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「ライカムで待っとく」バックヤードから投げられた沖縄の物語【観劇感想文】

※内容に深く触れた観劇感想文です。

ライカムで待っとく」をロームシアター京都で観劇しました。
タイトルを知ったきっかけは、別のお芝居でもらったチラシから。

観た後だとイラストにいろんな意味が込められているのがわかる

もともと私には、行く行かないに関わらず、デザインが好みの芝居や映画のチラシをファイリングする趣味があります。
爽やかで勢いのある良いイラストと、待っとく、というぶっきらぼうなニュアンスのタイトルが好きで、このチラシも取ってありました。

その内、ちらちらとネットなので良い芝居だという評判を聞き、観てみたいなと思うように。私にとって、初見の脚本家さん、演出家さんの演劇作品を観ようと思うのは、「う蝕」に続いて今年二度目です。
この「う蝕」が大変自分好みだったのも、知らない作家さんの作品に触れて観たいという気持ちを後押ししてくれました。

チケットを買ったのは公演一週間前。それすら、まずないことです。三か月前から当たり前に構えておくジャンルなので、なんだか新鮮でした。

さて肝心の観た感想なのですが。

これほどに生々しく「怒っていること」を伝えてくる作品は、もしかしたら初めてかもしれないとすら思えました。新鮮を超えて、びっくりしました。

演劇というのはたくさんの人に見てもらって成立する「芸術」です。

そのために、演出や物語で様々に工夫を加えます。このお話にも、現在と過去を交え、さらに時間軸が混じり歪んでいく物語の構成や、回転舞台や字幕を使った演出により、演劇としての技術的な面白さや旨味を引き出しています。

それでも、その「技巧」をしのぐ勢いと圧力で、いやこれめちゃくちゃ怒っているな、それを伝えたい芝居なんだな、という感覚を受けたのです。

沖縄に昔から今も変わらず残り続ける米軍に関わる様々な問題、
基地の移設や海岸の埋め立て等々、山積みの問題は聞いたことはあれど「内地」の自分たちは確かに、「外側の話」として受け止めている。同じ日本であるのに。

それっておかしくないか!?
そんな抗議が聞こえてきました。

海を隔てていても、多少の話し言葉の違いはあっても、「沖縄は、特別だから」と素知らぬ振りをして、美しい海や美味しい食べ物だけに目を向けていていいのか、いいはずないだろうと。昔から今までずっと血と涙を流してきた人が居続けるのだから、もっと見なさいよと、首根っこを掴まれているような。

それにうしろめたさを感じたから、この方々の芝居や、沖縄についてを、もっと知るようにしていきたい。「たったそれだけ」な一歩かもしれませんが、この芝居の怒りが、そう思わせてくれました。

イオンの巨大なバックヤードには、なんでも閉じ込めておけてしまう。
なにかを探し出すのはおっくうで面倒でやりたくはないし、知らぬ振り忘れた振りをしているほうが断然楽だ。けれど、誰かがやり続けなくてはいけない大切な役割でもある。その役割を担ったお芝居でした。

バックヤードからやっとの思いで放り出された、沖縄にあり続ける、むきだしの怒りの塊そのものを、私たちは受け取ったのだと、思いました。

観られて良かったです。

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