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にーちゃんをやめたいから、しにたい

昨年一番ショックだった言葉。
言われてからずっと、頭をぐるぐるまわっている。

「しにたい、もうしんじゃいたい、にーちゃんをやめたいから、しにたい。
もうてんごくにさきにいってたい。どうしたらしねるの? ねぇ、どうしたらいい?」

ぼろぼろ泣きながら5歳の長男が吐き出した言葉。

***


きっかけはちっぽけなことだった。

祖父母と1年ぶりに会った時のこと。
(私の祖父母で、息子らにとっては曽祖父母。
でもじーちゃん、ばーちゃんと呼んでいる。)

祖父母ともに八十代後半で耳も遠くなり、理解力も衰えてきている。仕方ないことだろうけども。

「長男のちのはナイーブだから、ちょっと扱いを気を付けてね」と前もって何度か言っておいた。
弟と比べられたり、「お兄ちゃんだから」という扱いを受けたりするのをひどく嫌ってるんだ、と。
過保護かなと思いつつも、激昂して次男に害が及ぶのも嫌だったし、せっかく会ったのだからおだやかに過ごしたかった。

が、望んでいた通りにはいかなかった。てんで、いかなかった。



2歳半の次男あっちゃんは、人懐っこくて愛嬌いっぱい。あっという間に祖父母に懐いてだっこされる。
「まぁぁ! あっちゃん、かぁわいいねぇ。いい子さんだねぇぇ」
ばーちゃんはすぐにあっちゃんにめろめろになった。

それは微笑ましいし別にいいのだけども、
「あ! いけない、ひとりだけ可愛いって言ったらヤキモチやいちゃうがね!」
と大声で叫ぶのはやめて…。

「ちのくんもね!かぁわいいよぉ!いい子だよぉ! ね、ちのくん。
あ、かっこいいのがいいのかね?」

ソファの裏側でひとりビー玉を数えている長男をいくら唐突にほめてもね、彼、そういうこと全部分かっちゃうお年頃なんです、もう。

ちらっと冷めた目でばーちゃんを一瞥。無言。
それでもほんとはまだ抱っこされたい甘えん坊でもあり、その不均衡さが難しい。

そんなやりとりが3時間のうちに3.4回あった。
(毎回律儀に、ヤキモチ妬かせぬため公平を期す宣言をするばーちゃん…。心の声が全部漏れてしまうタイプ…)

それからその間に兄弟げんかが5回ほど。
いずれも貰ったビー玉や粘土の取り合い。

次男がにーちゃんのマネをしたくて、ひょいと横取る。
それに激昂する長男。意地でも返さぬ次男。
次男に乱暴する長男を私が羽交い締めして制止し、宥める。
と、その間に気持ちの切り替えが早い次男は持ってたものをためらいなく返し、きげんよく別の遊びをはじめる。
長男だけ怒り、ぐずり、泣き続ける。
そしてそれを見ていた祖父母に
「ちの! にーちゃんなんだから、そんなことしないの!」と嗜められる。

それらが短いスパンで繰り返された。


***

次男がお昼寝をして、やっとおだやかな時間。みんなでおやつ。
長男はひとりだといい子だ。

私はやっと一息ついて、トイレに行った。
トイレにいてもじーちゃんの声が聞こえる。低く穏やかだけどよく通る声。

「なぁ、ちの、きみは何歳になった?
ん? なぁもう5歳だなぁ。おおきなったなぁ。
そいで、あっちゃんはまだ2歳だら? 赤ちゃんだ、まだ。
だから、ちのはにーちゃんなんだから、もう少しな、我慢してやらなきゃいかんよ。なぁ。」

とっても優しく諭してくれるじーちゃん。

あーでも、「にーちゃんなんだから」は禁句なんだよなぁ…いやでも、いろんな意見を受けとめた方がいいよなぁ、私が過保護すぎたかもなぁ、じーちゃんはちのを想って言ってくれてるし。
そんなことをぼんやり思いながらスマホを見つつトイレにいた。(ひとりになれる時間がトイレしかないもので…)

