や世界情勢によっては演奏を控える楽曲があったり作曲家の存在自体がタブーの国もあります(今ではロシアが戦争を行なっている事からロシアの作曲家が作った戦勝の曲を避ける傾向があったり、イスラエルでは反ユダヤ主義の作曲家であるという事からワーグナーの楽曲は演奏や放送ができません)。
そんな中で、ATEEZは見たところそういったタブーの作曲家や情勢的に演奏し辛い楽曲を避けているように見えます。これが偶然なのか意識してなのかは中の人のみぞ知るところですが、こだわりを追求すると共に世界中の一人でも多くの人に届くような作品づくりを今後もしてもらえたらと思います。
これからも作品を楽しんでいきたいですし、クラシック音楽と交わる事も同じく期待したいですね。
それでは、ここで記事を終えたいと思います。長くなってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
カル
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