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上村遼太くんのこと、忘れません。

川崎中1男子生徒殺害事件。
世間を震撼させたこの事件が起きた2015年2月20日から、5年もの月日が経ちました。

私が刑事司法の分野に興味を持ち始めて初めて読んだルポ本が、この事件について取り上げた石井光太さんの「43回の殺意」でした。事件や犯罪者が生まれてしまう深層が見えてくる、様々な問題が複雑に絡んでいると実感して、とても自分の中では強く残る事件となりました。

なんで中学1年生の上村遼太くんは、いくつか年上の高校生3人に殺されちゃうことになってしまったのか。

-不良少年4人の絆が交差して生まれた事件。

 この事件が報道されるにあたって、世間の注目を浴びたのが、被害者含める主要の少年4人がいわゆる「不良」だった、ということでした。
加害者・被害者の少年4人は皆学校に行かず、ゲームセンターを出入りし、万引きといった非行を繰り返すような生活を送っていました。
その背景にはやはり、家庭環境が大きく影響していました。母親は息子をほったらかしていました。もし何か帰りの遅い我が子に声をかけていれば、事件は防げたのでしょうか?
また、少年Aと少年Bは1回少年鑑別所へ送られています。少年Aは。本来ならば、退院後は保護司がついて少年らの行動を監視し、生活する上で助言を与えていたはずです。もしこの制度がちゃんと機能していれば、少年らは非行の道から逸れられたのではないのか?
他にも、「学校の先生から声をかけていれば…」「学校で信頼できる友達ができていたら…」、とタラレバばかり思い浮かびます。
悔やんでも悔やみきれない事件です。

-他人事じゃない。

 私は生まれてから10年間は海外で育ち、母がフィリピン出身なので、家でも基本的に英語で会話します。そのため、小学4年生の時に初めて日本に来ましたが、1年目は日本語を全く話せませんでした。その時、通っていた公立小学校に特設されていた、私のように日本語がうまく話せない人のための「日本語学級」に通っていました。
 そこで出会った、同じく日本語学級に通っていた、2つ上の男の子がいました。その男の子には4つ年下の弟がいたのですが、人揃って服や言動から、「不良」というカテゴリーに入るような人でした。もう1人、1つ下の学年の女の子もいました。3人とも同じフィリピンのハーフということもあり、仲良くなってよく一緒に遊ぶようになりました。しかし、その遊びは他の子たちが遊ぶのとは違う、普通じゃない遊びっていうのに薄々気づくようになりました。遊ぶ場所はみんな公園行くなか、私たちはゲーセンに行ったり、お昼はマックで済ませたり、夜中の7時8時まで平気で遊んだり…。
流石に親に夜中遊ぶ事は許されませんでしたが、私はそれに反抗したり、門限を破ったことは何度もありました。今思えばその人たちは、家庭の事情の影響が大きかったのだろう。

 フィリピンは治安が悪いです。一時、ドゥテルテ大統領のことがニュースで騒ぎにもなった通り、地方の方に行けば、ドラッグの使用は当たり前です。私の母側の親戚にも薬物依存者がいます。仕事が不足し、貧しさに苦しむ人が多いからです。
そんな環境を逃れようと、フィリピンから日本に出稼ぎに来る女性は多いです。しかし、日本に来ても水商売など性的な職業に就くことが多く、子どもを放置気味にしているお母さんは少なくありません。だからと言って子どもを大切にしてないってわけでは決してありませんが、日本の常識じゃあ考えられないほど自由にさせてあげる傾向があります。だから、夜遊びを気に留めない、不健康な食事ばかりとらせる、というようなことは当然っちゃ当然。
もちろん全てのフィリピン人がそういうわけではありません。私のお母さんは、フィリピンで苦労して育った経験があるからこそ、子どもに対しては過保護ですごく心配症です。しかし、そうでない人の方が多い傾向にあるのが現実です。

 私のお母さんは、私があの3人の子たちとよろしくないような遊びをしていると気づき、その子たちとあまり遊ばないように、と間接的に言ってきたことがあります。その子たちの家に上がることも避けろと言われました。「フィリピン人は悪い人がいっぱいいるんだよ。」って。
けれど私は全くあの3人の子たちを「悪い人」って思えませんでした。逆に「あそこのお家大丈夫かな」「先生に言ったほうがいいかな」って心配してたのを覚えています。お母さんに関わるなって釘を刺され、結局何もしなかったけど、あの時に今の知識を持っていたら、きっと先生に相談していたと思います。
 私は小学5年生である程度日本語を喋れるようになり日本語学級を卒業し、同級生の友達が増え、あの4人で一緒に遊ぶことは自然と減りました。5年生後半から、廊下ですれ違っても会釈すらしない関係性になっていました。あの子たち、今はどうしているのかなー…。

こんなことがあり、川崎中1男子生徒殺害事件の加害者のうち2人がフィリピンとのハーフだということがこの事件が自分の中で強く残っている要因の一つとなっています。

-人の死を無駄にしないでほしい。
上村遼太くんの母はシングルマザー、少年Aと少年Bの母はフィリピン人であり、言語に小さいとしても壁がありました。そして皆同じように、家にいるのが苦で、夜街を徘徊したり、ゲームセンターで戯れたりするようになっていました。他にも、少年Aと少年Bは学校でいじめられていました。

いじめ、母子家庭、言語の壁。様々な要因が絡み合っていた今回の事件を、防げた手は確実にありました。誰かが、ちょっとでも声をかけていれば結果は変わったかもしれません。だからこそ、必ずこれから似たような事件を防ぐヒントになります。上村遼太くんが亡くなった、亡くならせた私たち、社会の責任としてできるの最低限のことは、これから同じような犯罪が起きないようにすることなのではないのでしょうか?

上村遼太くんのご冥福を心よりお祈り致します。

●Profile

ひとみ
2004年生まれ。(4月から花のJK🌸!)
Always On Track【犯罪者の社会復帰支援】⬇️
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