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藤坂の謎 その2

藤山坂(藤坂)(富士坂)が載っている地図を見ていきましょう。
下記の3つの古地図は茨城県立図書館デジタルライブラリーより拝借しました。

江戸期水戸武士小路明細図 年代不明

地図が正確かは分かりませんが、真ん中に南北に結ぶ道が藤坂町の道です。 坂は一旦左側に曲がってから始まるように書かれております。
これは坂上下の高低差がある地形だからこう書かれていると思ってます。

水戸地図 1661年

これも同様に書かれております。

水戸絵図 年代不明

こちらは南北が逆に描かれていますが、向きをそろえました。
この地図は、五軒町二丁目と三丁目を分ける大成女子校前の道路よりも、東側の道路の突き当たりに坂が描かれております。
誤りなのか?どうなのか?
この通りであれば、直線的な坂も谷地形に沿っての道なので違和感は無いですが、ただ単に地図の誤り?どれが本当なのでしょうか?
昔の地図はおそらく測量したものを描かれているわけではないのでアバウトです。

下記2つの地図は水戸市立図書館デジタルアーカイブより拝借しました。


水戸市街改正全図 明治34年

この地図も縮尺は概ね合ってはいても道がちょっと適当な部分もあるようで正しくはないです。
こちらでは大成前の道路から真っ直ぐ坂が描かれております。しかし直線ではあまりにも勾配がきつすぎる。


水戸市全地図 大正11年

こちらでは一つ上の地図では真っ直ぐ描かれていた坂道は、女子師範学校があって真っ直ぐ描かれておりません。
江戸時代の地図とは曲がり方が右側に曲がって逆ですが、現在に通じるところもあり、道路は現在と違うところもありますが、縮尺は概ね良い感じはします。
藤山坂(藤坂)(富士坂)、どれが正しいのか謎です。

国土地理院の地図

大成女子校の前の道路の突き当たりが現在は五軒小です。
その東側に赤い矢印で道路として描かれている道がありますが、実際は車が通れる道ではありません。
そして青い線の細い道は、金町二丁目と三丁目を分ける道です。こちらの道が現在の藤坂と呼ばれているようです。

次回は赤い矢印の道をたどってみます。

続く

水戸市

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