ごっつんこあいさつで乾杯できる日まで
我が家で「ごっつんこあいさつ」が流行っている。
「こん、にち、はー」と言いながら、ゆっくり顔を近づけて、おでことおでこをこつんとぶつける。それだけ。
これが「ごっつんこあいさつ」。
3歳の長男ちのと、1歳の次男あっちゃんのごっつんこあいさつは、可愛いけど結構痛い。
けらけら笑いながら、何度もくりかえす。
だんだんエスカレートしていき、最後はただの連続頭突きになる。
でも痛くても面白い。
* * *
今、同じこの場所にいて、目を合わせて。
それがだんだん近づいてくる。息遣いや匂いも感じる。
ぶつかる予感に、チビたちはふひふひと笑いだす。
ついに、ぶつかる。いたい。
二人とも同時に衝撃を感じる。
いてーって二人で笑う。
おでこを押さえて笑う。
お互いがここにいるな、と感じる。
* * *
1年半前に東京から引っ越して、地縁のない静岡に移住した。
大きな庭のある家で、何不自由なく暮らしている。近所の人も優しくて大好きだ。
それでも、東京が恋しくなる。
東京には私の実家もある。
去年は里帰り出産のため、三ヶ月ほど実家で世話になった。
だから長男ちのにとっては、第二の我が家。近所に友達もたくさんいる。
コロナが流行り、もう10ヶ月も東京に行ってない。
ちのはたまに
「のりのとこ、いきたい!いま、いきたいのー!のりに、あいたいのー!」
と叫んで騒ぐことがある。
のりは私の母、ちののおばあちゃんの呼び名だ。
のりはパワフルで愛情深い。
どんな変顔もダンスも全力でやる。
梅の花びらを集めて、二階から花吹雪を作ったり、お風呂用クレヨンでお風呂場にラブレターを書いたり。
ちのを喜ばせる遊びを次々考え実行する。子供みたいに楽しそうに。
ちのはのりが大好きだ。
二人は再会のたびに、キャー!!と叫んで、名前を呼び合う。
両手をつないで、足をバタバタ踏み鳴らす。
私はそれを「地団駄ダンス」と命名した。大変騒がしく不格好だ。
だが、かーちゃんである私は横で見ていて少し妬けてしまう。
* * *
ラインでの交流は毎日のようにしている。
気に入った絵が描けるとちのは、
「これ、のりのらいんに、しゃしんとって、おくっていいよ」
と言う。
さすが、スマホネイティブ世代だ。
テレビ電話もよくかける。
でもちのはなかなか打ち解けない。そっぽを向いて無口になる。
自分でかけようと言ったくせに。
顔は見えるけど、違うのだ。いらだちがある。
突然、話してる途中でスマホにパンチする。
べろーんと画面をなめたこともある。
のりは、「うわ〜やられた〜」とふざけて言ってくれた。
それでもちのの気はおさまらない。
実際にそのごっつんこは届いていない。そのくらい分かっている。
触りたかったのは、なめたかったのは、ツルツルとひらべったいスマホの画面じゃなかったはずだ。そんな冷たくて硬質なものじゃない。
* * *
ごっつんこあいさつは乾杯に似ている。
乾杯も、お互いのコップをごっつんこさせる。
自分と相手が同じタイミングで、適した向きで、ほどよい力でぶつかり合って、はじめて乾杯はうまくいく。
乾杯の瞬間、みんなコップだけを集中して見つめている。
かんぱーい!
チリン、こん、ちゃぷん、カラン
いろんな音が生まれる。
いろんな匂いがする。
人が集まることでうまれる熱気、雰囲気。
ZOOM飲みではすくいとれないもの。
…ずいぶん味わってないなぁ。
* * *
みんなで集まったら、何を飲もう。
ちのはぶどうジュースかな?
「ちの、ぶどうジュースがいちばんすきなんだよ。むらさきが、きれいだから、すきなんだ」
と満足気に飲むだろう。
でも他の人がカルピスを飲んでいたら、
「ちの、ずっと、かるすぴが、のみたかったんだよ」
と、まだカルピスと言えないくせに生意気に要求するだろう。
特別に、あっちゃんにもジュースをあげよう。
きっと夢中で飲む。
真剣になりすぎて、うつむいたままコップに顔をどんどん押しつけてしまう。
そうすると全然飲めないから、きいきい文句を言うだろう。
それをみんなでほほえんで見守りたい。
ねえ、早く会えないと、二人は成長してしまう。
もうすぐ、ちのはカルピスって言えてしまって、あっちゃんもコップでうまく飲めてしまう。
はいはいのあっちゃんも、つかまりだちのあっちゃんも見せずに終わってしまった。
成長はいいことのはずなのに、なんだか焦るよ。
かーちゃんね、ちのの前では頑張ってるけど、ほんとはかーちゃんも叫びたいときがあるよ。
のりに会いたい。会いに行きたいって。
ちびたちが成長しているのをみせたい。
のりの溢れる愛で、ちびたちを抱きしめてほしい。
のりとちのの地団駄ダンスをまた見たい。
うるさくって不格好で幸せなダンスを。
* * *
そういえば、ちのが1歳の頃、乾杯ブームがあった。
「かんぱあ!」と言いながら、ひとりずつと乾杯。とても誇らしげ。
危なっかしい手つきで愛用のプラスチックカップを掲げていた。
こぼさないかヒヤヒヤしながらも、みんなにこにこしていた。
同じ年頃になったけど、あっちゃんに乾杯ブームはこない。
令和生まれのあっちゃんは、乾杯を知らない。
大勢で集まるということを知らない。
歩けるようになる前から、世界は「新しい生活様式」に変わってしまった。
家族以外の人はみな、マスクをつけた生き物だと認識しているかもしれない。
* * *
「わるいかぜがおわったら、みんなにきてほしいから、おへや、きれいにしておくんだよ」
ちのは口ぐせのようにそういいながら、掃除を手伝ってくれる。
掃除機をかけたり、雑巾がけをしてみたり。
そうだね、みんな来た時にきれいだといいもんね、と穏やかに応えながら、たまに鼻がツンとする。
いつになったら、この子の掃除は報われるの。
ささやかな願いは叶えられるの。
ほこりばかりがすぐに積もっていく。
* * *
それでも。
いつかきっと、のりに会える。
みんなのとこに行ける時がくる。
みんなが来てくれる時がくる。
その時はいっぱい、ごっつんこあいさつをしよう。
どきどきしながら近づいて。
ぶつかる予感にちょっと笑って。
痛い!って叫んで、また笑って。
それからお互いのおでこをなぜなぜしよう。
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