すると、慟哭。

驚いてトイレから飛び出ると、冒頭の言葉。

「しにたい、もうしんじゃいたい、にーちゃんをやめたいから、しにたい。もうてんごくにさきにいってたい。どうしたらしねるの? ねぇ、どうしたらいいの?」

あまりに滔々と語られる言葉たち。涙をぼたぼた落としつつも、はっきりとした言葉たち。
私もじーちゃんばーちゃんも圧倒されて見ていた。

「なんか……そういうテレビでも見たのか?」
じーちゃんが困ったように私を見ながら聞いた。変な質問。でもその意図はわかる。あまりにも芝居がかっていて、元ネタのセリフがあるのかと思ったのだろう。

が、ない。元ネタはない。
幼稚園以外四六時中一緒の私が一切関知していないはずがないので。
(ヨシタケシンスケの「このあとどうしちゃおう」という絵本から天国のよいイメージは来ていると思うが、それ以外はない)

ちのが、自分で考えた言葉だ。
すらすら言えたのは今思いついたのではなく、もとから考えていたからだろうか……。

何故たった5歳で、ちょっとした兄弟げんかやお説教で、ここまで思い詰めてしまうんだろう。
なんでそんな悲しいことを言うんだろう。

狂言なのか、本気なのか。どちらにしてもそう考えたというだけできつい。
そこまで「にーちゃん」が負担だったなんて。私も追いつめていたのだろうか。

自分より先にちのが死ぬことを、しかも自ら死ぬことを考えたら、そんなきついことはなくて、涙が目に溜まっていく。

祖父母は困惑している。私がこの場を収めなくては。
ああ、でも、なんて言えば?

そのあと自分がなんと言ったのか、まるで記憶がない。
抱きしめて、落ち着かせて、何か言ったのだと思うけれど。

「ちの、じーちゃんがわるかった。にーちゃんじゃなくていい。ちののままでいいから。な、許してくれな。」
じーちゃんが床に手をついて真剣に謝ってくれたのは覚えている。
少し申し訳なかったけど、ありがたかった。

ちのはうなずいて、二人は和解した。

それを見ながら飽和した頭で、私は今後の彼への対応やら、今までのことやら、ぐるぐる考えていた。

でも、一番はnoteのことを。

これは、書ける。
目を引く題名になる。

すぐにそう思ってしまった自分に引いた。

子供の苦しみを利用してまで書きたいの?
ただ気持ちを整理したいだけなら紙のノートでいいんじゃないの。
そこまでしてスキがほしいの?

自分の承認欲求にうんざりして、絶対書かないことにしようと思ったのだけど、そうしたらnoteに何も書けなくなった。
どうしてもnoteで書き残したいと私の一部が思っているらしい。(大部分の私としては向かい合いたくないし書きたくない。きついし)

と、あけっぴろげに書いてみたが、立派な結論やハッピーエンドはなにもありません。
ただただ、日々は続いている。泣いたり怒ったり笑ったりしながら。

それからも何度か彼は「しにたい」を言った。

例えばすべり台にて。
次男がすべり終わるのを待たずに上から激突した長男が「あっちゃん、ごめ〜ん!」と言いながら駆け上がり、再び滑って、次男の頭にキックを当てた。完全にわざと。
それを強く叱ったら「しにたい……」

打たれ弱すぎる! しかも完全に自分が悪いのに!
もう言葉の力すら薄れていくよ…。

いや、私は薄れてほしいのかも。くだらない言葉になってほしいのかも。



いつもいつも死にたいわけでも次男を憎んでいるわけでもない。
庭で遊ぶときに、次男の靴をかいがいしく履かせてくれたり、危険がないように気にかけてくれたりもしている。

「おしり ぷ、くさい ちゅ」という迷言を次男が発明したときは、一緒に涙が出るまで笑った。
「あっちゃん、すごいね! おもしろいね! てんさい!」とちのも素直に褒め称えていた。
そして兄弟でおしりを押し付けあっては「おしり ぷ! くさい ちゅ!」と叫んで笑っていた。

あっちゃんという弟がいるから、一緒に遊べる。一緒に笑える。
楽しい時間もたしかにある。それに気づいてほしいよ。

にーちゃんをがんばらなくていいから。

そしてお願いだから、ずっとずっと生きて。


***


何週間かかけて書いたり消したり、つぎはぎだらけで文体が統一されていないこのnoteをこのままで手放します。

いつか、こんなころもあったっけと笑える日が来ますように。


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