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私の人生履歴書〜持病とアートと目標と〜③今までとこれからの目標

こんばんは。今日は記事を書ける時間が多くあったので、勢いに乗って自分史の最終章を書いちゃおうと思います。

最後に語らせていただくのは、今まで自分が目指したものと、今これから目指すもの。「目標」についてです。

文集には、とにかく描く。と書いた

幼稚園や小学校の頃は、何も特別なところのない、至って普通の子どもでした。
実は幼稚園の頃は、耳の聞こえが悪く、中耳炎になっては耳鼻科に通って泣く日々でした。
その頃の夢は看護婦さん。
小学校1年生で耳管狭窄の手術を受け、普通の聞こえが手に入り、小6の頃は獣医になりたいと思っていました。

ところが中学校でひねくれたため、将来の夢は職業としてなにも夢見ることが出来なくなりました。
中学の文集には、「絶対描く」というタイトルで、漫画を一度描きたいというのだけが夢でした。漫画家、ではなく、一度だけでいい、と。

高校で二次創作の同人誌をコピー誌で描いたものの、納得がいかず、大学で漫画部に入り、2〜3本オリジナル漫画を描いたら、終わってしまいました。
夢は、特別なかったのです。

そのうち一度は死にたいと這いつくばって、自殺未遂などをしました。
病弱な身体で、死にたいと思わなくても、死ぬかもしれないのが普通になって、早10年近く。

とうとう去年、摘出した子宮から子宮体がんが見つかりました。

体調と闘う

やっと経験できた完治。でもガンサバイバー。
とりあえず摘出手術を終えて、回復するまでは、やっと一区切りと言った感想でした。

とにかくこれからは、少なくともあと1年、長ければ一生再発の可能性と闘わなければいけません。
まぁ、生きるというのも頂き物。できる限り無理せず、生きられるだけ生きてみようか、と楽天家にやっとなりました。

まずは料理を覚えました。
自分の体をかたちづくる食に興味があったのです。
簡単な料理はほぼできるようになり、自信がついてきたのです。「あ、やればできる」と。

日々体調と闘いながらも、去年の秋34歳になった頃、なんとなく人生の希望が手に戻り始めました。

いつかイラストレーターになろう

それからは、絵に、イラストに夢中になりました。
ハンドメイドのアクセサリー作りも楽しかったですが、やはり一番好きなのはイラストを描くことでした。
作業所の作品を作る仕事に打ち込み、いつかイラストレーターとして開業したい、と語れるようになりました。

今の私の目標は、35歳までに実績数を10件作ること。
夢は、40歳までに開業届けを出すイラストレーターになることです。

じゃあどんな形でなろう、と思った時に、「受け取ってくれた人と近い存在でありたい」と思うようになりました。
今年中にminneやココナラで作品の販売をして、発表することが、個人的にできる人間になること。
そして、Xに挫けつつもnoteに再びめぐり逢い、今1週間記事を書き続けることができました。

minneは今、作品の準備中です。
ココナラも、もっともっとサービス展開を拡げて、ランクアップを目指そう。そう思うほど、今は元気です。

挫けることも多くありました。
でもその分、今が幸せだと気づけたのです。

私は「幸せを描くイラストレーター」になろう。
それが今の夢です。

まとめ

最後に伝えたいことがあります。
幸せは気づくものですが、描けるものでもある。

時々挫けちゃうけど、生きていられる限りは、自分を大切にするのをオススメします。
大きく描かなくていいから、見つめて、ひとつひとつ描いてください。
それは、人間が許された、夢という形です。

あなたの存在は、希望という夢なのです。

それが思い出せる作品を、描き続けるので、見守ってください。

ここまでご精読ありがとうございます😊

スキやフォロー、オススメなどしていただけると嬉しいです。
ちょうど明日からGWですね。
是非とも皆様ご自愛くださいますよう、お願い申し上げます。
お気をつけてお過ごしください(*´︶`*)ノ

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