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私の人生履歴書〜持病とアートと目標と〜②アートとの付き合い

おはようございます、イラストレーターのミトシです。
時刻は今、5:33。早朝覚醒っていうやつです。
まぁ気にせずマイペースでいきましょう。
今日の自分史のテーマはアートやその近辺との歴史です。
先に言います、文章は中の下程度なのに長いです。

人生とともにアート&イラスト〜もはや習慣と習性の創作活動〜

思えば、物心付いた頃から、落書きや粘土遊び、ブロック遊び、絵本が大好きでした。
ペンを初めて手に取ったのは覚えていないほど小さい頃です。
そして幼少期、母にお願いして描いてもらったリアル調のうさぎの絵に大人っぽいと感銘を受け、絵の世界の面白さを知りました。
ちなみに、母始め家族は絵は普通の人くらいのレベルです。専門知識も全くありません。
2歳下の弟とよく何かを作って遊んだり、ミニ四駆のチューンナップをしたり、工作も大好きでした。

小学校に入り、英会話やフラメンコの習い事をする傍ら、小学4年生ではパソコンクラブに入ってペイントでデジタル絵を描いて、5年生からはイラストマンガクラブに入りました。
とにかく絵を描くのが大好き。四コマ漫画を描いたり、漫画の描き方の本を買って、つけペンで線を引く練習をしたり、コピックの収集をしたり……。
休み時間に運動するのが苦手だったのですが、高学年になるとクラスのお友達の女の子にイラストを教わったりして楽しんでいました。

中学校の暗黒時代も、イラスト部に入っていましたが、その部がグレードアップして美術部になって、孤立や不登校になっても作品を作り続けました。
そのうち不登校が原因で多少勉強が足りなくなり(何せ授業中の勉強だけでテストもトップクラスを保っていた)、自信がなくなったことから定時制高校への進学を決めました。

私が通った高校は、都立工芸高校。身バレしようがしまいが、都立の工芸科の高校はここしかないです。そのうちの人気NO.1のグラフィックアーツ科で通いました。
本格的なアート・デザインの道の幕開けです。

グラフィックアーツ科は元・印刷工芸科。
印刷技術やデザイン技術、版画やグラフィックアートの授業がありました。
1年生の後期に一度体調不良で短期の不登校になったのですが、2年生で復帰しV字回復、ここでも成績は良かったです。

元々進路は就職のつもりでしたが、4年生で「この高校の教諭になりたい」と思うようになり、画塾は通わなかったものの、推薦で造形芸術学部のある某総合大学に進学しました。

大学ではまず、鼻っ柱を折られました。
上手い子は画塾に通っていたので、カルチャーショックを受け私の成績は中の中への転落(?)。
漫画部に入り、そこそこ描けても先輩方は神絵師の如きクオリティ。
授業もどっちつかずに委員会に入り、更に忙しくなって作品制作は最低限締切を守る程度にまで落ちぶれました。

そして、2年生で起きた東日本大震災こショックも癒えないまま、日々忙殺されて毎日生きているのかも分からないほど心が死んでいきました。
委員会では委員長になれる人材が私しかおらず、委員長になってもメンタル崩壊しているので頼りにならない、せめてスケープゴートになって周囲の不満を吸い取ることしか出来ませんでした。
2度目の4年次の夏、24歳で大学は自主退学しました。

しばらくはバイトをして稼いだお金で、繋がりを作るための個展やグループ展活動をしていたのですが、段々と持病の統合失調症が悪化し、①持病なんじゃらほいに記述したような生活を送り、今34歳に至ります。

それでも色々制作は続け、2020年に福祉の作業所(正確には就労継続支援B型事業所)に所属して、その中の作業としてアート活動を継続しています。
今も作業所の仕事をこなしつつ、ココナラで実績を積もう、という段階で、自由制作をしています。

長くなりましたが、これが私とアート、クリエイティブの付き合い遍歴です。
中途半端な付き合いだと感じられたかも知れません。
でも、私のそばには常にアートが、絵や造形やイラストがありました。
だから生きていられたのもあります。

これからも人生の伴侶として、イラストレーター業を続けていく所存です。

ここまでご精読ありがとうございました!
次の自分史(?)は今までとこれからの目標についてです。

サポート誠にありがとうございます。 これからもよろしくお願いいたします。